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クインシー・ジョーンズが死去。享年91歳

  • 2024.11.5
Quincy Jones attends The Recording Academy And Clive Davis' 2019 Pre-GRAMMY Gala at The Beverly Hilton Hotel on February 9, 2019 in Beverly Hills, California.

音楽界のレジェンド、クインシー・ジョーンズが亡くなった。91歳だった。11月3日(現地時間)にロサンゼルスの自宅にて、家族に見守られて亡くなったと代理人がAP通信を通じて発表。遺族は次のように声明に綴っている。

「今夜、満ちたりながらも悲痛な思いで、父でありきょうだいであるクインシー・ジョーンズが亡くなったことをご報告せねばなりません。家族にとっては途方もない喪失ですが、彼の生涯を称え、また彼のような人は二度と現れないと偲んでいます。彼は真に唯一無二の人であり、我々は心から彼を惜しむでしょう。彼の本質である愛と喜びを、作品を通じて世界中と共有できたことに、慰めと誇らしさを感じます。音楽と無限の愛を通じて、クインシー・ジョーンズは永遠に生き続けることでしょう」

Quincy Jones Leaning Back on Piano

1933年にシカゴで生まれたジョーンズは、ジャズバンドのトランペット奏者を経て、音楽プロデューサー、編曲者、作曲家として活躍し、フランク・シナトラ、マイケル・ジャクソン、ポール・サイモン、アレサ・フランクリンらの名曲を世に送り出した。マイケル・ジャクソンとは、1979年のアルバム『オフ・ザ・ウォール』、1982年の『スリラー』、1987年の『バッド』でタッグを組み、R&Bとロックを融合させた「ビート・イット」では、エディ・ヴァン・ヘイレンにギターソロを依頼し、後に伝説となった。

1985年には、アフリカの飢餓問題に立ち向かうべくミュージシャンらに呼びかけ、チャリティーソング「ウィー・アー・ザ・ワールド」をリリースし、世界的に大ヒットを記録した。長年のキャリアの中で、グラミー賞に80回ノミネートされ、28回受賞。また、映画『カラーパープル』(1985)の楽曲を手がけ、アカデミー賞にもノミネートされた。

生涯を通じてキング牧師の活動を支援しており、晩年は特に慈善活動に力を入れた。プライベートでは、3度の結婚を通じて、ラシダ・ジョーンズ、キダーダ・ジョーンズ、ケニヤ・キンスキー・ジョーンズ、クインシー・ジョーンズ3世、ジョリー・ジョーンズ・レヴィーン、マルティナ・ジョーンズ、レイチェル・ジョーンズをもうけた。

Text: Tae Terai

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