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【ネタバレ】『ゴジラ-1.0』はなぜ戦後間もない日本を舞台にしたのか?山崎貴の作家性を徹底考察

  • 2024.10.31

2023年11月3日(金)に公開され、第96回アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した、ゴジラ生誕70周年記念作品となる最新作『ゴジラ-1.0』。

監督は『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『永遠の0』(2013年)で知られるヒットメイカー、山崎貴。主人公の敷島浩一役には神木隆之介、大石典子役に浜辺美波。そのほか、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介などの豪華キャストが集結した。

本作の最大の特徴は、戦後間もない日本を舞台にしていることだろう。筆者はそこに、山崎貴という映画監督のクセツヨな作家性を感じてしまう。本稿では、そのあたりについて考察していきたい。

映画『ゴジラ-1.0』(2023)あらすじ

太平洋戦争末期の1945年。特攻任務から逃れるように大戸島に辿り着いた敷島浩一(神木隆之介)は、伝説の怪獣ゴジラに襲撃され、仲間を救うことができなかったトラウマに苛まれる。帰国後、東京で新生活を始めた彼は、赤ん坊を抱える大石典子(浜辺美波)という女性と出会う……。

※以下、映画『ゴジラ-1.0』のネタバレを含みます

遂に機が熟した、山崎貴版ゴジラ

庵野秀明が総監督・脚本を務めた『シン・ゴジラ』(2016年)は、興行収入82.5億円の大ヒットを記録し、ゴジラ映画の歴史に輝かしい1ページを刻んだ。

そのバトンを受け継いだ山崎貴の両肩には、相当なプレッシャーがのしかかったことだろう。蓋を開けてみれば、公開初日から3日間で観客動員数64万人・興行収入10.4億円という上々のスタートを切り、『シン・ゴジラ』と比べて観客動員数は114.7%、興行収入は122.8%上回った。2023年11月8日時点でFilmarksスコアは4.0という高評価を得ており、現時点では興行面・批評面で成功を収めたと言える。

山崎貴はこれまで、宇宙戦艦ヤマト、ドラえもん、寄生獣、ドラゴンクエスト、ルパン三世など、日本が誇るアニメ・マンガ・ゲームの超有名コンテンツを現代に蘇らせてきた。そして『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)のオープニング・シーンでは、東京で暴れまくるゴジラをCGで再現してみせた怪獣映画ファンでもある。

西武園ゆうえんちの「ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦」では、ゴジラやキングギドラたちの激闘の真っ只中に放りこまれるという大型ライド・アトラクションも制作(この作品は『VFX-JAPANアワード2023』ショートフィルム部門で最優秀賞を受賞)。しっかりと地ならしをしたうえで、山崎貴は遂に本編を撮るチャンスを得た。実績からいっても、彼が新しいゴジラを担うことになったのは当然にして必然だったのである。

“昭和史”シリーズの流れに組み込まれた『ゴジラ-1.0』

ではなぜ、山崎貴は太平洋戦争直後の日本を舞台にゴジラを制作しようと思ったのだろうか。本人のコメントを抜粋してみよう。

「一番来るとまずい時期にゴジラがやってくる。そこで人々がどうふるまうのかというのが、映画的だと思ったんです。(中略)それとこの時代にしたのは、巡洋戦艦「高雄」を出したかったからです。僕の中では、「大和」、「零戦」、「赤城」の次に映像化したかったのが「高雄」なんですよ。実際に「高雄」が自沈処理された時期を調べると、少し嘘つくにしてもギリギリこの辺りしかないと思って時代を設定しました」
(映画パンフレットより抜粋)

オタク四天王の1人とも言われる庵野秀明だが、山崎貴も日本陸海軍兵器オタクであることを隠さない。まさか巡洋戦艦「高雄」を登場させることが、時代設定を考えるにあたって大きなファクターになっていたとは。また彼は、こんなコメントも残している。

「『シン・ゴジラ』と同じ方向に行かないようにしようと思いました。すごく好きな作品なので、あの映画を追いかけて同じ方向に行くと逆にまずいかなと。(中略)自分の土俵に連れてこないと、この映画に勝ち目はないと思っていたので、かなり得意ジャンルを取り込みました。これまで手掛けた『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『永遠の0』、『アルキメデスの大戦』、『海賊とよばれた男』といった“昭和史”シリーズの要素を入れないと、勝負できないと思ったんです」
(映画パンフレットより抜粋)

山崎貴にとって『シン・ゴジラ』はあまりにも巨大な存在であり、だからこそ彼は自分の得意ジャンル……“昭和史”シリーズの流れに『ゴジラ-1.0』を組み入れたのだ。

もちろん戦後間もない日本を舞台にした背景には、1954年に公開された『ゴジラ』への原点回帰という意味も込められていることだろう。原爆と空襲によって焼け野原となった日本が、それでも復興に向けて力強く前に進もうとする矢先に、巨大不明生物が現れて銀座の街を蹂躙する。その姿は、日本劇場や国会議事堂を次々と破壊する初代ゴジラのようだ。『ゴジラ-1.0』公開日が、第一作目が封切られた11月3日であることにも、オリジンへの強い想いが感じられる。

さらに山崎貴には、災害時における行政機関の対応を風刺する意図もあったのではないか。連合国占領下で軍隊が解体されてしまった日本政府は、ゴジラが上陸しても何一つ機能しない(申し訳程度に戦車が登場するくらいだ)。それはコロナ禍において、行政が機能不全に陥ってしまったことを暗喩しているかのようだ。

時代を現代から遠ざけることで成立する“山崎節”

だが、筆者はもうひとつ理由があるものと思っている。内面の葛藤をセリフで語り、過剰すぎる演技で状況を説明するいつもの“山崎節”を炸裂させるには、現代劇ではあまりにも説得力にかけるのだ。

当たり前だが、映画は視覚的なストーリーテリングのメディア。キャラクターの内面を映像や編集、音楽で表現することで、複雑な心理を提示し、より深い共感を引き寄せる。しかし山崎貴は、「感情や葛藤をそのままセリフで語らせる」という手法を採用することで、観客が想像力を働かせる機会…サブテキストを封印してしまう。

彼が紡ぐ人間ドラマ演出は平明で、圧倒的に分かりやすい。直球ど真ん中のストレートで、我々のエモーションを揺さぶってくる。だからこそ、『STAND BY ME ドラえもん』で流行した“ドラ泣き”ならぬ、“ゴジ泣き”する観客が生まれる。おそらく現代劇にしてしまうと、この人間ドラマとしての“臭み”が際立ってしまうのだ。

これまでの山崎貴作品を通観してみると、現代だけを舞台にした作品は非常に少ない(現代であったとしても、ファンタジーとして構築されているケースが多い)。

『ジュブナイル』…現代
『リターナー』…近未来
『ALWAYS 三丁目の夕日』…過去(昭和30年代)
『BALLAD 名もなき恋のうた』…過去(戦国時代)/現代
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』…未来
『friends もののけ島のナキ』…架空の世界のため不明
『永遠の0』…過去(太平洋戦争時)/現代
『STAND BY ME ドラえもん』…過去/現代/未来
『寄生獣』…現代
『海賊とよばれた男』…過去(昭和20年代から昭和40年代)
『DESTINY 鎌倉ものがたり』…現代
『アルキメデスの大戦』…過去(太平洋戦争時)
『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』…架空の世界のため不明
『ルパン三世 THE FIRST』…現代(?)
『GHOSTBOOK おばけずかん』…現代

筆者の目には、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズで描かれる古き良き昭和も、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』で描かれるゲームの世界も、同じファンタジーの地平上にあるように感じられる。CGによって補正された、無味無臭の虚構空間。“山崎節”の人間ドラマを成立させるために、あえて時代を現代から遠ざけ、リアリティを希薄化させている印象さえ受けてしまうのだ。

“山崎節”は、恋愛描写もだいぶ“臭み”が強い。ひょんなことから共同生活を送ることになった敷島と典子は、籍を入れることもせず、同居人としての関係性を決して崩さない。だが秋津(佐々木蔵之介)が敷島の胸ぐらを掴んで「お前、典子ちゃんの気持ちわかっているんだろぉぉぉぉ!」と絶叫しているくらいだから、2人が相思相愛であることは誰の目にも明らかだ。山崎貴が考えるドラマティックな恋愛は、プラトニック・ラヴという形でしか表出し得ないのだろう。現代劇ではそうとうに無理がある設定を、終戦直後にすることでなんとか体裁を保っている。

このように考察していくと、一見大衆向きに見える山崎貴版ゴジラは、庵野秀明版に負けず劣らずクセツヨな一作であることが見えてくる。当然好みは大きく分かれるだろうが、東宝ゴジラはこの路線を続けて、監督のカラーを全面的に押し出していけばいいのではないか。ゴジラ上陸前の家族の数日間を描いた、是枝裕和版。怪獣と人間のディスコミュニケーションを描く、濱口竜介版。ゴジラの亡霊に人々が恐怖する、黒沢清版。ゴジラ襲来に怯える内閣総理大臣を佐藤二朗が面白演技でカマす、福田雄一版。ゴジラが来る・来ないのドタバタを密室劇で描く、三谷幸喜版……。なんだってアリだ。

最高の素材を、最高の料理人で。ゴジラには、無限のポテンシャルが備わっている。

※2024年10月30日時点の情報です。

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