1. トップ
  2. 恋愛
  3. 職場で迎えた限界。着たい服が選べないほど「無」になっていた感情

職場で迎えた限界。着たい服が選べないほど「無」になっていた感情

  • 2024.11.6

「休職させていただきたいです。すみません」

この文字を上司へ送信するのに1時間くらいかかった。精神科で適応障害と書かれた診断書をもらったその日の出来事だった。

◎ ◎

私の仕事はお客様からの問い合わせに対応すること。メールベースでのコミュニケーションだった。だから、直接対面して怒鳴られることや、問い詰められるようなことはなかった。ただ、ストレス耐性がそんなに強くない私には色々きつかった。

文字だけだと、送り主の感情がわからない。「問い合わせ」という形で送られてくるメールの数々。クレームや質問、ただの感想が混在している。送り主が怒っているのか、平常心なのか、ただ質問をしたいだけなのか。テキスト情報からだけだと、全然わからなかった。だから私はいつも返信に細心の注意を払った。相手を不快にさせない文言を考えて、大きな揉め事にならないように、判断を間違えないように。いつも緊張感を持って仕事に取り組んでいた。その結果、情緒が不安定になった。仕事中に涙が止まらなかったり、うまく睡眠をとることができなくなっていった。

◎ ◎

体に不調が出始めて、いよいよ赤信号だな。と感じたから精神科を受診した。そこで仕事の悩みについて一気に吐き出した。悩み相談が下手くそな私。初対面の病院の先生に話を聴いてもらって安心したのか、号泣した。そんな私の状態を見て、先生は「休職が望ましい」と書かれた診断書を出してくれた。それをお守りに私は職場に休職願いを提出した。

やっと休める。やっと仕事から離れられる。そう思うと安心できるはずなのに、上司に休職をしたい旨を伝える文字を打ってる時、嗚咽と鼻水と涙が止まらなかった。積み上げてきたキャリアが崩れるようで悲しくなったし、自分の限界を見誤って、仕事を断ることや調整すること、周りに相談することができなかった自分が情けなくなった。そんな自分を責める気持ちは約1ヶ月くらい続いた。

◎ ◎

少し前向きな気分になってきた頃、自分は何が好きだったのかを思い出すことから始めてみた。この頃、私は自分で着たい服が選べないくらい感情が「無」になっていた。

スマホのメモ帳に「好きなことリスト」を作って、日常の中で「あ、これ、好きかも」とちょっとでもいいから感じたことをメモした。すると、1週間ほどで飽きてきた。書く内容が大体一緒なことに気がついたから。引き立て豆で入れたコーヒー。焼きたてのパン。朝早くの散歩。一人での外食。料理をすること。そんな内容ばかりだった。自分の趣味、嗜好がだんだんわかってきた。好きなことたちを思い出すと、外出意欲も戻ってきた。メンタルダウンしていると、家から出る気力がなかったが、食べたいものや、やりたいことが分かるようになると「あそこにいってみよう!」という気分になった。

◎ ◎

休職前、自宅と職場の行き来の毎日だった。休日も気づけば仕事に関する本を読んだり、情報をチェックする癖がついていた。自分のための休みの日がいつの間にか消えていた。
仕事に熱中すると会社の方針、上司の思考、チームでの自分の役割。そんなものにどんどん飲み込まれる。そうなると自分の行きたい場所、休日にしたいこと、お金をかけたいこと。こんなことがわからなくなる。

休職する時、「あーあ。社会人人生詰んだなあ」「経歴に傷ついたなあ」なんてことを思った。でもこの一時休息、一旦立ち止まったことで、自分の忘れていた感情を思い出すことができた。自我が戻ってきた感覚があった。今は復職して元気に仕事ができている。自分の好きなものも忘れていない。しっかり趣味に全力投球できている。仕事は生きる目的じゃない。私にとっては自分を生きるための方法の一つにすぎない。これを忘れたくない。

■みなちゃんのプロフィール
管理栄養士 │ 口から産まれた米屋のむすめ │ 食べ物が最後は胃に収まる世界を夢見る │ ラジオ「#聴くキッチン」放送中│ instagram:@mina_jp_37

元記事で読む
の記事をもっとみる