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ツンとした汗、ざあざあ降る雨。今でも抱きしめたくなるあの頃の匂い

  • 2024.11.3

教室の窓に打つようにぱらぱらと響く、雨の音。その音が静まりかえって、晴れ間が見えると、窓を開ける。そうすると、雨上がりの空の匂いがほのかに広がっていた。

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高校生の頃、夏休み前の7月や文化祭が近づくと強く降った雨の匂いを、私は今でも覚えている。野球部のユニフォームに染みついたツンとした汗の匂いと、教室の窓からざあざあと降る雨の匂い。その2つが混ざり合った、青春特有の匂いを、今では愛おしくてぎゅっと抱きしめたくなる。

あの頃過ごした教室の匂いと音は、この先いくつになっても忘れられないはず。長い人生のなかで、たった3年間という短い時間だったけれど、そのなかにいろんな匂いが詰め込まれているのだ。
英語の小テストに落ちて、再テストも落ちて、もうダメだ、人生終わりだ、と泣いたときの塩辛いような涙の匂い。門限18時ギリギリまで粘った文化祭の準備で使ったカラースプレーと段ボールの匂い。体育が終わって汗だくで着替えた更衣室の匂いと、ボディ―シートから漂う柑橘系の匂い。そのすべてが、青春だったのだと22歳になった今では思い知らされるばかりだ。特に、辛いことがあったとき、楽しいことがあったとき、高校生の自分に話しかける感覚で、そうした匂いの数々を思い出したりする。

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高校生の頃はまだ思春期で心も身体も揺らぎやすいけれど、10代の頃にしか宿っていない感覚を頼りに、毎日ちっぽけかもしれないことにも必死で向き合っていた。そうやって生きるのは10代の頃にしか許されないことで、日常で感じるいろんな匂いが、あの頃に一瞬で戻ったような感覚にさせてくれる。忘れられない青春と、10代を彩った匂い。もう校舎に行く機会は高校の頃と比べると全くといっていいほど、無いに等しい。それでも、ツンとした汗の匂いや文化祭のざわめきを吸い込んだ非日常的な教室の匂いは、あの3年間を明白な青春として蘇らせてくれるものだ。きっとここから20年、30年たってオバサンになっても、青春時代を振り返らなくなっても、その匂いには必ずどこかで再会できるような気がする。

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青春は早く過ぎ去っていくもので、どちらかというと多幸感よりも痛みと弱さをひしひしと感じる時代だと表現するのがふさわしいかもしれない。だからこそ、忘れられない匂いが必ず誰にだってあるのだと思う。

そして中学時代よりも、やはり高校時代は濃厚であったからこそ、匂いが色濃く残っている。制服や鞄、ローファー。蒸し暑い昼下がりの体育館に漂う汗臭いにおい。どうしても思い出す、あの頃見ていた景色。なんだか切なくなってしまうけれど、その切なさが心温まるものであることに違いないから、その目には見えない匂いを私は思わずぎゅっと抱きしめたくなるのだ。それは大人になればなるほど、愛おしくなるし、欲を言えば戻りたくもなる。

あの頃は大人への憧れを抱いてばかりいたのに、不思議なものだ。それでも時間は一刻一刻と進んでいくのだから、前を向いて進むために、高校時代の匂いと思い出とどこかでまた出会えるように、心のお守りとして大事に温めていこうと思う。

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一生、忘れられない匂いとはこれからも出会うと信じられるのは、痛さと脆さをちっぽけながら感じ取った高校時代があったからなのだ。

匂いって目に見えないのに、こんなにも人生に影響を与えるものというのも、衝撃を感じずにはいられないのだけれど。恋の匂いやら雨の匂いみたいに、もちろんきれいごとを感じ取る匂いばかりではない。それでも、私は忘れられない強烈な匂いに今でも頼りたくなる。

忘れられない痛さと弱さ。そっと見守るようにして、時には鬱陶しいほど染みついた青春という名の匂いが、きっと未来にも現れると信じたいものだ。

■真桜のプロフィール
恋愛の神様、北川悦吏子先生に憧れながら、小説やエッセイを執筆しています。

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