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心療内科を出て立ち寄った食堂。コロッケを食べたら久々に味がした

  • 2024.11.1

もし、普段当たり前のように食べているごはんの味が分からなくなっていたら。
そのときは、「何かがおかしい」と立ち止まるべきなのかもしれない。

◎ ◎

大学を卒業した、数年前の春。「モノを作る仕事がしたい」という思いで私が入社したのは、小さなテレビ制作会社だった。入社後は、有名な報道番組のアシスタントディレクター業務に携わることになった。

その後は番組内の制作部に配属され、現場の調整役を担うことになった。今思うと、この仕事は本当に自分に向いていなかったと思う。演出ディレクターの要望と、現場の技術・美術スタッフの意見で毎日板挟み。とにかくオンエアに間に合うよう、文字通り局内を走り回る日々だった。その頃は先輩に付いていくので必死。ときには理不尽に上司に叱られたこともあった。同じ部署の先輩に泣きながら相談すると、「大丈夫だよ! よくあることだよ~(笑)」と笑われる。そのときの口角が上がっただけの先輩の顔を、今でも忘れることはできていない。

◎ ◎

朝起きて、電車に乗って、高層ビルが立ち並ぶ街を歩いて職場へ向かう。ディレクターの指示を受け、番組に必要なモノを作る。誰かから誰かへ、変更点を伝えるためにスタジオの裏を走り回る。フロア全体で何が起こっているのかを正確に把握する。毎日頭と足がこんがらがりそうになりながら、平日は終電がなくなるまで働く日々を送っていた。

そのうち、月曜日が来るのが憂鬱になっていった。土曜日の午後になるとすでに暗い気持ちになり、恋人に会うと「数ヶ月前はあんなに明るかったのに」と心配されるほどだった。誰もが知っている番組のスタッフになったことを、以前はあんなに誇らしく思っていたのに。そのうち局内の階段を1人で降りながら、「ここから足を滑らせたら、明日は休めるかな」と思うようになっていた(やらなかったけど)。

◎ ◎

もちろん、そんな日々は長く続けられなかった。7月のある朝、私の体はとうとう起き上がらなくなった。昨日の夜、上司に言われた一言ひとことが頭を埋めつくす。もういやだ、あの人の顔も見たくない、でも行かなきゃ、でもむりだ、でも、でも……。布団に這いつくばり、腕の力で体を起こそうとしても、中心が鉛のように重い。布団の上で四つん這いになるのがやっとで、膝と頭が布団から離れてくれない。もうダメだ。恋人、親、当時相談していた転職エージェント……などいろんな人の力を借り、何とかその日に診てもらえる心療内科を予約することができた。仕事を休んで午前中のうちに病院を受診し、医師には「適応障害」と記載された診断書を渡された。

診断書を手に、住んでいる街まで電車で戻ってくる。これからどうしよう。考えなきゃいけないことは山積みだったが、とりあえず食事するか、とぼんやり思った。食欲はなかったが、駅の目の前にある小さな食堂に入った。

◎ ◎

カウンター席に座り、とりあえず目についたコロッケ定食を注文する。定食を待っている間、「これでやっと終われるかもしれない」という気持ちでいっぱいだった。それは久々に感じられた安心でもあり、同時にこれから始まる不安でもあった。

やがて、コロッケ定食が来た。大きな白いお皿にはコロッケ2個とポテトサラダ、千切りのキャベツが乗っている。家庭用っぽいお椀に入ったごはんとお味噌汁も付いてきた。たいして食欲が湧いていない体にはボリュームが多く感じられたけど、腹が減っては……と思うことにして、コロッケひとかけらを箸で口に運んだ。

コロッケを一口食べて、「甘じょっぱいな〜」と思った。ほどよくサクサク、フワフワとした薄めの衣の中に、特別なものは何も入っていない普通のポテトコロッケ。だけど、何だかほっとした。それと同時に、「最近、食べ物の味を感じていなかった」と気づいた。ここ1ヶ月ほどの間、職場で食べていた自作のお弁当も、たまに食べられるちょっとお高いロケ弁も、休みの日に恋人と外で食べるご飯も、何もかも味がしていなかったのだ。久しぶりに「味」を感じてようやく、最近食べ物を味わっていなかったことに気づく。

「ごはんの味も感じられない体のままじゃ、ダメだよなあ」

◎ ◎

コロッケ定食を食べ終わって、食堂を出た。すぐに家には戻らず、駅の改札の目の前で会社に電話をかける。その場で社長に診断の結果と退職の意思を伝え、その日付けで会社を辞めることになった。次の日には、あんなに起きられなかった体が嘘のようにすっと起き上がるようになり、ごはんの味もちゃんと感じられた。

あれから数年が経ち、今は当たり前のようにごはんを味わっている。「甘い」「すっぱい」「苦い」「しょっぱい」「甘じょっぱい」などの味に気づけるし、何より美味しいものを食べたとき、ちゃんと喜べる自分がいる。数年前、心が疲れて食べ物の味がしなくなった経験。「味がしない」ことにすら気づけていなかった当時の自分。あのまま放っておいたら、味覚だけじゃなく嗅覚、触覚など他の五感まで失われていたかもしれない。そう思うと今でもぞっとする。

美味しい? 甘い? 苦い? しょっぱい? そもそも、「味そのもの」を感じられている? もしまた「味そのもの」に気づけない瞬間が訪れたとしたら、それは今の自分を見つめ直すときなのかもしれない。

■秋海まり子のプロフィール
都内で働きながらエッセイを書いて暮らす。名前の読みは「あきみまりこ」。好きなものは秋と金木犀。 note:https://note.com/isiqrl

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