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私たちの周りにあふれる「セクシー」。で、結局その意味って何なのだろうか?【連載・ヴォーグ ジャパンアーカイブ】

  • 2024.11.1
Photo_ Tesh Model: Tasha Tilberg
Photo: Tesh Model: Tasha Tilberg

セクシーで、わるい?」と表紙にある。2001年の夏はこういう挑戦的な態度が、性的魅力のステレオタイプを打破するおしゃれなイメージだったようだ。時は小泉ブーム。「自民党をぶっ壊す」と叫ぶ小泉純一郎首相が独身のセクシーな総理大臣として大人気で、この号の発売1ヶ月後には写真集『KOIZUMI』が発売されている。“日本女性「ファーストレディ」たちに贈る、私の全てがここにある”と謳い、風呂上がりのバスローブ姿などが収録されていたらしい。私はたまたま職場に落ちていたのを手にとって、おっと私は人妻だからお前のファーストレディじゃねえやとデスクの対角線上に光速スライドしたので中身は見ていない。独特の“ライオンヘア”やワンフレーズの言い切り話法でテレビ映えする小泉氏に「こんな総理が見たかった」と人々は熱狂した。

セクシーといえば、2019年の国連気候行動サミットで、当時の環境大臣・小泉進次郎氏(純一郎氏の次男である)が「On tackling such a big-scale issue like climate change, it's got to be fun, it's got to be cool, it's got to be sexy, too.(気候変動みたいに大きな課題に取り組むときには、楽しくてクールで、そしてセクシーでいなくちゃいけないね)」と意気込みを語って話題になった。日本の記者からは真意を問われた進次郎氏は「それをどういう意味かって説明することがセクシーじゃないよね」と繰り返した。氏は2021年には、2030年度の温室効果ガス排出を2013年度比で46%削減する目標がおぼろげながら浮かんでくるという神秘体験をしたようだが、それはfunとcoolとsexyのどれにあたるのか。sexyか。父子それぞれに個性的な話法である。しかし2000年代の小泉改革によって非正規雇用労働者が大幅に増え、格差が拡大して階層移動が極めて困難になった今の日本に必要なのは“セクシーな政治家”なんかじゃないだろう。

誌面に目を戻すと「ニュー・セクシーの37の条件」というのが載っている。どれどれ。「01.他人の目とは関係なく、自分に自信を持っている 02.ベビードールドレスには、レザーブーツを合わせる 07.最も伝えたいことは、視線で語る 24.メイクのポイントは目におく」「26.ノーブラでもかまわない 33.若さを誇りにしてはいけない 30.自分がセクシーであることに歓びを感じる 37.セクシーを武器にしても平気」「05.ビッチと言われてもかまわない 16.トラッシュではなく、下品スレスレができる」大胆不敵で自由なイメージを重視しているようだ、「10.バッグはふたつ以上下げない 20.ジャストエウスとのパンツははかない」細かいダメ出しもある。「27.軽やかなあきらめを知っている」それは私も知りたい。「32. ゲイからも一目おかれる」ゲイ幻想! 23年の時の流れを感じさせる項目も多い。各所にシスへトロ男性の目線を色濃く感じるのだが、当時の編集長が男性だったことも影響してるのだろうか。23年前の私がそうだったように、女性もまたシスへトロ男性視線を深く内面化していた時代だ。ちなみにこの「セクシーで、わるい?」特集号にはやけに胸を露出した女性の画像が載っているのだが、手元にあるページだけでも乳首を数えたら女性が11個、男性が2個である。女性の乳首は、セクシーさの象徴らしい。大写しの裸の乳房を掲げて、山田詠美の肉感的な短編小説と、エロスを語るインタビューも載っている。

だれが、なにがセクシーかをモードの賢人たちがあれこれ語っているが、2001年的セクシーの筆頭はケイト・モス、編集部が挙げた日本のセクシー番長は叶姉妹と藤原紀香、ニューカマーの米倉涼子。「露出はしてもノーブラだけは御法度の日本的意識はどこで崩れるのか? やっぱり、わがままな自我がまだまだ不足か?」とある。23年経ってブラキャミ愛用者が激増したのでみんなちゃんとわがままになっている。俺のブラにいろいろ言うなという意識が高まったのは確かだ。そのうちユニクロがノーブラブラを作ってくれるだろう。

繁殖期を終え、ヒトが単為生殖だったら世界はもっと平和なのにと本気で思ってる私が、この号で最もセクシーだと感じた一文は、ファションジャーナリストのサラ・モワーが川久保玲にインタビューした記事の中にある。愚問に答えず、バックステージでは威嚇的だとすら言われている川久保玲を密着取材する機会を得たサラは、川久保が記者を不安にさせるほど長い間沈黙するのは、複雑で抽象的な思考に忠実であるがゆえだと気づく。「彼女はまさに、正確さのために精一杯努力する女性なのだ。それが彼女を苦しめてもいるのだけれど」。この一文には、体幹深くで銅鑼を鳴らされたような感銘を受けた。思い出したのは、根津美術館で円山応挙の「藤花図」を見たときのことだ。うねりよじれる枝を描く筆致は迷いなく、藤はどう見ても生きている。こんなものを描く応挙くに心底会いたいと思った。決して、触れることのできない誰かの頭蓋の奥にあるものにどうかして触れたいという衝動を、私は肉体のいろんな部位を使って探ってきたように思う。肝心なのは乳首の数じゃない。滅んでしまうのを惜しむ気持ちにさせる何かを放つもの。それは対象ではなくて、それに焦がれる者の中にあるのだろう。

Photos: Shinsuke Kojima (magazine) Text: Keiko Kojima Editor: Gen Arai

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