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【目白台】永青文庫 令和6年度秋季展「信長の手紙―珠玉の60通大公開―」

  • 2024.11.11

信長の手紙60通で辿る、室町幕府滅亡から本能寺の変まで激動の10年と真の信長像

永青文庫で開催中の熊本大学永青文庫研究センター設立15周年記念 令和6年度秋季展「信長の手紙―珠玉の60通大公開―」[2024年10月5日(土)~12月1日(日)]を見て来ました。

永青文庫には細川家伝来の織田信長(おだのぶなが)の手紙59通が所蔵されていて、重要文化財に指定されています。そのうち1通は信長直筆であることが確実な唯一の手紙です。 2022年には永青文庫で新たに信長文書1通が発見され、コレクションはあわせて60通となりました。 現存する信長文書約800通のうち60通がひとところにまとまって伝来するのは他に例がなく比類のないコレクションと言えます。

60通は細川藤孝(ほそかわふじたか)に宛てたものが最も多く、明智光秀(あけちみつひで)宛ても6通あるそうです。

本展は、室町幕府(むろまちばくふ)滅亡前後から本能寺(ほんのうじ)の変まで激動の10年を、信長の手紙60通で辿り、真の信長像に迫る展覧会です。

※特別な許可を得て撮影しています。館内は撮影禁止です。

 

出典:リビング東京Web

右から、細川幽斎(藤孝)像 江戸時代(17世紀) [絵]伝 田代等有筆 [和歌]細川幽斎筆 、細川忠興像 江戸時代(17世紀) 、細川忠利像 寛永18年(1641) [絵]矢野三郎兵衛吉重筆 [賛]沢庵宗彭筆 すべて永青文庫蔵 通期展示

「あなたの働きこそ重要なのです。」新発見!60通目の信長文書《織田信長書状(おだのぶながしょじょう)》

新発見の60通目の信長文書には、室町幕府滅亡へと至る過程で、将軍・足利義昭との決裂の要因と考えられている義昭奉公衆と信長の対立の深まりが伝わってくる文言があります。 「今年は「京衆」からは誰一人として音信してきません。」の京衆とは「義昭奉公衆」のこととされています。

さらに、義昭奉公衆の1人でありながら、のちに信長を主君と選んだ細川藤孝(幽斎)との関係性や、藤孝の畿内での調略活動も浮かび上がって来るといいます。 藤孝の働きに対して信長文書には「あなたの働きこそ重要なのです。」とあり、義昭奉公衆の中でただ1人、細川藤孝だけが信長に内通していることを物語っているそうです。

60通目の信長の手紙が書かれたのは、細川の苗字を名乗っていることや手紙の内容から元亀3年(1572)と見られ、翌、元亀4年(1573)義昭は挙兵するも畿内の領主たちを結集できずに終わり、これをもって室町幕府は滅亡したとされています。

信長は、将軍が持つ「天下」の「成敗」権を義昭から委任された形で、室町幕府の体制立て直しを最後まで考えていたとされます。 新発見文書を含む60通の信長の手紙は、守旧派・義昭VS革新派・信長という従来の通説だけにとらわれない信長像を見せてくれるかもしれません。

 

出典:リビング東京Web

織田信長書状 細川藤孝宛 (元亀3年〈1572〉)8月15日 武井夕庵筆 永青文庫蔵 通期展示

忠興宛、重要文化財《織田信長自筆感状(おだのぶながじひつかんじょう)》の豪快な筆勢

『細川家文書』の白眉と言われる重要文化財《織田信長自筆感状》。

信貴山城(奈良県平群町)で反旗を翻した松永久秀(まつながひさひで)に対する追討軍に参加し、松永方の片岡城攻めで活躍した細川忠興(ほそかわただおき)に信長が与えた自筆の感状です。

豪快で勢いのある筆致で、忠興の手柄をほめ、さらに励むように、と簡潔な言葉で伝えています。 堀秀政(ほりひでまさ)が出した添状には「御自筆の御書を成され候」とあり、間違いなく信長の自筆とのことです。

 

出典:リビング東京Web

手前、重要文化財 織田信長自筆感状 細川忠興宛 (天正5年〈1577〉)10月2日 織田信長筆 永青文庫蔵 通期展示

熊本県指定重要文化財 伝 細川藤孝所用《紅糸威腹巻(くれないいとおどしはらまき)》、
熊本県指定重要文化財 細川忠興所用《黒糸威横矧二枚胴具足(くろいとおどしよこはぎにまいどうぐそく)》

信長の手紙とともに展示されていた熊本県指定重要文化財 伝 細川藤孝所用《紅糸威腹巻》。紅の糸の威が今も華やかに色を残しています。

中央の《唐草九曜紋象嵌火縄銃 銘 肥州住林清三郎重吉作》を挟んで左側は、熊本県指定重要文化財 細川忠興所用《黒糸威横矧二枚胴具足》です。

 

出典:リビング東京Web

右側、熊本県指定重要文化財 紅糸威腹巻(伝 細川藤孝所用) 安土桃山時代(16世紀) 熊本県立美術館寄託、中央、唐草九曜紋象嵌火縄銃 銘 肥州住林清三郎重吉作 江戸時代(17世紀) 林又七作、左側、熊本県指定重要文化財 黒糸威横矧二枚胴具足(細川忠興所用) 安土桃山時代(16世紀) 熊本県立美術館寄託 すべて永青文庫蔵 通期展示

甲斐の武田軍との攻防を伝える信長文書

天正3年〈1575〉5月20日付の細川藤孝に宛てた重要文化財《織田信長黒印状(おだのぶながこくいんじょう)》。※展示は終了しています。

織田・徳川連合軍が武田騎馬軍と長篠合戦で激突する前日の手紙が展示されていました。 18日に織田勢が鉄砲の射手を前面に押し出したため、武田勢が身動きがとれなくなったようだとし「(敵は)かえって擒(とりこ)になっている」と伝えています。

翌日の天正3年〈1575〉5月21日付の藤孝に宛てた重要文化財《織田信長朱印状(おだのぶながしゅいんじょう)》は、武田軍に長篠合戦で勝利したことを伝える合戦当日の速報です。 信長が「(藤孝が)鉄砲の射手の件を申し付けてくれたこと、嬉しく思う」とあり、鉄砲が戦の勝敗の決め手となったことを伝えています。

歴史ファンにはよく知られている合戦ですが、信長自ら実況中継をしているようで、とても興味深い内容です。

11/16~12/1の期間は、細川藤孝宛の重要文化財《織田信長黒印状》(天正10年〈1582〉4月15日 永青文庫蔵(熊本大学附属図書館寄託))が展示されます。 天正3年から7年後の天正10年3月、織田勢が信濃へ侵攻し、武田氏は滅亡。藤孝が送った戦勝を祝う書状への返信に信長はあっけなく滅んだ武田氏に「我ながら驚き入るばかりに候」と述べています。

 

出典:リビング東京Web

右、重要文化財 織田信長黒印状 細川藤孝宛 (天正3年〈1575〉)5月20日 展示:10/5~25※展示は終了、重要文化財 織田信長朱印状 細川藤孝宛 (天正3年〈1575〉)5月21日 通期展示 すべて永青文庫蔵(熊本大学附属図書館寄託)

光秀・藤孝、共同で丹波攻略、信長への報告も欠かさず

天正3年(1575)5月に長篠合戦で武田勢に勝利し、8月に越前の一向一揆をせん滅した織田信長は、9月に明智光秀と細川藤孝に丹波攻略を、荒木村重に播磨奥郡の国衆の調略をそれぞれ命じました。

各地へ派遣された織田直臣の武将たちは、信長へ緊密な情報報告を求められていたようです。 後に荒木村重は信長に反旗を翻しますが、光秀と藤孝は共同で丹波攻略にあたり、信長への情報伝達の頻度も高かったそうです。

信長の藤孝への返信には「「惟任方」=光秀からも詳細な報告を受けた。」「(藤孝も)まことに熱心に、たびたび報告を入れてくれること、喜悦の至り」とあります。

丹波攻略と丹後入国後の国衆の成敗は、光秀と藤孝に任されていたようで、信長は2人の報告を追認するだけだったことを示す手紙が残っているそうです。

信長は、光秀の能力を高く評価していたようで、信頼も厚かったことをうかがわせる手紙が残っているそうです。 天正10年(1582)4月24日付の信長文書には、中国出陣について藤孝に準備するよう指示し、末尾に「なお、詳細は明智光秀が申し伝える」とあります。

 

出典:リビング東京Web

「光秀の丹波攻略と信長・藤孝」展示風景

本能寺の変 「猿」は秀吉⁈

天正5年〈1577〉3月15日付の細川藤孝ら4人の武将へ出した黒印状(右)。 文書冒頭に「猿が(本陣に)帰って来て、昨夜の(戦の)様子を詳細に報告した。」とあり、「猿」は羽柴秀吉、または忍の者との説もあるようです。

天正10年6月2日に本能寺の変で明智光秀の奇襲により織田信長は討たれます。 細川藤孝・忠興親子は光秀の誘いには同調せず、山﨑合戦で光秀を破り天下人となった秀吉と同盟し、丹後一国の支配を確立しました。

 

出典:リビング東京Web

右、重要文化財 織田信長黒印状 細川藤孝・丹羽長秀・滝川一益・明智光秀宛 (天正5年〈1577〉)3月15日、重要文化財 織田信長黒印状 羽柴秀吉宛 (天正8年〈1580〉)6月1日 すべて永青文庫蔵(熊本大学附属図書館寄託) 通期展示

 

出典:リビング東京Web

重要文化財 羽柴秀吉書状 細川藤孝宛 (天正10年〈1582〉)8月8日 永青文庫蔵 通期展示

細川藤孝(幽斎)の見ていた信長像は

織田信長に信頼され知略と武勇に優れ、和歌、能、茶の湯など諸芸に通じていた戦国武将・細川藤孝(幽斎)。 関ケ原合戦では、忠興共々東軍に参戦し、徳川家康(とくがわいえやす)に仕えた細川家は、後に肥後熊本藩(ひごくまもとはん)の藩主となります。

2階展示室には、古今伝授の継承者としても知られている細川藤孝(幽斎)筆の熊本県指定重要文化財『源氏物語』4冊が展示されていました。

信長の手紙60通からは、「根切(敵をせん滅)の覚悟」「(わが軍が敗れないのは)天の与えるところ」など従来の信長のイメージと重なるところもあります。 藤孝や光秀のような有能で能力のある部下を用いて緻密に情報戦と調略を行い、将軍・義昭と室町幕府の再興を模索していた姿からは、これまでとは違う信長像も見えて来ます。

藤孝が仕えた信長の様々な側面が一次資料の信長の手紙を通して垣間見れる展覧会でした。

 

出典:リビング東京Web

右手前、熊本県指定重要文化財 源氏物語 安土桃山~江戸時代(16~17世紀) 細川幽斎筆 熊本大学附属図書館寄託、左側、源氏物語図(初音・藤裏葉) 江戸時代(19世紀) 住吉弘定筆 すべて永青文庫蔵 通期展示

『織田信長文書の世界 永青文庫 珠玉の六〇通』

もっと知りたいという歴史ファンや信長ファンには、信長の手紙60通の詳しい解説が載っている『織田信長文書の世界 永青文庫 珠玉の六〇通』(3,080円)がおススメです。(※在庫は永青文庫HP等でご確認ください。) 永青文庫で開催中の令和6年度秋季展「信長の手紙―珠玉の60通大公開―」は12月1日(日)までです。 是非お出かけください。

 

出典:リビング東京Web

国宝 柏木菟螺鈿鞍 鎌倉時代(13世紀) 永青文庫蔵 通期展示(13代将軍・足利義輝より拝領)

文京区立肥後細川庭園

錦秋の候を迎える肥後細川庭園。池泉回遊式庭園を散策するには丁度良い季節です。 ※肥後細川庭園と敷地内にある松聲閣は無料で入れます。

〇令和6年度秋季展 熊本大学永青文庫研究センター設立15周年記念「信長の手紙―珠玉の60通大公開―」
会期:2024年10月5日(土)~12月1日(日)
展覧会図録:『織田信長文書の世界 永青文庫 珠玉の六〇通』(公財)永青文庫/熊本大学永青文庫研究センター(編) 勉誠社 2024年10月5日初版発行

〇公益財団法人 永青文庫
URL:https://www.eiseibunko.com/
住所:〒112-0015 東京都文京区目白台 1-1-1
TEL:03-3941-0850
館時間:10:00~16:30(入館は16:00まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌平日が休館)、展示替期間、年末年始
入館料:一般:1000円、シニア(70歳以上):800円、大学・高校生:500円
※中学生以下、障害者手帳をご提示の方及びその介助者(1名)は無料
※状況により、臨時に休館や開館時間の短縮を行う場合があります。
※事前予約は必要ありませんが、混雑時は待つ場合があります。
※最新の情報はX(旧Twitter)またはホームページでご確認ください。

〇文京区立肥後細川庭園
住所:〒112-0015 東京都文京区目白台1-1-22
TEL:03-3941-2010
開園時間:午前9時から午後4時30分まで (但し、入園は午後4時まで)
松聲閣(しょうせいかく):午前9時から午後5時まで

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