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苦手な家事と、決められた女性らしさを手放したその先に見えたこと

  • 2024.10.28

もっと女性はわがままに生きよう。

私は大学生になってから一人暮らしを始めた。それまでほとんどと言っていいほど家事をしてこなかった。洗濯機の回し方もわからない、包丁は使えるが炊飯器でごはんを炊いたこともない。本当に身の回りのことを知らなかった。

◎ ◎

一人暮らしを始めて大変だと感じたのは、家事を済ますのは自分しかいないということ。洗濯機の回し方や炊飯器でのごはんの炊き方は調べれば問題なく使えるようになった。だけど食料品や日用品は自分で買ってこなければ無くなる、使った食器は放置していたらずっとそのままになる。自分でどうにかしなければいけない環境はとても新鮮だった。

そしてその不自由の中にある自由さに慣れたとき、とても楽になった。誰も助けてはくれないけれど、文句を言うひともいない。洗濯を回したまま干さずに寝てしまった日も、少し焦げてしまった料理も返ってくるのは自分だからそれも良いと思えた。

しばらく一人暮らしを続けた後、家族以外のひとと生活をすることになった。一人暮らしに慣れてしまい、また誰かと一緒に生活するのは不安だった。些細なことで言えば、朝ごはんは食べるのか食べないのか、冷蔵庫に常備しておくものはあるのか。そもそも家事は誰がするのか。

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私は少しでも新しい生活の役に立てるようにと、自然に家事全般を行うようになった。一人暮らしにはない楽しさもあったが、段々と不満も積もるようになった。同じように仕事をしているのに、なぜ私だけが家事をこなさなければならないのか。特に料理は苦手だった。献立を考え買い物をし、料理を作る。毎日同じメニューは作れない、毎回味付けが物足りない。うまく出来ない自分が嫌になった。

出来ることなら全部の家事をやめたいのに、どうして私は家事を続けているのか。体調が悪い日、忙しい日、どんな一日でも家事は待ってくれない。

それでも家事を手放せなかった理由は、私が女性だからである。私はいつからか女性だから家事をしなければならない、出来るのが当たり前という先入観に苦しめられていたのだ。

家族と一緒に生活していたとき「女の子だからお手伝いしてね」そういった言葉が気付けば近くにあって、何の躊躇いもなく受け入れていた。ずっとそういうものだと思っていたから。

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ただ生活を振り返ると、私は家事を強要されたことはなかった。

「そんなに頑張らなくていいよ」

出来ない自分を認めたくなくて、意地になっていたのかもしれない。優しい言葉も素直に受け止められずにいた。だけど自分の苦手を受け入れることで、自分でも驚くほどこころが軽くなった。やっと、私は手放すことが出来たのだ。

今では毎日の料理をやめた。掃除は決め事をあまり作らず続けられるように、洗濯や買い物は出来るひとがする。家事の負担が減っただけでなく、気持ちにも余裕が持てるようになった。誰だって家事は出来た方が良い。自分が経験したからこそ、些細なことでも尊敬することが出来る。そしてそこに性別は関係ない。

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私が子供の頃より家事分担の自由度は高まっているが、まだまだ女性が中心で男性が手伝うという形が多いのではないだろうか。家事に限らず、女性だからといって自分を無くしていることはないか、もう一度見つめ直してみてほしい。もっと自分らしさを大事にすることで、また新たな自分に出会えるかもしれない。

私は私であることに後悔はしていない。そして出来ない自分を受け入れてくれた環境にとても感謝している。だからこれからを生きる女の子たちにも女性だから、に縛られることなく、自分が心躍ることを選んで楽しく過ごしてほしい。

■とだめぐみのプロフィール
ただ穏やかに暮らしたい。書くことは自分と向き合える時間。

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