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休職を申し入れたら人手が補填された。それでも私は組織を離れた

  • 2024.11.10

社会人になってまだ2年目。人生で初めて休職をした。
就職活動の中でも、周りの大人たちにも、同じ会社で3年は働いた方がいい、そんな根拠の無い言葉を呪いのように自分にかけて、耐えて、耐えてきた。3年間は耐えないと、転職をするにも3年は辞められない、そう言い聞かせた。でも、限界が来てしまった。

◎ ◎

一般的には、転職をするにはやりたい事やステップアップのため等のポジティブな理由で、今の会社で働きながら内定を貰って、転職するのがいいと言う。たしかにそれは理解出来るし、出来るならそうありたいと思う。けれど、現実はそんなに甘くはなくて、明確な夢もやりたい事も、働きたい会社も分からず、とにかく現状から抜け出したいと、私の頭の中は真っ黒なマイナス感情でいっぱいだった。

全くの善人と言うつもりは無いが、変に生真面目な性格の私は、嘘をついたり、嫌なことを言われたりされたりした時に上手く交わすのが苦手で、全て正面で受け止めてしまう。そして、引きずる。なんて生きづらい。正直者が馬鹿を見る、本当にそんな感じだ。

それでも、働きながら日々様々な転職サイトを覗いては、休日に転職イベントへ参加した。平日の夜に、ZOOMや電話で、紹介会社の担当者と経歴や希望条件等の打ち合わせもした。平日仕事終わりに急いで面接に出掛けたり、休日に採用試験に挑んだり。でも、どれも上手くはいかなかった。あなたならウチにぴったりだと言ってくれたのに。これは直接の合否とは関係ありませんと言っていたのに。転職したい理由を正直に教えてくださいと言われたから、正直に伝えたのに。

ことごとく、私は就職・転職活動に向いていないと思う。

◎ ◎

結局、転職活動も上手くいかず、職場の環境が改善されることも当然無いまま、先に降参したのは、私の心と体だった。

我慢して、我慢して、もがき続けた結果、私が手に入れたのはいったい何だったのか。

大して多くもない給料と引き換えに、私の時間や健康、興味ばかりが奪われていった。あんなに好きだった旅行も、カフェも、漫画も、映画も、お菓子作りも。気がつけば、興味が薄れていき、気力が無くなっていた。世界がグレーに見えた。鮮やかな色がひとつ、またひとつと無くなっていった。ああ、人が壊れる時ってこんな感じなのかな。

◎ ◎

1ヶ月先に病院の予約をとった。その日は有給を取り、病院で人生初めての診断書を受け取り、翌日、会社の上司に休職を申し入れた。
引き継ぎ等の準備をしてから、1ヶ月の休職が認められた。

診断書を出して休職するとなると、今まであれほど涙ながらに訴えてきたのに叶わなかった、人手が補填された。違う部署に行きたいと訴えても叶わなかったのに、休職後、他の部署で受け入れてもいいと告げられた。もっと早くそう言ってくれていたら良かったのに。

手のひらを返して、卓上に並べられた綺麗事に、心が少し揺れたが、「離れよう」そう思った。その段階で、別に次の就職先が決まっていたわけでも、何か今後の予定があるわけでもなかった。

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それでも少し、休みたかった。仕事や他人のことばかり考えて悩んで、いつの間にか見失ってしまった自分を見つけなきゃと思った。

働くのは何のため?誰のため?よく分からないまま、必死に歩き、時に走り続けてきた。

休職、退職してからは、とりあえず必要な書類や手続きを一通り済ませた。あとは、気が向いたら散歩に出掛けたり、昔好きだったドラマのDVDをレンタルして一気見したり、サブスクの無料体験に登録して、好きなアニメを一気見したり。新しいことを始めてみたり。そうして少しづつ、心の余裕と、自分の好きを取り戻していった。

離れて初めて、失業保険の仕組みを知った。職業訓練の存在を知った。同じ場所ばかり見ていて、視界が狭くなり、周りが見えていなかったなと実感する。

◎ ◎

あの時止まって、止まれて良かった。自分の心も体も犠牲にする価値のある場所では無かったのだ。

歩き続けていると、時に視界が狭くなってしまうもの。これからは、心と体が限界を迎える前に、時には立ち止まって周囲を見渡したい。

■mariとりんごのプロフィール
旅行好き。漫画、本好き。

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