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結婚式には「誰一人も招待しない」──二人で辿り着いた、幸せのための選択

  • 2024.11.10

「女の子は結婚式を夢見るもの」などとよく言うが、私はそんなものを夢見たことはない。たったの一度も。

私にとって、式を挙げるというアイデアはいつも不思議に思えてならなかった。だって、家族や友人たちの全視線が注がれるなかで、大きな式場のど真ん中をゆっくり歩くなんてありえない。床を引きずるほどのふわふわのガウンを着て? ふわふわはおろか、ガウンさえ好きではないこの私が? おまけにヴェールでわざわざ視界を塞ぎながら。それに、みんなの前で愛する人とキスを交わすなんてもってのほかだ。その上、お金だってかかる。旅行するか、家を買うために貯金するほうがいい。誰かが結婚式を挙げると言うたびに、私はこう思っていた──「それはすてき。でも、私はやらない」と。少なくとも、今のパートナーに出会うまでは。

自分らしい結婚式って? パートナーと辿り着いた、二人だけのウエディング

彼女は結婚、ひいては結婚式にあまり興味がなかったし、お互いそんなことをする気はさらさらなかった。しかし、イビサ島で旅行中のある朝、ビーチでオレンジジュースを飲んでいたとき、彼女に「結婚、する?」と尋ねられた私は、すんなりと二つ返事で頷いたのだ。“コミットメント”としての結婚に必要性は感じなかったけれど、それはロマンティックで、自分たちの関係に対するチャレンジにもなるのではないかと感じた。「ふさわしい人のためなら、自分のルールを破ってもいい。ときには自分を驚かすようなことがあってもいい」と思えた瞬間だった。

ところが、結婚式の日が近づいてくるにつれて、悪気なく茶化してくる周囲の発言に胸が締め付けられるようになった。ちなみに、「ファーストダンスの曲は何にするの?」という質問は私が結婚式を挙げたくない理由その10,792。結婚式以外では絶対にしないであろう、奇妙にもゆっくりとしたダンスをみんなの前で披露するなんて。バースデーパーティーさえ好きではない私が(20代のほとんどの誕生日には一人でニューヨークに行っていた)結婚に同意したという事実が、ますます滑稽に感じ始めた。宙に向かってブーケを投げる私、知り合ったばかりの私の同級生と酔いつぶれる叔父さん、大きすぎるウエディングケーキ……。“その日”をイメージするたびに、私が思い描くそれではないという気がした。理論的には楽しいけれど、ちっとも私らしくない。

結局、私は周りが想像するようなものについていけなかったのだが、幸いなことにフィアンセも同じだった。そこで私たちが決めたのは、「誰一人も招待しない」ということ。ウエディングドレスも着ないし、バージンロードも歩かない。でもその代わりに、地中海に浮かぶフォルメンテラ島のビーチで、ひっそりと二人だけで式を挙げることにした。白いビキニ姿で、カウボーイハットを被って。すべては直感だった。必須条件は、ゲストがいないということ! そうして私たちは、この世で最も確立された、しかし同時に奇妙な伝統でもあるこの結婚という儀式を人知れず行った。

理想や伝統へのとらわれを取り払って

Hands of two women different ethnicity: Korean and African: one on top of the other

私は、家族や友人が激怒して泣いたりと失望することを覚悟したが、大したリアクションは起きなかった。実際のところ、誰もそんなに気にしていなかったのだ。ある日、キッチンにいた叔母は手を止めて「あなたならそうするだろうと思った」と言い、また平然と玉ねぎを切り始めた。「あなたたちが幸せならなんでもいいのよ」。彼女のこの言葉で、私は明らかに“結婚式に求められること”にとらわれすぎていて、基本的なことを忘れていたと気づいた。結婚式では、自分たちが望むことをしていいんだと。

ある意味、みんなの意外な反応のおかげで私の不安な気持ちは和らぎ、二人だけの式の数週間後には家族や友人、ごく少人数だけを集めてパーティーを開くくらいならいいかもしれないと思うようになった。でも、そこにバージンロードはない。ブライズメイドもいなければファーストダンスもしないし、階段で大量の紙吹雪をまくこともない。ただ音楽とお酒とダンスを楽しむ、それだけ。それに1段のウエディングケーキなら、無理なく食べることもできるかもしれない。

もちろん、私はほかの人たちの結婚式が大好きだ。誰かのおばあちゃんが新郎の会社の同僚と一緒におしゃべりするようなゲスト同士の交流も、みんなが愛を祝福する姿も。結婚というものが、一生忘れられない最高のパーティーを開く口実となることも。私自身も、そんな結婚式にしたいと思えたらよかったのだけれど、やっぱりそう思えない。でも、今ならこう言える。それで全く問題ないのだ。

Text: Daisy Jones Adaptation: Motoko Fujita

From VOGUE.CO.UK

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