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ぼんやりした総意をくっきりさせる「たとえツッコミ」/ツッコミのお作法④

  • 2024.11.11

OKAMOTO'S ハマ・オカモトさんと齋藤飛鳥さんによる音楽トーク番組『ハマスカ放送部』(テレビ朝日)にたびたび出させていただいております。先日の放送で、ハマさんがツアーで全国を回る際に我々へ買ってくださるお土産を選ぼうという企画がありました。その中でおすすめされた湯葉を気に入った齋藤さんが、「じゃあこれ欲しいで〜す」とコメント。そのあまりにも気軽な言い方に僕は「プリンセスすぎない?」とツッコミました。

たとえばこれを「わがままな言い方だな!」と言ってもツッコミとして成立すると思います。ただ、それだとすこしネガティブなトーンが強くなってしまいますし、この番組において齋藤さんのそういった言動はとても面白いし魅力的だと僕は思います。そんな天真爛漫な要素も伝えつつ、言われた方も悪い気しないのが「プリンセスすぎない?」なのかなと僕は考えます。

フィクションの世界の言葉に置き換えてみる

僕は「自分が言ったツッコミ」をあまり覚えていません。YouTubeチャンネル「タイマン森本」の公開前に動画チェックをするのですが、そこで「こんなこと言ってたんだ」と思うことが多々あります。単純に記憶力が乏しいのもあるのですが、無意識に覚えないようにしているのもあります。変に記憶してしまうと、常にその言葉が脳裏にちらついてやたら言おう言おうとしてしまう気がするんです。

それでも、「プリンセス」のように自覚のある頻出ワードはいくつかあります。ヒートアップしてワーッとまくしたてている人に対して言う「クライマックスか!」もそのひとつです。ハリウッドザコシショウさんやティモンディ高岸みたいな声を張り上げる人に言いがちですね。「うるせぇな!」で済ませるより、これも言われた相手が悪い気はしないのかなと思います。やっぱり飾りたいものですからね、クライマックスって。

「プリンセスか」「クライマックスか」は状況こそ全然違いますが、共通している部分があります。それは、自分たちの今の状況をいったん俯瞰して、フィクションの世界におけるいわば“あるある”でたとえているところです。我々が知っているプリンセスは物語の中のお姫様ですし、クライマックスを迎えるのも物語ですよね。「今のあなた、何かの作品だったらこういう状況/キャラクターだよ」とたとえるイメージです。そういうふうに置き換えると、現実をそのまま言葉にするよりマイルドかつポジティブなニュアンスになって、悪いようには受け取られないと思います。

これの亜種として固有名詞を使うパターンもあります。たとえば、めちゃくちゃ悪そうな見た目の人に対して「反社の方じゃないですよね?」だと角が立ちますが、「『アウトレイジ』に出てました?」だったら相手もまんざらではないはずです。『アウトレイジ』に出るって、すごく名誉なことですもんね。万が一本当に反社の方だった場合はいったんその場を離れましょう。

■ツッコミ例 「プリンセスか!」 ■ツッコミ名称 フィクションたとえツッコミ ■解説 フィクションにおける”あるある”にたとえることで、マイルドかつポジティブなニュアンスを加えるツッコミ。ダ・ヴィンチWeb

きつい表現でたとえて笑いをとるやり方もありますが、この連載の3回目でも触れたように、僕は芸人として「なるべく不快になる人を減らす」「人を傷つけない笑いは無理だけど、わざわざ傷つけにいかない笑いはできるはず」をポリシーにしています。だから「今これを言えば笑いはとれるかもしれないけど、言われた側は嫌な気持ちになるかな」と個人的に思ってしまう言い方はなるべく選びません。

そういう言い方でウケたとしても、相手がそれで嫌な気持ちになってしまったら、そこから先のパフォーマンスは絶対に下がっていきますし、人としての信頼も失ってしまいます。せっかくそれまで一緒に楽しくやっていたのが、言葉数が減ってしまったり口ごもったりするようになるかもしれません。相手が芸人なら、それも込みで面白くなる可能性があるのでアリかもしれないですが、芸人以外の方が背負う必要のない負荷です。それだったら、目先の笑いを犠牲にしてでも、ツッコミとして信用していただいたほうが総合的には絶対良い。そういう場面で〈フィクションたとえツッコミ〉はめちゃくちゃ役に立ちます。

これは一般社会でも意外と使えるのではないでしょうか。指摘しづらいことを言わなければいけないときなんかに有効だと思います。会議で熱が入りすぎて口調がきつくなっている同僚に、「ちょっと吹き出しがギザギザすぎるなぁ」とか、いかがでしょうか。マンガでキャラクターが怒ったり叫んだりしてるときに使われる、あれのことです。「ガミガミ言う」の置き換えですね。ちなみにこれはまだ実際には使ったことないたとえなので、もしこれを言ってウケたらぜひ教えてください。今後使うので。

しゃがんだお尻がかぼちゃに見えた…比喩が映像で“降ってくる”

僕自身は映画やマンガをマニアックに追っているタイプではないですし、活字が苦手なので本もほぼ読みません。インタビューなどでたまに「どうやって言葉や表現をインプットしてるんですか?」と聞いていただくことがあるのですが、答えがまだ用意できていません。強いて言うならば、人との会話や、たまたま目にしたものからストックしていっているのかもしれないです。たとえをゼロから生み出すことは不可能なので、過去にそれに似たシチュエーションを見たり経験したりしている必要があります。そういう意味では、自分の人生全部がツッコミにつながっているとも言えそうです。

ママタルトの大鶴肥満という、体重190kgの芸人がいます。ライブ中に2人でトークしていたとき、特になんのボケでもなかったんですが大鶴肥満が後ろを向いてしゃがみこむシーンがありました。190kgの人間がしゃがんだときのお尻を見たことありますか?ど迫力とはこのことかというインパクトでした。それを見て腰を抜かした僕は、「今年いちばんのパンプキンだ」とツッコミました。全国のかぼちゃ農家さんがバカでかいかぼちゃを出品して競い合う「おばけかぼちゃコンテスト」みたいなイベントってありますよね。以前、テレビか何かでたまたま見たそれが記憶にあって、本当にその瞬間、大鶴肥満のお尻がおばけかぼちゃに見えたんです。なんなら優勝して喜ぶ農家のご夫婦まで見えましたからね。

似たところでいうと、学生時代、自転車のサドルに積もっていた落ち葉をフ〜ッと優しく息で払った先輩に「いや、バースデーケーキか」とツッコんだことがあります。そのときはサドルの上にホールケーキが見えましたし、先輩の肩に「本日の主役」と書かれたタスキがかかっているのもうっすら見えた気がしました。答えが降ってきてくれているので、これはただただラッキー。「ありがてぇ」と思いながらそのまま言っています。記憶力のない僕が鮮明に覚えているくらいそんなことは滅多にないので、基本的には脳をひっかきまわして引っ張り出してます。こういうのを当たり前に連発できるのが諸先輩方のすごさですよね。

「たとえたい」気持ちが先行して痛い目を見た過去

たとえツッコミの本質は、みんなが薄々思っていることの輪郭をくっきりさせることです。観ている人に「そうそう、そう思っていた」「言われてみれば、たしかに」と思ってもらえたとき、その気持ちよさが笑いにつながるんだと思います。僕はくりぃむしちゅーの上田(晋也)さんに憧れて芸人を志しました。上田さんといえば、たとえツッコミの代表的存在。面白さと気持ちよさが見事なバランスで共存してますよね。

ただ僕は、養成所時代、その大前提を完全に無視して痛い目にあいました。当時は今と違ってコンビで漫才をしていたのですが、上田さんに憧れるあまり、全ツッコミにたとえを盛り込んだネタをやっていたんです。「岩塩か」と言いたすぎて、塩も味覚もまったく関係ないボケに対して「素材の味を活かすな!岩塩か!」と無理やりツッコんでめちゃくちゃスベったのを覚えています。

たとえたいだけのツッコミはエゴに過ぎません。あのしょっぱい経験が成長に繋がりました。岩塩だけに。

(取材・文/斎藤岬)

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