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バリキャリに憧れてモーレツな先輩を真似するうちに、後輩が退職した

  • 2024.11.10

バリキャリに憧れていた。
大学まで行かせてくれた親に、そして何より今まで頑張ってきた自分に報いるには、それが1番だと思って。

田舎者の私にはバリキャリというのがあまりイメージができなかったが、とにかく都会に出て会社に勤めて活躍したら名乗れるのではないか、と考えた。
就活では人並みに努力して、憧れだった格好良さげな会社に入社した。

◎ ◎

配属された職場には、女性の先輩は1人しか居なかった。
キャリアイメージがふわふわな私だったが、すぐにその人が目標になった。
その先輩はとても優秀だった。学生時代は専門外の学問をしていたにも関わらず、努力家で業務知識の造詣が深く、みんなに可愛がられていて、プロジェクトのリーダーをいくつも兼任。
通勤時間も同じくらいで、趣味も似ていたこともあり、親近感が芽生えた。

私はその人の行動を同じように真似してみたら少しでも近づけるのでは、と考えた。
朝7時30分過ぎに出社。お昼休みもメールを返し、20時に退勤。出社までに構想をメモで書いてきてたくさん提案する、上司に週1でタスクの進捗状況を報告・相談する。
休日も1日は自己研鑽。
このあたりまでは、低い次元で何とか真似できた。

◎ ◎

しかし、先輩と同じプロジェクトになった時、圧倒的な差に打ちのめされた。
そのプロジェクトは大炎上していた。
毎日のように発生する仕様変更に対し、延々に「穴を掘って埋める作業」をする羽目になった。四六時中、虚無感に苛まれた。
先輩は出社が朝6時過ぎ、退勤を22時にして、家に着く頃には日付を跨ぐ程になった。上位者への報告は毎日になっていた。
先輩と能力が違う分、せめて同じように過ごそうと、私も勝手に同じように過ごすことにした。
そして、絶対に終わらない仕事量と向き合った。
一度仕事量で相談をしたら、「でも、しょうがないからね」という明るい一言で返ってきたので、諦めて進めることにした。
ただ、どこに向かうのか分からない仕事に気力は上がらず、私は毎日のリズムを崩さないようにするだけで精一杯だった。
それでも悲しいことに、私の体はついていけなかったのだった。
無力な自分が情けなかったが、もう涙が止まらなくなっていて、プロジェクトから外れることになった。
先輩は全く文句も言わず、淡々と仕事をしているというのに。情けない。

◎ ◎

肩を落としていた時、入社時から仲良くしていた後輩が退職した。
「みんながモーレツな仕事の仕方をしていたら、後輩はこの職場はキツいなーと思って辞めますよ」
ハッとした。
私にとっては、先輩は憧れで努力家で働きマンなところが格好良かったけれど、後輩にとっては暑苦しいキツい職場だったのかも。
後進を考える余裕なんてなかった。本当にごめんなさい。

私はむやみに真似するのを止めた。
同一の存在になる必要はないのだということに気づき、向き合うことにした。
WLBも意識して、睡眠時間が取れるように出勤時間を見直した。仕事のやり方も改善した。

後輩が悩んでいそうだったら、積極的にタスクの調整の相談の仕方を一緒に考えた。
存在するものの使いづらい福利厚生制度を堂々と使って、自分が前例になればいいじゃん、と考え始めた。
自分は別のロールモデルを次世代に提示する方向に舵を切った。
逃げかもしれないけれど、自分なりのキャリアを探したらいいと思えるようになった。

◎ ◎

世間では「これをやればこういう仕事で成功します!」と成功者がパッケージを売っている。
でも、成功者と同一の存在になることはかなり難しいし、そこに甘い言葉で漬け込む悪いやつもいる。
ただ憧れに突っ走るだけじゃなくて、自分の色を出していく方法も考えてもいいのかもしれない。

■ひまりんのプロフィール
文系学部卒のシステムエンジニア。一児の母。

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