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【黒柳徹子】安いクレンジングでメイクを徹底的に落とす

  • 2024.11.11
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第30回】元参議院議員 藤原あきさん

この連載もあっという間に30回目だそうです。早いわね。そんな中、時代や職業や育ってきた文化もバラバラな、私が「美しい」と思う人たちの人生を追ってみて、あらためて「不思議だけど面白いなぁ」と思うことがありました。それは、女性が輝くタイミングは、人生の中で何度となく訪れるものだということです。(これはちょっと偏見かもしれないけど)男の人にスポットライトが当たる場面って、どうしても「仕事」に集約されがちだけれど、女の人の場合は、「経験」を活かして、いくつになっても新しい自分を見つけていっているような気がするのです。

なので今回は、恋でも仕事でも、年齢を重ねながらいろんな花を咲かせた印象のある女性・藤原あきさんのお話をします。肩書は……資生堂美容学校の校長先生に日本のタレント議員第一号、日本を代表するテノール歌手として大活躍した藤原義江の元妻等々。とにかく波瀾万丈の人生を送られた方です。生まれも育ちも華やかで、お父様は福沢諭吉の甥で三井財閥の近代化に尽力したとされる中上川彦次郎。その三女として生まれますが、お母様はお妾さんだったようです。彦次郎には子どもが10人いて、皆何不自由ない生活を送るのですが、あきさんは子供の頃から美的な感覚に優れていて、学習院女学部でも成績優秀、将来は女流画家になる夢を持っていました。

それなのに、16歳のときに15歳年上の開業医と無理やり結婚させられてしまいます。娘2人を授かったものの、結婚後7年で別居に踏み切り(いくら愛のない結婚だったとはいえ、すごい勇気!)、その後、売り出し中のテノール歌手・藤原義江さんと出会い、恋に落ちるのです。藤原義江といえば、現在でも活動を続けている国産オペラ上演団体「藤原歌劇団」の創設者(創設はあきさんとの結婚後の1934年)です。私が東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)の学生だった頃、落ちこぼれだった私の前で、「藤原歌劇団に就職が決まった!」と報告する友人は、決まって成績優秀なエリートでした。イギリス人の父、日本人の母を持つ、誰もが認める二枚目で、当時は、「我等(われら)のテナー」と呼ばれるほど、日本の女性たちを熱狂させるだけでなく、海外でも注目を集めていた時期。最初はあきさんにとっての今で言う「推し」だった藤原義江さんですが、やがて彼女の聡明さや明るさ、積極性に惹かれていったようです。開業医との離婚成立後、彼女は愛する人を追ってイタリアのミラノに移住し、二人の情熱的な恋愛は「世紀の恋」と謳われました。そして2年後、二人は正式に結婚します。

第二次世界大戦中は、オペラだけでなくほとんどの娯楽や芸術が否定された時期だったので、夫妻も苦労を強いられたと思います。戦後になると、夫である義江さんは歌劇団のプリマドンナと浮き名を流すようになります。夫婦関係は破綻していきますが、当時のあきさんは、上流階級で培われた着物の着こなしやマナー、海外生活を経て磨き抜かれた美容法などを雑誌で披露し、女性たちのファッションリーダー的存在になっていたのです。

私がNHK専属女優だった頃、当時人気だった「私の秘密」というクイズ番組で、資生堂の美容部長をなさっていたあきさんがレギュラー解答者になって、女性を中心に人気を博していました。そのとき何度かお目にかかる機会があって、美容法などを伺うと、「お化粧品は、高いものを使う必要はないの。大切なのは、お化粧をきれいに取ること。クレンジングは、安いのでいいの。高いのだと、ケチケチ使ってしまうから」とおっしゃっていました。以来、私は資生堂のいちばん安いクレンジングローションをもうウン十年使っています(笑)。香料も入ってないもので、夜はメイクを落とすだけ落として、昔からずっと使っている資生堂の赤のパッケージの化粧水をバシャバシャつけます。乳液やクリーム、美容液なんかはそのときどきで頂き物やら流行り物やら浮気をしてますが(笑)、クレンジングと化粧水だけは浮気知らずです。

あきさんは、その後、いとこの藤山愛一郎から、「あきちゃんほど全国に顔と名前を知られている人はいない」という理由で、参院選への出馬要請を受けます。でも、参院選に出馬するならば、「私の秘密」のレギュラーは降板しなければなりません。あきさんがいとこのために出馬を決意すると、選挙スタッフは、「清く正しく美しく」というオシャレの哲学をもとに、「清い政治、正しい社会、美しい国土」というスローガンを作り、あきさんは、なんと116万票(!)という大量得票でトップ当選したのでした。

元参議院議員 藤原あきさん

元参議院議員

藤原あきさん

1897年、福沢諭吉の甥で山陽鉄道の創設者・中上川彦次郎の三女(庶子)として東京に生まれる。女子学習院時代は容姿端麗・成績優秀で「院内三大美女」と謳われる。17歳で開業医と結婚し宮下姓に。二女をもうけるが7年後に別居、藤原義江との恋愛中に離婚が成立。1930年藤原義江と結婚、翌年男児をもうけ、その後は藤原歌劇団の設立(34年)に尽力。54年資生堂に入社、美容部長となった翌年NHK「私の秘密」レギュラーに。57年、藤原と離婚。59年、資生堂美容学校の校長に就任。1962年本名の中上川アキとして参院選に出馬し当選。タレント議員第一号となる。1期目の任期中の67年8月、悪性リンパ腫により逝去。享年69。

─ 今月の審美言 ─

「安いクレンジングでメイクを徹底的に落とす。藤原あきさんのアドバイスを60年以上徹底しています」

取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト

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