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【連載】女性が自立できないのは時代のせいなのか?/三浦瑠麗氏連載「男と女のあいだ」#8 女の自立

  • 2024.11.6
@Ari HATSUZAWA
@Ari HATSUZAWA

【写真】かつて訪れた、ペンシルバニア州の大きな川 本人提供写真

国際政治学者やコメンテーター、そしてエッセイストとしても幅広く活躍する三浦瑠麗氏によるエッセイ「男と女のあいだ」。夫と友人に戻り、「夫婦」について改めて思いをめぐらせるようになったご自身のプライベートや仕事、過去を下敷きに「夫婦」を紐解いてゆきます。連載第8回は、女性が自立しようとすると遭遇する困難の数々を、ご自身の体験談とともにお届けします。

#8 女の自立

今から20年以上も前のことだった。まだ若かったわたしは、結婚後初めてアメリカの親戚に紹介されることになり渡米した。そのときの心細さと文化的な違和感は、いまだ鮮明に記憶している。異なるファミリーに嫁(か)すことは、国境を跨がずとも緊張感を伴う。ましてやわたしはそれまで海外で留学したこともなかった。

春が早く訪れるアメリカ南部の川べりに立つ一軒家をバケーションレンタルして、三世代の大家族で集まった。青と白を基調とした室内は軽やかで、ところどころに大きな白い貝殻が飾ってあった。居間に続くベランダはそこからほどなく大西洋に注ぎ込む大きな河口に近い緩やかな流れに面しており、ボートを出すための桟橋が近くにある。この地方は古くから煙草の一大産地ということもあり、大人の女たちはウエストを締め付けない軽い服装をして皆屋根付きのベランダに座り、日がな一日煙草を燻らせていた。揃って銘々の出身大学のパーカーにジーンズを着た若者たちは、引いた単語をジェスチャーで当てさせるカードゲームに興じていた。わたしはもくもくとした煙草の煙を避けて屋内にいたのだが、英語の聞き取りにまだ不自由していたため所在がなくて、ほんのちいさな子どもたちとかくれんぼをして遊んだ。

かくれんぼはじきに隠れ場所を失い、そのうち鬼ごっこに転じた。追いかけると子どもたちは一斉に叫んで逃げる。捕まったらくすぐられるのが怖くてスリルがあるのだろう。もういまでは当時の面影を残さずに大きくなってしまった3歳の男の子は、大家族の集まりにはしゃいでいたせいもあり、息を切らしてクローゼットに駆け込み、捕まらないよう折戸をバタンと閉めて壊しそうになる。あまり興奮させないで、うるさいから、と母親である義理の従姉に窘(たしな)められたのはわたしだった。大人の仲間にも入りきれず、子どもとこうして一緒に遊ぶのはわたしの年齢にふさわしくないのだということを知って、わたしは悄然(しょうぜん)として読書に帰った。分厚いサミュエル・P・ハンチントンの『The Soldier and the State(軍人と国家)』を読み通したのは、他にすることもないこの春休みのお蔭だった。

旅先でもしわになりにくいということで持っていったウールのジャケットとワンピースを着ていたわたしは、アジア人のしかも女ということもあって、はじめ物珍しげにされた。彼らがじかに知っている日本人は、男性かそれとも言葉の通じない背丈のちいさな高齢女性ばかりだったから。家族でリゾートに来ているのにカントリーハウスにでもいるような窮屈な恰好をしているというのは、よほど「解放」されていない女性に違いない、と感じたのかもしれない。就寝前に部屋着として着るために持っていった黒い絹のガウンの印象がそれに拍車をかけた。あなた日頃からそんなのを着るの? 呆れた声音が隠し切れないコメントはひとりの女性の正直な感想で、わたしは夜のあいだは部屋に籠って居間へ出ていかなかった。

それは、ある種の後ろめたさだったかもしれない。女たちの連帯に加わっていない自分への。煙草の仲間にも加われず、髪をラフに束ねたパーカー姿でソファの上に胡坐を組むこともできない。もっとアメリカンに、陽気でさばさばした女性像を演じるべきだったのだろう。だが、己を欺くことはやはり難しい。結局、わたしはこの20年間というものアメリカ化することはなく、異国の女性のままだった。そして、そういうものとして皆に受け容れられていった。

結婚は一回しかしたことがないから、他所の事例は分からない。ただ、今となっては異文化や異言語は物事を相対的により難しくした一つの要素にしか過ぎないことが分かる。若い女性であるということが、わたしにとって一番の困難だった。

男性は、良くも悪くも放っておかれる。学校でクールに見られたいとか、女の子にもてたいとか、スクールカースト的な立ち位置であるとか、そういう難しい物事と男性が無縁なわけではない。それはそれで熾烈な競争と緊密な人間関係の構築を要する。若い男性がまず直面する問題は、集団における仲間作りと、権力構造にどう従うか(あるいは上に抗うか)という自身の存立をかけた課題だろう。

女性は男性ほど熾烈な権力構造がない代わり、どのような相手であるかを問わず、常に見られていることを意識している。どう見られているかを自ら積極的に探り出し、それを素早く内面化しようとする。女性の多くが男性よりも物事を察知する能力が高いのは当然だろう。物心ついたころから一生かけてそれをやってきているのだから。説得の技法には、前にも述べた共感が関わっているが、女性はそれを駆使して幼少期から周りの説得に努める。彼女たちなりに許された影響力を確保するために。

母性や女性論についての古典的エッセイを書いたアメリカの詩人、アドリエンヌ・リッチは、あの知性溢れるヴァージニア・ウルフの口調にさえ、どこか苦心している感じ、躊躇いが滲んでいると指摘する。それはアドリエンヌ自身の感じている躊躇いでもあった。努めて平静で、距離を置いたものの言い方をすることで、男たちに受容されたい、魅力的にさえ見えたいと思っているヴァージニアの心性を、アドリエンヌは共感とともに指摘する。

次の一文がまさに本質を衝いているだろう。「ヴァージニア・ウルフは女ばかりの聴衆に語っている。でも彼女が痛いほどに意識しているのは――つねにそうだったが――、男たちにも話が聞こえてしまうことだ」。

知を解さない人や敵対的な人びとではなくて、むしろ朋友(ほうゆう)であり、師であり、親しい家族や恋人であるような、そんな男性たちこそ、女性に大きな影響を与える。彼らは当然に、自分たちは評価を下す側であると思い込んでいる。女性は他者の眼差しを意識するが、その両者の関係は相互主義ではない。絶え間なく評価を下しつつ、それでいて自らは一歩も動こうとせず、己の言語表現に置き換えてしか相手の言葉を咀嚼できない他者の眼差しに晒され続けることで、ヴァージニアの言葉は磨かれた。彼女の文学は、そのような自己研鑽を経ていない多くの人には到底追いつけない客観性の高みにあったのだが、だとしても、本当に彼女の苦しみは必要だったのだろうか。それをいま、わたしはどちらとも言えず分からないでいる。

はたして男が、「自分が話していると女にも聞こえてしまう」ということに悩んできただろうか。つい最近まで、そのようなことは起きなかった。いま社会の要職にある高齢の男性は、懸命に「自分の言葉が女たちにも聞こえてしまう」問題に対処させられている。しかし、男たちは自らを客観視することや客体となることに慣れていない。そのため、まずは話に前置きを置くことを覚えた。「このようなことを言うと炎上するかもしれませんが」「不適切と言われるかもしれませんが」――ではなぜ言うのだろう。それに少しくおかしみを覚えつつも、わたしは彼らの心理を頭では理解する。自分こそが主体であるという感覚、その立場を抜け出られないのだ。

だが、当然ながらそのような前置きの適応レベルでは到底足りることはなく、失言報道に続く反省とパージ(追放)とが社会では繰り返されている。世代交代が瞬時に起きて人口がそっくり入れ替わってしまうなどということが起こらない限り、この「見せしめ」は続くだろう。こうした風潮を歓迎する気持ちが女の側にあることはよく分かる。ただ、これまで極端な表現においては「女は存在しない」と言われ、客体であり、また主体であることを否定されてきた女が、男も客体となることを強要するのに情熱を傾けるというのは、報復的な怒りの感情を措(お)くとすれば一体何なのだろうか。

なぜ不倫は社会的制裁の対象となってしまうのか

「お前が何を意図し、どう感じたかは問題ではない。私たちがどう受け止めるかが重要なのだ」――例えばこうした表現には、数の力を持ち、主流であることを恃(たの)んだ主体性の模索という自家撞着(じかどうちゃく)が見て取れる。自分自身がどう感じるか、どう物事を視たか。それを基準として考えを述べることは主体性の発揮である。しかし、「私たちがどう感じるか」というのはまた違うことを意味する。客体的な外部視点の集大成として主観を形成する人々が、他者にその判断結果を押し付けるとき、そこに個々の主体性は存在しない。男が女に同じような判断尺度を押し付ける場合も同様である。

だから、男と女について論じることは、本当は見かけほど容易いことではなく、実に難しいことなのである。例えば、「女性は長らく男性の所有物として、金銭や家畜を対価として取引可能な存在として歴史的に位置づけられてきた」と述べることは正確な表現だろう。その実例はいくらでも挙げられるし、法制度と社会慣習の歴史を紐解けばただちに跡付けることができる。だが、男性優位社会とは何であったか、という視点で過去の歴史を再構成することはできても、ではわれわれ(女)とは一体何なのかという問いに答えられぬ限り、そこから一歩も先には進めない。男とは何かという問いもいまでは同じ運命にある。

このことをわたしが痛切に感じているのは、戦争を著作の題材として扱ってきたからだ。文化人類学や歴史研究の蓄積によって、資源をめぐり集団間の紛争が起きるインセンティブ構造は説明できる。環境により集団の行動や性質は変わる。「自然状態」が何であるか、という問いにはあまり意味がないのである。意味がないだけでない。自然状態という状態が何であるかをわたしたちは知りえない。同じ種を殺す人間というものの存在を解明することは、個々の紛争を説明する作業とは別次元にある。紛争は説明できても、人間存在についてはそうであるということしか把握できない。したがって、フェミニズムが歴史的な記述と分析を終えて思想に転じれば、女とは仮にこうである、男とは仮にこうである、ということを前提としてしか成り立たなくなる。だが、わたしたちは女が何であるか、まだわかっていないのだ。

現代という時代を見ていると、女がいままで味わってきた客体化による困難を、むしろ規範化して社会全体に拡げようとしているのではないかとさえ思うときがある。例えば、長年にわたり多くの国が姦通罪を妻にのみ適用してきた結果、男女同権が進むと却って反動が生じた。現在の日本では、不倫は男女問わず激しい社会的制裁の対象となっている。女は男の物質的な財産でなくなった代わり、婚姻は相互の性行動の束縛権とそれが損なわれた際の懲罰・求償権を意味するようになった。結婚というのは自由な個人同士の対等な繋がりではなくて、相手に対する己の権利を守るための制度として見なされているようだ。当事者や法の定めを飛び越して、世間や大衆的メディアが掟に背いた者に「焼き討ち」をかけて回っているのも、どこか先祖がえりを思わせる。

つまり、長年の闘争の末に解放されたはずの女性たちは、どうやら客体であることからの自由を手にしていないようなのである。女たちの社会の掟は書き換わりつつも維持され、男性をも対象範囲に取り込んで拡大している。自立した女を危険視する類の男たちの攻撃から逃れるために、嘗(かつ)て女が求めたのは「理解ある伴侶」だった。男性の伴侶の代わりに登場した新たなる庇護者が女性的社会なのだとすれば、それは幾分か危険を含んでいる。女性が何であるかが欲望や衝動によってではなく規範的に定義され、それにすべての人が絡めとられてしまうかもしれないからである。こうした変化を先駆者たちは予期していたのだろうか。

女が連帯する、というのには不思議な魅力がある。女同士で会えば、それが初対面の相手であったとしても友愛の情はすぐに表に出てくる。相手の話に耳を傾け、何を欲しているかを悟ってなるべく相手の望みを叶えようとする。そして相手の話の遺漏(いろう)部分も、あまり指摘することなくやさしく許してしまう。円滑に、円滑に。男性との間ではそうはいかない。はじめに警戒心があり、相手がどういう人間かを見定めなければならない。

「女たちの連帯」から遠ざかって生きてきたのは、男性社会に交わって男のように仕事をするためではなくて、自分自身でいるためだった。あの絶え間ない観察とおしゃべりと自らを客観視し位置づけようとする客体としての「女」の存在がどうも己の姿に似すぎており、近すぎるからだ。女からも男からも一定の距離を取っておくことが、わたしにはどうしても必要だった。

所謂「男」にはならず、女でありつづけながら庇護者を求めないという生き方は難しい。予め分類されたボックスの中に収まった方が楽だからだ。男性には、誰かの所有物であり傀儡(かいらい)であるという疑いが降ってくることはない。しかし、女はむしろその「所有者」が明確でないことが社会に不安を呼び起こす。あるいは逆の事例もある。

君は独りでいる方がいい。男に所有されるのは君には似合わない。ある友人にそう助言されて、わたしは危うくその人と仲違いしそうになった。独りでいることに異議を唱えたのではない。そこには誰のものにもならないというわたし本人の意思ではなくて、そうあってほしいという他者の願望に寄り添うことへの勧奨があったからである。だから、わたしは誰のものでもないと見なされることさえも嫌なのだった。

【写真】かつて訪れた、ペンシルバニア州の大きな川 本人提供写真
【写真】かつて訪れた、ペンシルバニア州の大きな川 本人提供写真

ミューズは存在するのか

ミューズという言葉がどこか使いにくいものとなり始めたのも、今世紀に入ってからだろう。ミューズは憧れを寄せ、見られる「対象」だからである。その眼差しはいつしか、どこか不快な過去の記憶となった。ミューズであるというのは、他者の基準でジャッジされることである。何が悪いかではなく、何が良いかという基準をもってして、理想を投影されること。しかし、そのような理想が実体であったことはない。そして、いずれ現実とのあいだで不協和音を立てはじめる。こうして、写真家にとってのモデルが、映画監督にとっての女優が、男性作家や詩人にとっての恋人が、それぞれ大っぴらにミューズであった時代が幕を閉じようとしている。

ミューズでありたい女性たちが大勢いたのは確かだ。それが単なる妻や恋人よりも一段特別な存在だったからだ。ジュリア・ロバーツの主演した映画「ベスト・フレンズ・ウェディング」ではその揺らぎが描かれている。ジュリアが演じた主人公を一言で表すとすれば、大きな肩パッドの入った現代版の女神、である。野球観戦をしながら少し下品な冗談を自ら飛ばすことのできる女。自分勝手で、自由人で、一途で、結婚に夢など持たなかったはずなのに、それでも土壇場で自分から求婚する女。

最終的に男は去ってゆくが、それは明らかに彼女との間では自我がぶつかり合い、喧嘩しつづけることになるからだ。妻となる女性(キャメロン・ディアス)はありのままの彼を受容し、愛する。この映画では、同性愛者であることをカミングアウトして長らく映画界で冷や飯を食わされてきたルパート・エヴェレットが、実際にゲイの友人として出演しているのも見逃せない。彼女をもっとも理解してくれている人は、友人にしかなれない。彼女が本当に愛しているのは自分自身なのだから、それも当然なのだ。利己的な者同士のあいだに結婚は成り立たない。ならば彼と多くの時間を過ごす献身的な妻より、唯一無二のミューズでいたい。それが1997年の女の欲望だった。

雑誌の編集者たちは、男性たちの眼差しの代わりに「わたしたちのミューズ」という表現を編み出した。女の欲望を扱う人々はとっくの昔に、大事なのは男の評価そのものではなく、自分たちの憧れであり満足であるということを知っていたからだ。わたしが思春期に差し掛かったとき、すでにジェーン・バーキンは「わたしたちのミューズ」の地位を確立していた。その彼女の実像は、村上香住子さんが新著『ジェーン・バーキンと娘たち』で愛惜を込めて描いている。惜しみなく愛を注ぎ、頑固なほど自然体で、そして多数の憧れの眼差しが寄せられる客体としての自己の存在をよく分かっていた女性。ミューズの纏う神性は残っていていい。その喜びと苦しみが彼女をこれほど大きな存在にしたのだから。

女はどうしたら自立できるのだろうか。それは難しい問いで、思考錯誤を重ねるしかない。わたしがアドリエンヌのことが好きなのは、そこには借りてきたものがないからである。彼女は常に自らの苦しみと喜び、それが多くの場合同時に存在していることについて語っている。他者についての観察を語る時にも同じ姿勢を貫いている。評論家めいた眼差しもなければ、目覚めた者として厳かに真理を告げるような謹厳(きんげん)な口ぶりもない。皆、彼女自身が母であること、妻であることと、人間であり詩人であることの闘いの中で苦しみぬいて手にしてきたものばかりだった。

母性の中に、女性性の中に、自ら窒息せんばかりになって、そしてそれでもひとりの人間であろうとして、彼女は筆を走らせる。女を自立せしめるものは強い意思である。

義姉の家に滞在した際に、早朝の散歩に出かけたときに撮影した川の様子 本人提供写真
義姉の家に滞在した際に、早朝の散歩に出かけたときに撮影した川の様子 本人提供写真
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