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【上野】「モネ 睡蓮のとき」でモネの世界観に没入!@国立西洋美術館 2025年2月11日まで

  • 2024.11.4

日本では過去最大規模の〈睡蓮〉が集う貴重な機会

上野の国立西洋美術館では「モネ 睡蓮のとき」が2025年2月11日(火・祝)まで開催されています。

モネの睡蓮の作品は日本でも大変人気がありますが、本展覧会ではパリのマルモッタン・モネ美術館より、日本初公開となる重要作を多数含むおよそ50点が来日し、晩年の制作に焦点をあてた究極のモネ展と云われています。

出典:リビング東京Web
クロード・モネ(1840₋1926)

パリに生まれたクロード・モネは、印象派の代表的な画家です。 彼は同じモチーフを異なる時間帯で何度も繰り返し描く連作という手法を実践した、実験的な画家として知られています。

出典:リビング東京Web

会場入口前フォトスポット

会場入口のメインビジュアルの水面に見える帽子の影はモネのシルエットを表しています。ここからモネの作品の世界感が広がっていきます。

出典:リビング東京Web

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024−2025年  

会場展示風景※特別に許可を得て撮影しています。

第1章 セーヌ河から睡蓮の池へ

1890年、50歳になったモネは、7年前に移り住んだノルマンディー地方の小村ジヴェルニーの土地と家を買い取り、これを終の棲家とします。それはまた彼が、同一のモチーフを異なる時間や天候のもと繰り返し描く、連作の手法を確立した時期でもありました。

1986年から1898年にかけてジヴェルニーからほど近いセーヌ河の眺めを主題とする連作をおよそ20点制作しました。《ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出》は早朝の朝霧、ほのかな光とやわらかな色彩はモネの独特の視点で描かれています。

出典:リビング東京Web

右:クロード・モネ《ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出》1897年 油彩/カンヴァス マルモッタン・モネ美術館、パリ(エフリュシ・ド・ロチルド邸、サン=ジャン=キャップ=フェラより寄託)

左:クロード・モネ《セーヌ河の朝》1897年 Morning on the Seine ひろしま美術館

モネが3年連続で訪れたロンドンの風景といった連作の作品は見どころのひとつとなっています。

出典:リビング東京Web

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024−2025年

第2章 水と花々の装飾

19世紀末のフランスでは、多くの画家たちが装飾画の制作に取り組みモ、ネもその例外ではなく、装飾画の構想に精力的に取り組みはじめました。彼が初めて本格的な装飾画を手掛けたのは、1870年代の印象派時代にさかのぼります。

出典:リビング東京Web

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024−2025年

大の園芸愛好家であったモネは、睡蓮のみならず池に架けられた太鼓橋の藤棚に這う藤や、岸辺に咲くアイリスやアガパンサスなどの花が描かれています。

出典:リビング東京Web

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024−2025年

第3章 大装飾画への道:2メートルを超える大画面の〈睡蓮〉に囲まれて、モネの世界に浸る、本物の没入体験

第3章 大装飾画への道の展示スペースは、長辺が2メートルにおよぶ〈睡蓮〉の大作が展示されています。

出典:リビング東京Web

クロード・モネ《睡蓮》1916-1919年頃 油彩/カンヴァス マルモッタン・モネ美術館、パリ

第3章展示室内は、パリのオランジェリー美術館のモネ睡蓮の部屋を再現したカーブのある壁となっています。

出典:リビング東京Web

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024−2025年

こちらの展示スペースは撮影が許可されています。モネの睡蓮の大作と展示スペースはオランジェリー美術館の空間を模した楕円形の壁の展示空間。モネの睡蓮の世界への没入感が味わえます。

出典:リビング東京Web

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024−2025年

モネはこれら大装飾画に関連する作品のほとんどを生前に手放すことなく、1926年の死の間際にいたるまで試行錯誤を重ねます。国立西洋美術館のコレクションの基礎を築いた松方幸次郎は、モネが唯一、その巨大な装飾パネルの一つを売ることを認めた相手でした。

出典:リビング東京Web

会場風景より、クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》1916年? 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館(旧松方コレクション)

色彩の交響曲

モネの絵画は、その色彩が生む繊細なハーモニーゆえに、同時代からしばしば音楽にたとえられました。1921年に洋画家の和田英作が松方幸次郎らを伴いジヴェルニーのアトリエを訪れた際、〈睡蓮〉の近作をして「色彩の交響曲」と評したところ、モネが「その通り」と答えたという逸話も知られています

1908年ごろから白内障の症状は悪化の一途をたどりましたが手術を拒み制作活動を続けていました。

出典:リビング東京Web

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024−2025年

1918年の終わりごろから最晩年には、死の間際まで続いた大装飾画の制作と並行して、複数の独立した小型連作が手掛けられました。モチーフとなったのは、“水の庭”の池に架かる日本風の太鼓橋や枝垂れ柳、“花の庭”のばらのアーチがある小道などです。

出典:リビング東京Web

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024−2025年

 エピローグ さかさまの世界

「大勢の人々が苦しみ、命を落としている中で、形や色の些細なことを考えるのは恥ずべきかもしれません。しかし、私にとってそうすることがこの悲しみから逃れる唯一の方法なのです。」大装飾画の制作が開始された1914年に、モネはこう書いています。折しもそれは、第一次世界大戦という未曾有の戦争が幕を開けた同年のことでした。そして1918年に休戦を迎えると、時の首相にして旧友のジョルジュ・クレマンソーに対し、戦勝記念として大装飾画の一部を国家へ寄贈することを申し出ます。その画面に描かれた枝垂れ柳の木は、涙を流すかのような姿から、悲しみや服喪を象徴するモチーフでもありました。

モネがこの装飾画の構想において当初から意図していたのは、始まりも終わりもない無限の水の広がりに鑑賞者が包まれ、安らかに瞑想することができる空間でした。

出典:リビング東京Web

左:クロード・モネ《枝垂れ柳と睡蓮の池》1916-1919年頃 油彩/カンヴァス マルモッタン・モネ美術館、パリ 右:クロード・モネ《睡蓮》1916-1919年頃 油彩/カンヴァス マルモッタン・モネ美術館、パリ

ミュージアムショップ

ミュージアムショップではモネの睡蓮の作品をモチーフにした缶入りサブレが販売されています。エッフェル塔のフォルムが可愛いです。

出典:リビング東京Web

「モネ 睡蓮のとき」展覧会会場では、長辺が2メートルに及ぶ大作もあり鑑賞しているとまるでモネのジヴェルニーの庭を訪れている様な気分になりました。 第3章の展示室は、モネの睡蓮の大作がオランジェリー美術館の展示室を再現した設えになっており、更に没入感が感じられる空間です。

パリのマルモッタン・モネ美術館より、日本初公開となる重要作を多数含むおよそ50点が来日。さらに日本各地に所蔵される作品も加えた展示内容はモネ作品ファンには見逃せない展覧会となっており、この機会に是非会場でモネの作品を鑑賞されてみては如何でしょうか。

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