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音読できず教科書を丸暗記。読み書きが苦手なことを必死で隠した小学生時代/読み書きが苦手な子を見守るあなたへ②

  • 2024.11.14

『読み書きが苦手な子を見守るあなたへ 発達性読み書き障害のぼくが父になるまで』(関口裕昭:著、千葉リョウコ:イラスト、宇野彰:監修/ポプラ社)第2回【全9回】 読み書きが苦手な子は40人クラスに約3人。原因がわからず学校の課題をこなせなかったくやしさ、苦しさ。障害を理解し、将来を模索し続けた日々。自立するとはどういうことか、学校や家族ができる、よりよい支援の形とは何か? そして発達性読み書き障害について発信を続け、理解を深めていくことの意味は? 言語聴覚士、また父として日々奮闘する著者が希望と決意に満ちたメッセージを『読み書きが苦手な子を見守るあなたへ 発達性読み書き障害のぼくが父になるまで』で綴ります。

※書籍では当事者へ配慮し、すべての漢字にふりがなが振られています。

ダ・ヴィンチWeb
『読み書きが苦手な子を見守るあなたへ 発達性読み書き障害のぼくが父になるまで』(関口裕昭:著、千葉リョウコ:イラスト、宇野彰:監修/ポプラ社)

音読の宿題ができない

僕が小学生になると、キッチンのすぐとなりにある、家族みんなでテレビを見る場所だった部屋に勉強机が置かれました。あとから母に聞いたのですが、ここに勉強机を置きたいと言ったのは、僕だったそうです。

今になって思えば、その時点で、「ひとりで勉強するのはつらい」という感覚があったのかもしれません。

学校から帰ると、まずそこで宿題をします。

その宿題も、「やりなさい」と言われてひとりで取り組むのではなく、母が台所で家事をしながら一緒にやってくれるというスタンスでした。

この頃、まだはっきりと「読み書きが苦手」と理解はしていなかったものの、自分で問題文を読むことは直感的に避けていたように思います。母に読んでもらいながら宿題をこなしていました。

小学校1年生の頃は、ひらがなを一文字ずつ書いたり読んだりすることはなんとかできる。けれど、ひらがなが連なり単語や文章になっているものを、すらすら読んだり書いたりすることはできませんでした。

文字をきちんと読まずに想像して読む、いわゆる勝手読みや、飛ばし読み、熟語をさかさまに読むこともありました。また一文字一文字をたどたどしく読む逐字読みのため、文章の内容が頭に入ってきません。

それでもひらがなは、なんとか読み書きできていましたが、カタカナに入るとものすごく苦労しました。ちなみにカタカナは今でも苦手で、ゆっくり読んでいます(ビジネス用語は天敵です……)。

さて、話を小学1年生の宿題に戻します。

最初の頃の宿題は、まずひらがなをドリルやノートに書くことからはじまります。

文字を見ながら一文字ずつひらがなを書く、それ自体は難しくありませんでした。マス目も大きく、この時点では書字の負担を大きく感じることもなかったように思います。

それよりも負担だったのは、「音読」の宿題です。

たくさんの文字が並び、文章を構成している。そこに書かれた文字を、ひとつひとつではなく、言葉として文章として読む……これが、本当に難しかったのを覚えています。

僕が自分に違和感を抱いたのは、この頃が最初でした。

学校で先生に「ここを読んでみて」と指名されて、すらすらと読む同級生を見ていて、「みんな家で何回音読の練習をしているんだろう」と疑問に思っていました。

文章が短い1年生の最初のうちは、家で母が読んでくれた文章を覚えて、さも音読をしている風を装っていました。

突然当てられてもすらすらと読める同級生たちと同じように読まないといけない。

当時の僕は、「みんなすごくがんばってるから、僕もやるんだ」と言って、家で必死に音読の練習をしていたようです。音読の練習というか……丸暗記のための暗唱ですね。

読むのが難しいとは誰にも言えないまま、教科書の文章はどんどん長くなっていきます。音読の宿題の範囲も広くなり、丸暗記では太刀打ちできなくなってきて……その結果、僕は音読の宿題から逃げるようになりました。

「読むのが苦手だ」「文字が読めない」とは言わずに、「もう音読の宿題やったよ」「今日の宿題、読むやつない」などと母に調子のいい嘘をついて、あとでこっそりと保護者確認欄に自分で印鑑を押す。そうやって自分の違和感に背を向けることで、僕は自分の心を守っていたのだと思います。

母は何も言いませんでしたが、音読を回避するための嘘には気付いていたのではないかと思います。僕が言いたくなくて隠しているのを知っていて、黙って受け止めてくれたのです。

勉強ができない子だと思われたくなくて必死に努力し隠そうとしていたので、それを指摘されたら、小学生の僕は精神的に大きなダメージを受け、立ち直れなくなっていたかもしれません。

当時、僕も母も「発達性読み書き障害」のことを知りませんでした。

僕が小学校低学年の頃というと、ちょうど2000年ぐらい。

宇野先生と加藤醇子先生が立ち上げた「発達性ディスレクシア研究会」が創立されたのが2001年でしたので、日本でこうした困難さがあることはあまり知られていなかったのだと思います(発達性ディスレクシアは発達性読み書き障害と同じ意味で用いられています)。

もし、知っていたら、母はどうしたのでしょうか。僕を苦しませないために「苦手なら音読はやらなくていいよ、ここだけを読めばいいよ」と言ってくれたかもしれません。

今この本を読んでくださっている保護者の方は、お子さんがなぜ読み書きが苦手なのかをわかった上で、「苦手ならやらなくていいんだよ」と、無理に苦労させたくないと考えていらっしゃるかもしれません。

当時の苦しかった気持ちは、今でも僕の中に残っています。適切な支援が受けられて、読む範囲を減らしたり、別の宿題に変えてもらえれば楽だっただろうと思います。

ただそれでも、苦手を「隠したい」「バレたくない」という思いと、「支援を受けたい」という思いのどちらが勝ったかはわかりません。お子さん自身にとって、前者の思いのほうが強かった場合に、「読み書きが苦手(だからこうしたらどう?)」と突然告げることは、本人がひた隠しにしている「できないこと」を見抜いていると伝えることにもなります。

バレてしまった恥ずかしさ、悔しさ……それにショックを受け、支援を受けるどころか、保護者の方を含む支援者への反発につながることも考えられます。

ここで僕がみなさんに伝えたいのは、「見守ることも支援のひとつ」だということです。

お子さんの困り感に対して、解決するためのアクションを起こすことだけが支援ではありません。

お子さんが援助を求めるタイミングを待つのも支援ですし、いつでも手を差し伸べる準備があるというメッセージを伝え続けることも大きな支援だと思います。

学校での様子を聞き、子どもが「大丈夫」と答える。

その「大丈夫」のトーンに変化がないか。いつもと同じ「大丈夫」なのか、もう苦しくて限界を迎える直前の「大丈夫」なのか。まだまだ本人ががんばりたい「大丈夫」であれば、手を出すのは早すぎるかもしれません。

助けてのサインを見逃さないよう、じっくり見守り、対話を重ねてください。

ちなみに、僕の場合は……「発達性読み書き障害」であることもわからず、「大丈夫、大丈夫」と言いながら、限界まで、あるいは限界を超えても隠し続けていくことになります。

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