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「日本人になるなんて無理…」 日本代表の超レジェンドが『帰化』の真実を告白

  • 2024.11.11
「日本人になるなんて無理…」 日本代表の超レジェンドが『帰化』の真実を告白
「日本人になるなんて無理…」 日本代表の超レジェンドが『帰化』の真実を告白

Text by 佐伯洋(編集部)

日本サッカー界のレジェンドであるラモス瑠偉(67)が元日本代表MF鈴木啓太のYouTubeチャンネルに出演し、日本へ帰化した理由を明かした。

同胞の先輩である与那城ジョージにスカウトされ、1977年、20歳の時にブラジルから日本へやってきたラモス。

当時2部リーグで燻っていた読売クラブ(現・東京ヴェルディ)は彼の加入後、日本を代表するクラブとなった。大きな成功を掴んだラモスは、32歳だった1989年11月に日本国籍を取得し、翌年、日本代表デビューしている。

動画では、日本国籍を取得することになった経緯が語られている。

「ジノ・サニから『あなたにとって読売クラブとは?』と聞かれた。『家族だよ。読売クラブのお陰で家族がみんな救われている』と答えると『帰化しなさい』と言われた」

ジノ・サニは1958年ワールドカップに出場した元ブラジル代表のMF。引退後は指導者となり、1980年代後半には読売クラブで特別コーチを任されていた。

ラモスにとっては尊敬する大先輩だったが、突然の提案に「は?という感じ。髭がモジャモジャで髪も伸ばして…(そんな自分が日本人になるのは)無理やで」と思ったそう。

しかし「帰化したら外国人枠がもう一つ空く。(外国人を)もう一人連れてくることができる。それでアジア(の大会?)を獲りに行こう」と言われ、気持ちが変わったのだという。

こうして日本国籍を取得したラモスは、1989年に日本代表デビュー。1993年には『ドーハの悲劇』に遭遇したが、彼の日本人以上といえる強烈な愛国心はバブル期を謳歌していた日本国民を大いに刺激した。

ただ、「代表のために帰化するつもりは全くなかった」のだという。

ブラジル時代から喧嘩っ早かったラモスは、来日後に試合中のトラブルで2度の長期出場停止を受けており、1981年にはオートバイ事故を起こしている。

自身によれば当時のメディアは「こいつを日本から追い出せ」という風潮で、それを守ってくれたのが読売クラブだった。

帰化はあくまで自分を守ってくれた読売クラブへの感謝と恩返しによるもので、日本代表への想いは後からついてきたようだ。

ちなみに帰化することを当時の妻である初音さん(2011年に逝去)に伝えると、「いらない。日本人にならなくていいよ」と冷たくあしらわれたことを語っていた。

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