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パリ音楽院で学び、パリを拠点に世界で演奏活動を行う、ピアニスト 鈴木隆太郎

  • 2024.11.1

海外で活躍する日本人

鈴木隆太郎
鈴木隆太郎

世界をステージにさまざまな分野で活躍する日本人たちの物語を紹介する連載、「海外で活躍する日本人」。
今回はパリを拠点に、ヨーロッパや日本で演奏活動を行うピアニスト、鈴木隆太郎氏を紹介する。

 

インタビューを行ったのは、日本時間の午前8時30分。パソコン上に映る鈴木氏が、その日滞在している南米コロンビアの現地時間は、前日の18時30分とのことだった。

 

 

実は鈴木氏は、約3週間にわたる南米ツアーの真っ最中で、この日は翌日行われるコロンビアでの演奏会を控え、当地でリハーサルを行なっていたという。

現在の演奏活動を、「パリを中心にヨーロッパなどが3、日本は1の割合」と話す鈴木氏。高校卒業後に渡仏し、伝統ある名門、パリ国立高等音楽院(通称、パリ音楽院)に入学して以降、パリでの暮らしは16年を数え、2年後には、パリと日本の滞在年数が同じになるという。

その間、数々の国際音楽コンクールで優秀な成績を収め、ピアニストとしてのキャリアを着実に築いてきた。近年は日本で演奏する機会も増え、昨年2023年10月には、寺社仏閣など日本ならではのユニークべニューで、世界的に活躍するクラシック音楽家の演奏会を開催する「CLASSICAL MUSIC COLLECTION JAPAN(CMCJ)」の音楽イベントに出演。

 

 

自身の出身地である鎌倉市の覚園寺で、パリ音楽院時代の師、ミッシェル・ダルベルト氏と共演するなど、地元への貢献も含め、精力的に活動している。

親族には音楽家がいない環境の中で、勉強も、音楽も、才能を発揮

 

そんな鈴木氏に、まずピアノとの出会いをうかがった。

 

 

「家族や親戚も含め、音楽家は身近にいませんでしたが、両親ともにクラシック音楽が好きで、音楽番組を見たり、演奏会に行ったりしていたようです。僕もその影響で、幼い頃から自然に音楽に興味を持つようになりました。今でもうっすら記憶に残っているのは、母が僕を寝かしつけるときに、いわゆる子守唄を流していたようなのですが、僕が母の知らないうちにバッハのクラヴィーア曲集『パルティータ』とか、ヴィヴァルディの『四季』に変えて聞いていたみたいです」

ピアノとの出会いも、そんなに音楽が好きなら、まずはピアノからやってみたらと両親に勧められたのがきっかけだった。

 

 

結果としてすぐにピアノが好きになり、2000年には全日本学生音楽コンクールの小学生の部で第1位に。豊かな才能を発揮し始めた。そのまま音楽の道に、という選択も当然あっただろう。だが、中学・高校は、鎌倉市にある進学校、栄光学園へ。

優しく、言葉を選びながら丁寧に語る、鈴木氏。
優しく、言葉を選びながら丁寧に語る、鈴木氏。

「せっかく近所にいい学校があるので、受験して入れるならそっちに行った方がいいだろうという、ある意味現実的な判断がありました。ただ、栄光学園は勉強をきっちりしながらも自由な雰囲気があり、みんないろんな趣味を持っていたんです。だから僕も、勉強をしながら自然に音楽を続けていました。もちろん今思えば、もっとその頃に音楽に時間を費やすことが必要だったのかもしれませんが、結果的に、いろんな意味において、最適なバランスだったのではないかと思います」

そして、高校卒業後はパリへ。栄光学園の他の同級生のように一般大学ではなく、また国内の音楽大学でもなく、いきなり海外で専門的に音楽を学ぶという決断の背景には、何があったのだろう。

2人の師匠との出会いで、ピアニストへの道を覚悟する

 

 

「複数の要因がありますが、1番大きいのは、中学生のときに受けたコンクールで、のちにパリ音楽院で学ぶことになる審査員のブルーノ・リグット先生から、すごく良い評価をしていただいたことです。以来、先生はどんな方なんだろうと勝手に興味を抱くようになり、高校1年の夏休みに直接会いに行ったんです」

音楽留学に際しては、どの大学かよりも、どの先生のもとで学びたいかで留学先を決める例が少なくない。鈴木氏の場合は、リグット氏の存在が、パリ音楽院へ留学する決め手となったのだ。

 

もっとも、鈴木氏にとってフランスとの縁は、幼い頃から始まっていたとも言える。

「実は母も、音楽ではないですがフランスに留学経験があり、リグット先生に会えたのも、そのときのツテを頼ってコンタクトを取ったからです。思えば子どもの頃、母は僕をお風呂に入れながら、フランス語で1から20まで数えさせたり、ことあるごとにフランスでの話をいろいろしていたので、僕にとっての欧米はフランスというくらい身近な国でした。メンタル的な準備が知らないうちにできていたのかもしれません」

 

渡仏後もカルチャーショックがなかったという。

演奏会の様子
演奏会の様子。

「栄光学園時代に勉強するとはどういうことか、自分の中で染み付いていたので、その延長線上で、学ぶものがピアノになったという感じでした。生活面でも当然違いがたくさんありますが、違って当たり前だし、たとえば地方から東京に出て一人暮らしをしても、同じようなことはあるだろうなと思っていました。だから、日本と違ってこれが大変だということは、まったくなかったです」

 

 

とはいえ、過去にフォーレやドビュッシー、ラヴェルなど歴史的な音楽家を輩出し、現在も才能際立つ演奏家の卵が集まるパリ音楽院に至る道は、簡単ではない。何より、たとえ入学できても、演奏家として生きていける保証は何もないのだ。それでも渡仏を決断できたのは、栄光学園の先生の言葉も大きかったという。

「もしパリに行って、やっぱり普通の道に進もうと思っても、ちゃんとサポートするからとおっしゃってくださったんです。つまり、パリ音楽院の入試を受けてダメだった場合、あるいは向こうに行って1、2年経ってから、やっぱり違うなと思ってきた場合のオプションとして、そういう選択もあると思えたことで決断できました」

実は入学後も、そのときの話が頭の片隅に残っていたという。だが、その期限でもある2年目が過ぎた頃に、リグット氏が退官。半ば成り行きで、後任のオルテンス・カルティエ=ブレッソン氏のもとで学び始めたことが、鈴木氏の意識を大きく変えた。

 

 

ちなみにブレッソン氏は写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンの甥に当たる。

「ブレッソン先生からは、どうやって自発的に、自分から音楽を作り上げていくかということを学びました。当時はちょうど、楽曲分析や楽理の授業内容がよくわかるようになり、身についてき始めた頃で、それを実践し応用したいと思っていたんです。ブレッソン先生の授業は、自分が楽譜からこう表現したいと思うことと、それまで学んできた学問的なことを組み合わせる素晴らしい内容で、これは僕の職業だとはじめて思えました。単にピアノが好き、楽しいではなく、はじめて主体的に音楽を捉え、職業としてのピアニストを具体的に目指す第一歩になる、重要なポイントだったと思います」

国籍や文化の違いを感じなくなり、自分が日本人であることを忘れていく

 

 

結果として、鈴木氏はパリ音楽院で、学士、修士過程に当たる第1、第2課程を経て、さらに狭き門である第3課程へ進む。パリ音楽院の第3課程は、いわば演奏家の養成コース。音楽院として、フランス内外のさまざまな場で演奏する機会が与えられ、演奏経験が積めるようになっている。

 

 

 

鈴木氏の場合は、その機会がつながって演奏会の出演依頼が徐々に増え、自然にパリを拠点に演奏活動をするようになったという。「ラッキーなことに」と鈴木氏はさらりと言うが、やはり才能と努力が噛み合ってこそ実現できること。加えて、異文化へのリベラルな感覚もプラスに働いたと思われる。

「パリでの生活が10年を過ぎた頃から、国によってカルチャーが違うことをなんとも思わなくなりました。違って当たり前じゃないかと。実は、日本である一定数の仕事をするようになるまで、国籍をまったく考えなくなった時期がありました。新たに出会う人がどこの国の人でも、僕には全然関係ないと。留学して最初にリグット先生に言われたのも、とにかくフランス人と話せということでした。先生は自ら主導して、何回か生徒を集めてパーティを開いてくださったんですが、途中からいなくなってしまうんです。だから僕は、ほとんどがフランス人という中でフランス語を話さなければいけなかった。そんな経験もカルチャーの違いを自然に受け入れられるようになった一因かもしれません」

2025年は改めてベートーヴェンに取り組みたいと語る。
2025年は改めてベートーヴェンに取り組みたいと語る。

演奏面でも、自分が日本人であると意識したことはまったくないと言い切る。

 

もっとも、演奏会を行う上では、各国の違いを感じる場面も多々あるようだ。つまり、日本は演奏会のセッティング方法から当日に至るまで、きっちりオーガナイズされている。対してヨーロッパは、ある部分カオスであるため、自分でフォローしなければならないときがある。だがそれも、どちらが良い悪いではなく、それぞれの違いだと受け止めているという。では、鈴木氏の感じる日本の良さは何だろう?

「それはもう、圧倒的に、他人に対するリスペクトです。ある意味フランスは、人がどう思うかより、自分が損をしないために主張しないといけないという、弱肉強食っぽいところがあるんです。それに慣れていると、日本ってなんて気持ちいいんだろうと思うんです」

 

鎌倉の覚園寺の本堂で演奏という特別な体験

 

2023年に行われた、覚園寺本堂での演奏会についてもうかがってみた。

 

 

「実は実際に演奏するまで、どういう感じになるか想像がつきませんでした。というのは、覚園寺の本堂は自然の風がわざと通るように設計されているんです。でも、実際演奏してみると、響くけれども響きすぎず、弾きながら虫の音が聞こえてくるという音楽ホールとは違う感じで、共演したミッシェル・ダルベルトさんも、『ありがとう。僕は新しい響きを見つけたよ』とおっしゃっていました」

ちなみに昨年の参加者は、訪日外国人が中心。歴史ある空間で音楽を聴くだけでなく、覚園寺のご住職が参加者を出迎え、寺の説明をし、香道体験があり、演奏後は同境内で催されたカクテル・パーティやディナーをみなで楽しむという特別な体験となった。

 

さらに、今年の9月には、同寺の客殿で鈴木氏のソロによる演奏会も開催。演奏会を通して歴史ある空間に身を置くことで、音楽とともに新しい発見が提供できたら、と鈴木氏。鎌倉での活動も発展していきそうだ。

Classical Music Collection Japan 2023 鎌倉・覚恩寺にて。
Classical Music Collection Japan 2023 鎌倉・覚園寺にて。

「お客さまが喜ぶ姿を見る、あるいは感じるのがピアニストとしての喜びの1つでもあるので、今後も演奏を通してみなさんに感動を与えていきたいです。その場に居合わせた人たちが、たとえ1㎜でも心が豊かになったら、僕は幸せかなと思います」

 

 

最後に、海外で音楽の勉強をしようとしている人たちへメッセージを。

「まずは言葉を学ぶ、ですね。それも英語だけでなく、留学先の言葉を習得して臨んだ方がいいと思います。音楽大学の場合、先生から言われることも、曲の歴史的な背景や精神的な話だったりするので、言葉がわからないとなかなか理解できず、音楽的な成長の妨げになりますし、日常生活においても、言わんとしていることが伝わりきらず、誤解の原因を招くことがありますから」

 

今後の活躍にも期待したい。

 

Text by Misa Horiuchi

◆Classical Music Collection Japan 2024

 

【日時】2024年11月19日(火曜)14時~21時
【場所】建長寺
【演奏者】鈴木隆太郎(ピアノ)弓新(ヴァイオリン)上村文乃(チェロ)
【演奏曲】チャイコフスキーの『ピアノ三重奏曲』
【スケジュール】14時 建長寺の境内散策、15時 座禅体験、16時 カクテルパーティー、
17時 演奏会、18時30分 鎌倉のフランス料理レストラン「レネ稲村ケ崎」のシェフによるディナー
【料金】950ユーロ(SINGLE)1,700ユーロ(COUPLE)

 

◆CMCJトリオコンサート

【日時】2024年11月20日(水曜)19:00開演

【場所】東京オペラシティ リサイタルホール

〒163-1403

東京都新宿区西新宿3-20-2

【演奏者】鈴木隆太郎(ピアノ)

弓新(ヴァイオリン)

上村文乃(チェロ)

【演奏曲】チャイコフスキー:ピアノ・トリオ イ短調

サン=サーンス:バイオリン・ソナタ第1番

黛敏郎:無伴奏チェロのための「BUNRAKU」

ショパン:舟唄 ほか

【料金】4,000円(税込)

鈴木隆太郎 Ryutaro Suzuki

 

鎌倉生まれ。栄光学園卒業後、2008年に渡仏しパリ国立高等音楽院及びフィエソレ音楽院にてB.Rigutto、H.Cartier-Bresson、M.Dalberto、E.Virsaladzeらのもとで学ぶ。数々の賞を受賞したのち、Sommets Musicaux de Gstaad、 Festival de Nohant、Ente Musicale di Nuoroといった主要な音楽祭に招待されているほか、東京フィル、マラガフィル、バレンシア管、オデーサ国立管、コロンビア国立管、パリ音楽院管、ルイジアナフィル等と共演。レパートリーはバロックから現代曲まで幅広く、2017年にはスカルラッティ、モーツァルト、ラヴェル、リストを収録したアルバムを、2020年にはドビュッシー、イベール、尾高尚忠を収録したアルバムをそれぞれリリースした。2016年にはフランスの著名な現代作曲家T.Escaichの « Jazz Etude » の世界初演も行っている。2023年、イタリアでのライブ録音を収録した3枚目のソロアルバムをリリースした。

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