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1年の1人暮らしを支えてくれ、温かく笑いに満ちた街。一生忘れない

  • 2024.10.28

そこは私の青春そのものの街だった。
楽しいこともしんどいことも全て詰まった街だった。

特別な観光の街でもなければ、皆が地元と言うような誰もが生まれ育つ街。
私は、大学入学と同時に、1人暮らしを始めた。
私の行く大学は1年と2年からでキャンパスが分かれていたので、4年間のことを考えて両方行きやすいところに住むことにした。
引っ越しを決めた時は、楽しさでいっぱいだった私も、実際その作業が始まる間近になると、不安と寂しさでいっぱいだった。
でも、半ばわがままを言ってする1人暮らしだったので引き返すことはもちろんできず、ただひたすらに自分の気持ちを閉じ込めて、暮らしに臨んだ。
引っ越しの日、母が一緒に準備をしてくれた時、涙が出た。
これからは1人で暮らし、生活していくんだと。誰も知り合いがいないこの街で。
でも今思えば、地元を離れる寂しさもあったのかもしれない。
私の地元はド田舎で、引越し先の街は都会。田舎育ちの私にこんな都会で生活できるのかと。そういう不安もあったのかもしれない。

◎ ◎

そんな不安の中、いざ1人暮らしが始まった。
いざ、はじめてみると思っていたより楽しかった。時間を気にせず寝たり、ご飯を食べたり……。
地元の友達も遊びに来てくれた。
5月からは、バイトを始めた。スポーツクラブの受付のバイトだった。
この職場こそ、私がこの街で暮らして良かったと思う一つのきっかけになるとも知らず……。

バイトを始めてからは、ほとんど毎日シフトに入った。
他の人が休むといえば代わりに出勤した。その事もあってか、支配人やリーダーからはとても頼りにしてもらえた。
ときには、1日8時間勤務を3日連続でこなし、1週間のほとんど毎日をアルバイトで過ごすこともあった。
アルバイトは23時に終わり、そのまま同僚と居酒屋に飲みにいったり、ご飯に行く。カラオケに行って朝までオールすることもあった。
毎日が充実していて楽しかった。1人で暮らし始めた初日の寂しさなんてまるで嘘みたいだった。もしかしたら、田舎暮らしの私にとって新鮮だったということもあるのかもしれないけれど……。

◎ ◎

1人暮らしをしているけれど、極度の寂しがりやの私はよくシフトに入っていない日も、休憩室に顔を出してはみんなと話していた。
みんなも「また来てる!」と笑いながら温かく迎えてくれていた。
風邪を引いたと聞いたときには、連絡をくれて家まで食料を持ってきてくれた。
私がご飯をあまり作らない日が続いたときには、炊き込みご飯の残りでおにぎりにして持って来てくれた。

何を。どれくらいの大きさのおにぎりなのか。
そんなことは関係ない。その優しさが嬉しかった。
家族以上に私のことを考えて、栄養やご飯、生活の心配をしてくれる。
大学をやめようかと迷ったら、アドバイスをくれる。元気がない時は励ましてくれる。
そんな些細なことが当たり前にできる人が多く溢れた街だった。
大学2年になり、実家に帰らないといけなくなった時も、なかなか帰る決断ができなかったのは、「まだここに居たい。暮らしてバイトに行きたい」と思ったからだった。

◎ ◎

バイト先のことを中心に書いているが、本当はそれだけではなくみんな温かかった。
よく行くお弁当店の女性。居酒屋の店主。クレープ店の女性。みんなが優しかった。
そしてみんないつも笑っていた。
私の住んでいた街はそんな温かさと笑いに満ち溢れていた。

観光地でもない。いつでも行けるし、特に大した特徴もない。
でも、紛れもなくそこは私の大切な街。第2の故郷。
何か特別なものがなくても、観光名所や人が集まる遊園地などがなくても。
それでも、人々の温かさや笑顔にふれ、私の短い1年の1人暮らしという自立期間を支えてくれたのは紛れもなくこの街だった。
私は一生ここでの暮らしを忘れることはない。
だって、この街が大好きだから。大好きな人たちとの思い出がたくさん詰まった街だから。

■Nの思いのプロフィール
文を書くことが好き。
苦しい6年間を乗り越えて多くの人に自分の経験を伝えたい。
些細な幸せを噛み締めて暮らしたい。

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