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旧姓の時は娘の顏、新姓の時は妻の顏、母の顔。私と名字の付き合い方

  • 2024.11.15

率直に言えば、私は自分の旧姓の名字が特別気に入っているわけではなかった。

その理由の1つは、日本でベスト5に必ず入るほどの、平凡でよくある名字「伊藤」であったからだ。次に名字が「い」から始まるので、出席番号が最初の方であったこと。新しいクラスになった際の席順は、必ずと言っていいほど五十音順だった。だから新学期、クラスでの自己紹介や発表、テストなども早々に順番がやってきた。心の準備も整わないうちに順番がまわってきて、ぶっつけ本番状態。いつも損した気分になる。

だから名字が五十音の最後の方の人達は、前の人達の発表を参考にしながら、あれこれ策を練れて「いいなー、ずるいなー」と羨ましく思っていた。

◎ ◎

もちろん良い点もあった。誰もが知る馴染みある名字だから、すぐに覚えてもらえた。印鑑を購入するときも必ずあるし、読み間違われることも100%ない。

だから逆に、読み方が難しかったり、間違えられがちなちょっぴりレアな名字に憧れを抱いた。ドラマや映画の主人公は、決まってちょっと変わった名字や、ストレートには読めない謎めいた名字、当て字のようなミステリアスで印象的な名を持っていた。“伊藤”なんてありきたりな名字の主人公はほぼいない。あったとしても視聴者側も魅力的に感じない。しかも私は、下の名前もごく平凡な名前だからなおさらその想いは強かった。両親には申しわけないけれど、もっと品格があり、貴重な、煌びやかな名字だったらな……と想像してしまうことは度々あった。だから、私は旧姓の名字にあまり未練はなかった。

◎ ◎

そんな想いを持ち続け29年。お世話になった名字が変わる瞬間がやってきた。それは結婚して姓が変わる時。市役所に婚姻届けを申請する際は、新たな自分の誕生のようでドキドキした。たった1枚の婚姻届けが、これから始まる新たな世界への幕開けのようでキラキラして見えた。婚姻届けを提出すると、大袈裟かもしれないけれど、今まで旧姓をまとった自分からの脱皮。一枚衣を脱ぎ捨てたような新たな自分の誕生のようにも感じた。

結婚してすぐに子供を授かり、産婦人科で慣れない名字を呼ばれるたびに、「わたしだよね?」と、ちょっぴりドギマギもした。名字が変わり、人間関係も環境もガラリと一変し、新鮮な気持ちにもなれた。慣れない名字を呼ばれるたびに、「結婚したんだ!子供を授かったんだ!ママになるんだ!」の喜びが一気に押し寄せ、くすぐられているような感じで幸せだった。

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そんなこんなで、夫の名字になって16年が経過。その間私は、子供達の母親になれたことで、名字に触れる機会をたくさんもらった。名前を呼ばれたり、書類に記入したり、子供達の物への名前書き。ネームペンや名前シールで、子供達に教えながら書いたり貼ったり。子供達に、名前を覚えさせたり、名前を書かせる練習。旧姓の名前以上に、今の名字を読んだり、見たり、書いたりする機会をたくさんもらえた。そのおかげで、すぐに今の名字に馴染めた。今の名字は、私が憧れるようなレアな名字や読み間違えをするような名字ではないけれど、とても気に入っている。何より家族でお揃いの名字だから。

そう思ったとき、私が嫁いで名字が変わった時の両親の心境はどうであったのだろうと、少し悲しくなった。でも、不思議なもので実家へ帰ると、どこか旧姓のままの自分がぴょっこり顔を出す。旧友との連絡や、旧友との再会は、昔のままの自分、旧姓を掲げた自分へと舞い戻る。会う人によって、旧姓のスイッチをONにしたり、新姓のスイッチをONにしたり。旧姓がONの時は、娘の顏になり、子供の顏になる。新姓である時は、妻の顏になり、母の顔になる。意識してなくても、その状況によって自然に切り替え、順応するところが人間の面白い部分だ。

◎ ◎

もちろん今は、結婚しても夫婦別姓でもいいし、名字を変えるのが男性側、女性側でも自由である。名字が変わったからと言って、その人の本質は何も変わらない。でも私の場合は、名字が変わったことであれこれ楽しめることがたくさん訪れた。もともと「旧姓がかわったらいいのにな」願望があったからかもしれない。でもそれはあくまでも個人の感想。せっかく婚約後は名字を選べ、自由に決めてよいのだから、当人同士が納得できる形をとるのが一番ベストだと思う。

■泉 カンナのプロフィール
心がHAPPY♥になるように、毎日を大切にしています。案外自分の心に素直になることって…難しいし、息苦しく感じたり、実践できていないと感じることがあります。楽しいコト、小さな幸せを大事に♥

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