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日本史上最大の番狂わせ…“マイアミの奇跡”で倒したブラジル代表の面子が「28年後」に見ても強烈だった

  • 2024.11.1
日本史上最大の番狂わせ…“マイアミの奇跡”で倒したブラジル代表の面子が「28年後」に見ても強烈だった
日本史上最大の番狂わせ…“マイアミの奇跡”で倒したブラジル代表の面子が「28年後」に見ても強烈だった

Text by 佐伯洋(編集部)

元日本代表MF伊東輝悦(50)が10月31日、今シーズン限りでの現役引退を表明した。

かつては攻撃的な選手でその卓越したテクニックから“テルドーナ”の異名を誇った伊東。その後ボランチへ転向し、中盤の守備職人として長く活躍した。

そんな彼のキャリアのハイライトといえば何といってもアトランタ五輪のブラジル戦だろう。

銅メダルを獲得した1968年メキシコ大会以来28年ぶりに五輪へ出場したU-23日本代表が、グループステージ初戦で対戦したのが王国ブラジルだった。

誰もがブラジルの勝利を予想したが、72分、ブラジルのGKジーダとDFアウダイールの連携ミスによって生まれたこぼれ球を伊東が詰めてゴール。この1点を守り切り、“マイアミの奇跡”と呼ばれる大金星をあげた。

あれから30年近くが経過し日本はワールドカップ優勝を公言するまでに成長したが、A代表のブラジルには未だ勝利したことがない。

このアトランタ大会は23歳以下ではあるもののメンバーは実質A代表といってもいいほどの強烈さであった。

主なメンバーをみていこう(全員が日本戦に出場)。

GK ジーダ(A代表91試合0得点)

ブラジル史上に残るGK。ミラン時代にCLを2度制覇している。

DF ゼ・マリア(A代表25試合0得点)

全盛時のセリエAで活躍、ペルージャ時代に中田英寿と同僚だった。

DF アウダイール(A代表81試合3得点)

オーバーエイジで参加。ローマ史上屈指のDFで、2000-01にはスクデットを獲得した。

DF ロベルト・カルロス(A代表125試合10得点)

悪魔の左足を持つ史上最強レベルの左サイドバック。日本での通称は“ロベカル”。

MF フラヴィオ・コンセイソン(A代表45試合4得点)

世界最高レベルの評価を受けたボランチで、レアル・マドリーにも在籍。

MF ジュニーニョ・パウリスタ(A代表49試合5得点)

2002年ワールドカップの優勝メンバー。アトランタ世代の絶対的な司令塔だった。

FW サヴィオ(A代表21試合4得点)

フラメンゴ出身でジーコの後継者と言われ、レアル・マドリー時代には在籍5シーズンでCLを3度制覇した。

FW リヴァウド(A代表79試合35得点)

オーバーエイジで参加。1999年にバロンドールとFIFA最優秀選手賞をW受賞した左足のファンタジスタ。

FW ベベト(A代表75試合39得点)

オーバーエイジで参加。ロマーリオとの“不仲”コンビで1994年ワールドカップ制覇。後年、鹿島に在籍した。

FW ロナウド(A代表98試合62得点)

怪物と呼ばれたサッカー史上最高レベルのFW。当時の登録名はロナウジーニョだった。

今見ても恐ろしいメンバー…。

五輪はもともとアマチュアの大会だったが、1984年ロス大会あたりからプロ選手の解禁が進んだ。

ワールドカップとの差別化を図りたいFIFA(国際サッカー連盟)はプロ選手の全面的な派遣には難色を示していたが、23歳以下にすることを条件に1992年バルセロナ五輪からプロ主体となり、1996年大会からはオーバーエイジが導入された。

ブラジルは誰もが知るサッカー王国だがそうした経緯もあって五輪の男子サッカーで金メダルを獲得したことがなく、このアトランタ大会がある意味本気で金メダルを取りにきた最初の大会だったと言えるだろう。

それだけにメンバーは豪華で、後に個人として世界最高と呼ばれるような選手や2002年ワールドカップで優勝を経験するメンバーが何人もいた。

大会前に行われた世界選抜との試合にも勝利しており、圧倒的な優勝候補と目されるのも当然のことだった。その彼らが、28年ぶりに出場したサッカー後進国の日本に敗れると誰が予想できただろうか。

もちろん大会初戦であり、格下に対する油断もあったはず。しかし1点の先制を許した後はライオンが目を覚ましたように猛攻撃を仕掛けている。GK川口能活を筆頭にそれを防ぎ切った日本の守備陣は称賛されてしかるべきだろう。

事前の分析によりオーバーエイジとして参加するDFアウダイールとGKジーダの連携が悪いことは見抜いており、西野朗監督以下、代表スタッフやスカウティングの勝利でもあった。

決勝ゴールは、自陣でボールを持った伊東の縦パスから始まっている。伊東はアトランタ大会のエースだった城彰二のYouTubeに出演した際、前方の前園真聖にパスを出したあとすぐに「これいけるかもしれない」と思ったのだという。

28年ぶりに出場した大会で起きた奇跡から、同じ28年が経過した2024年。ここから日本代表はどんな軌跡を辿り、どんな奇跡を見せてくれるだろうか。

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