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「食べるのが大好きだった」すい臓がん末期で食べられなくなった60歳女性の「人生で一番おいしかったもの」の話

  • 2024.11.9

死や老いを身近に感じた時に強く思い出す食べ物はどんな物なのか。がん専門の精神科医の清水研さんは「すい臓がん末期の女性は40年前に浜松駅前のファストフート店で食べた海老バーガーがおいしかったと言った。私はその海老バーガーがとてもおいしかっただけでなく、人生でもっとも思い出深い味なのは何かほかにも理由があるのだろうと思った」という――。

※本稿は、清水研『不安を味方にして生きる:「折れないこころ」のつくり方』(NHK出版)の一部を再編集したものです。

食べられなくなっても食べ物の番組を見ていた患者さん

以前、すい臓がんが進行して入院された山口尚子さん(仮名・60歳女性)と何度かお話しする機会がありました。私には明るく、「もう十分がんばったし、死ぬのは怖くないです」と話されました。「渋沢栄一ゆかりの家に行ったとき、とても懐かしいにおいがして、昔私はここにいたんだと確信したんです。いまの私はそのときの生まれ変わり。次はどこに生まれるのかな」と、輪廻転生を信じているようでした。

すい臓の腫瘍が大きくなって十二指腸を圧迫し、摂取した食べ物が胃から先に進まない状況のため、食事をとれないのが残念でならないとのことでした。「私は食べることが大好きでね。もうビールを飲みながらウィンナーを食べられないのかなあ」と、冗談っぽく話しました。私が「いい感じに焼けたウィンナーをかじると、肉汁がピューッと出るのがおいしいですよね」と応じると、「そうそう、ほんとうに」と笑いました。

山口さんは、入院中は食べ物の番組ばかり見ていました。「自分が食べられないのに、他人が食事するのを見るのはつらくないですか?」と尋ねると、食べられなくても紹介された食べ物の味を想像できるので楽しいと言うのです。山口さんは食べることの感性が高い方なのだろうと思いました。

グリルのジューシーなホットドッグ
※写真はイメージです
海老バーガーの思い出

その後、圧迫された十二指腸を広げる処置を受けたため、重湯を摂取できるようになりました。山口さんは、「とてもうれしいです。梅びしお〔梅干に甘みを加えて練った調味料〕をおかずに重湯を食べたのですが、梅びしおってこんなにおいしかったんだ、ってしみじみ思いましたよ。あと何回、口から食べられるのだろうと思うと、味がこころにしみました」と満面の笑みを浮かべて話してくれました。

自然と食べ物の話になり、いままで食べたなかで、もっともおいしかったものについて尋ねました。山口さんは少し考えて、「40年前に浜松駅前のファストフート店で食べた海老バーガーだねえ。不思議なもので、B級グルメのほうがよく覚えているんですよ。海老がすりつぶされていなくてほどよく形が残っていてね、ケチャップとマヨネーズを混ぜたソースとの相性が最高で。ほんとうにおいしかったなあ」と、懐かしそうに語りました。

その海老バーガーがとてもおいしかっただけでなく、人生でもっとも思い出深い味なのは何かほかにも理由があるのだろうと思いつつ、そのことには触れないまま面談は終わりました。

人生を振り返る

その後山口さんは緩和ケア病棟に移りましたが、私は引きつづき訪れ、話をしました。

徐々に体力も低下し、ベッドから起き上がるのもやっとの状態になったとき、「いままでいろいろあったけれど、私もここまでやってきました」と、ご自身の人生を振り返ってなのか、しみじみおっしゃいました。

ベッドに座る年配の女性
※写真はイメージです
「こんな私だけど、これでよかったのかね」

私はもう一度海老バーガーの話がしたくなり、「山口さんも生きてこられていろいろなことがあったのでしょうね。やっぱりいまでも人生でいちばんおいしかったのは海老バーガーですか?」と聞くと、「やっぱりそうだね」とのことでした。そして、当時のことを話しはじめました。

「自分の家は貧乏だったから、おかずはもやしとかで、もっとおいしいものを食べたいなって食事のたびに思ったんです。おなかがすかないように、母親は苦労しながら姉と私にご飯だけは食べさせてくれた。そんな母親にわがままを言ってはいけないと我慢していたから、食べ物にこんなに執着するのかもね。父親は頑固な人で、あれこれとうるさくて、家のなかは緊張感があって窮屈だったんです。

あれは自分が高校を出て働きだした頃だから、20歳くらいだったかな。駅前にはじめてファストフード店ができて、それまでひとりで外出なんかしなかったのに行きたい気持ちが勝って、車を運転して食べに行ったんです。お店でほおばった海老バーガーがほんとうにおいしくてね」

山口さんの子供の頃の食卓を想像し、「食べることが大好き」と言う理由がわかった気がしました。昭和50年代、経済成長のなかで急速に発展していく浜松の街の様子を私なりに想像しながら、窮屈な子供時代から自由になろうと、山口さんが夢中で食べた海老バーガーの味を思い浮かべました。そして、「山口さんの若い頃にはそんな情景があったのですね。海老バーガーはほんとうにおいしかったでしょうね」と言葉をかけました。

「食べたい一心で、無我夢中だったね。一口ほおばったときのおいしさはいまでも覚えている」と、山口さんはしみじみと話しました。そしてしばらく沈黙したのち真顔になり、「こんな私だけど、これでよかったのかね」と言葉を続けました。

私は、「こんな私」と自分を粗末にする表現をしたことと、窮屈な子供時代を過ごしたことには何か関係があるのかもしれないと想像しました。そのうえで、自分の素直な気持ちを伝えました。

「山口さんと話しているとき、私はいつもほんとうに楽しい時間を過ごしていました。そんな素敵な山口さんがダメなんてことはありえないと、こころの底から思いますよ」と。

山口さんは、「そうかな。ありがとう」と、顔をくしゃくしゃにして涙を流しました。

日常が輝きを放つ

人は死が近づくとこれまでを振り返り、「自分の人生はこれでよかったのだろうか?」といった問いが浮かぶことがあります。山口さんが海老バーガーを食べた日は、人生の転換点だったのでしょう。それで、生涯でもっともおいしかったものとして海老バーガーを思い出したのではないでしょうか。

自分の生きる意味を探し求めている私も、死が近くなってこれが最後かもしれないと思ったとき、山口さんの梅びしおのように、日常の何気ないものが輝きを放つのではないかと想像します。そして、懐かしい過去にたくさん想いを馳せ、「いろいろなことがあったなあ。失敗もしてきたけど、これでよかったな」と振り返ることができるのではないかと期待しています。会いたい人に感謝を伝えて別れを告げ、体力が許せば思い出の場所を訪れ、そのたびにしみじみと涙を流すのでしょう。

死を意識することから、今日生きていることへの感謝の念が湧きます。人生の第一ステージは、夢、希望など万能感を追い求める段階で、勇ましくて元気な喜びがあります。一方で人生の第二ステージは無常観が根底にあり、そこでは喜びも、しみるような、あるいは悲しみの裏返しのようなかたちなのではないかと思います。

木製のテーブルの上に美しい大きなハンバーガー
※写真はイメージです
年をとることは恵み

2021年に、作家の岸本葉子さんと対談する機会がありました。岸本さんは2001年、40歳のときに虫垂がんになり、生存率は30パーセントと告げられたそうです。それから20年たち、老いについての著作がベストセラーとなりました。私は「老いと豊かに向き合うにはどうしたらよいでしょうか」と岸本さんに尋ねたのですが、そのときの言葉が印象的でした。

「私にとって、老いること、誕生日を迎えることは恵みなんです。虫垂がんで死について考えた経験があるので、“ああ今年も1年過ごせた”と誕生日のたびに感謝の気持ちが湧いてきます」この言葉を聞いて、私ははっとしました。私のなかではネガティブなイメージがあった老いへの感じ方が少し変わり、温かい気持ちになりました。長生きが当然という前提だと、年を重ねることで人生の残りが減っていく感覚になり、体力が落ちることに喪失感もあるでしょう。一方で、岸本さんは40歳でがんになり、亡くなる可能性のほうが高かったので、このような感謝の気持ちが湧くのだと思います。

作家の芥川龍之介は自殺を意図したのち、友人にあてた遺書のなかで、「ただ自然はこういう僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである」と記しています。

清水研『不安を味方にして生きる:「折れないこころ」のつくり方』(NHK出版)
清水研『不安を味方にして生きる:「折れないこころ」のつくり方』(NHK出版)

芥川の自殺の理由は「将来に対する唯ただぼんやりした不安」だとされていますが、この世と別れると覚悟したら不安はなくなり、別れゆくものに美しさを感じたのではないでしょうか。

自殺を覚悟しなくても、人生の有限性に気づくことができれば、自然が輝いて見えるのではないかと思います。ある意味これは、「死を味方にして生きる」ことと言えるかもしれません。

私自身も、年々自然の見え方が変わってきました。小学校の入学式のときに見た桜は純粋に美しく、子供の私は希望に満ちていました。今年、桜の名所である千鳥ヶ淵を散歩したときには、桜の花は散りはじめたところでした。私にも、いずれこの世との別れが来るだろうとの思いが浮かぶと、しみるような感動が湧きあがり、涙があふれてきました。

「死を味方にして生きる」と突然言われたら、意味がわからず、逆説的に感じるでしょう。

けれど、これまでお伝えしてきたように、死を意識することでいまこのときがいずれ失われると認識し、感謝の気持ちが湧くのです。

それが、人生の第二ステージを豊かにするための大切なカギとなるだろうと、私は確信しています。

清水 研(しみず・けん)
精神科医・医学博士
1971年生まれ。金沢大学卒業後、都立荏原病院での内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院での一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント。以降、一貫してがん患者およびその家族の診療を担当する。2006年より国立がんセンター(現・国立がん研究センター)中央病院精神腫瘍科に勤務。2012年より同病院精神腫瘍科長。2020年4月より公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医。

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