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17人に聞いた「子を持つ・持たない」と決めたタイミング──20代から40代がシェアする、それぞれのリアルな答え

  • 2024.10.27

今年大ヒットを記録したチャーリーXCXの最新アルバム『Brat』の収録曲「I Think About It All the Time」に、こんな一節がある。「避妊をやめるべき? だって私のキャリアは、この存在意義のなかでちっぽけに感じられるから……」。私の思考プロセスは彼女のそれと同じではないが、この歌詞を耳にして思わず共感してしまった。

母親になりたいのか、それとも子なしのままでいたいのかという問いは、いつもほかの多くの疑問につながるようで、私は考え始めた頃よりも混乱している。出産は世間で言われているほど大変なものだろうか? 養子縁組や養育に伴うハードルに対して、心の準備はできている? 私たちはどこに住むのだろう? 私が働いている間、誰が子どもの面倒を見てくれるの? もし私が趣味のヴィンテージショッピングをやめたら、それは家族の食費や子の教育費にあてられるようなお金になる?

人生の選択に迷ったとき、私はよく友人のグループにアドバイスを求めるのだが、このトピックは一部の仲間内だけで扱うには難しすぎると感じた。そこで、「子どもが欲しいか欲しくないか、どうやって判断するのか」という質問をより多くの人に投げかけてみたところ、いわゆる「子どものこと」で悩んでいるのは私だけではないことがわかった。

以下では、この質問に対する17人のパーソナルな回答を読むことができる。ここに紹介するのはごく一部の人々の意見だが、もしあなたがこのトピックや不妊・不育に関連する問題で悩んでいるなら、一人ではないことを心に留めておいてほしい。私の友人曰く、「どんな決断、結果に至ろうとも、なんとかなるものだから」──。

子どもを持つ準備ができたのはいつ? 人それぞれのターニングポイント

「セックス・アンド・ザ・シティ」第8話「I Love a Charade(新たな恋の予感)」より。ミランダ(左から2番目)は妊娠発覚後、悩んだ末に出産を決意した。
「セックス・アンド・ザ・シティ」第8話「I Love a Charade(新たな恋の予感)」より。ミランダ(左から2番目)は妊娠発覚後、悩んだ末に出産を決意した。

エミリー(39歳、3歳の母):一人でも二人でも、いつか子どもが欲しいとずっと思っていました。私にとって大切なことだったので、23歳で今の夫と付き合い始めたとき、彼が子どもを欲しがらなかったらそれは問題だとはっきり伝えましたね。でも結婚してから10年間、私は心の準備ができていないと言い続け、彼もまた、それから2年ほどためらっていました。妊活を始めたとき、私は35歳。ミレニアル世代だからでしょうか……私は安易にも、子作りというのはタクシーを呼んだりテイクアウトを注文するのにボタンを押すのと同じようなものだと思っていました。しかし実際にはそうではなく、私たちは体外受精をしなければなりませんでした。幸いなことに、1回目で成功しましたが……。

ローラ(31歳、8カ月の親):異性愛規範的なクリスチャンの教育のもと育ったせいなのか、ただ最初からそうだったのか、私はずっと家族を作りたいと思っていました。でも、白いドレスを着てバージンロードを歩く自分の姿は想像できなくて。妊娠して膨らんだお腹も、あまり想像できませんでした。10代の頃に多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたのですが、医師に子どもを産むのは難しいかもしれないと告げられました。そのとき、私は養子縁組が親になる方法だと思いましたし、今でもその可能性はあると思っています。でも、本当にその道筋が見え始めたのは、20代前半にある女性と恋に落ち、クローゼット(性的指向を隠している状態を指す比喩表現)をカミングアウトしてからです。「ピンときた」と言うか、私は理想的な家庭をこの女性と築くのだと悟りました。結婚や一夫一婦制、ジェンダーを取り巻く伝統的な考え方に必ずしも賛同しているわけではありませんが、彼女との距離が縮まるにつれて、いわゆる“理想のチェックリスト”をすべて潰していった気がします。結婚し、家族の近くに引っ越して安定を手に入れた今、家庭を持つ準備ができたと言えますね。

キャット(39歳、3歳と1歳の母):私は20代後半になるまで、子を持つことに二の足を踏んでいました。自分には無理だと思っていましたし、それに自分自身のことさえまともに世話できていなかったので。当時の私は経済的に苦しく、仕事に追われ、タバコに依存していました。社交の場で始めたタバコでしたが、結局1日1箱吸うようになり、仕事中もよく吸っていました。何度か禁煙を試みましたが、うまくいかなくて。あるとき、禁煙しなければ子を持つことはできないと思い、やめる気になったんですよね。ニコチンパッチを使って、すぐに禁煙しました。(子どもが欲しいという気持ちが)モチベーションになったことに驚きました。どれだけ難しくても禁煙をすることで、私も自分自身の体と健康を気遣うことができる人間なのだと安心しました。それが私にとって、子を持ちたいと思うようになった転機であり、私だって親になれると思えたときです。

ジャネル(41歳、13歳の母):20代前半に、子を産んで育てたい、母親になって親子関係を築きたいと思うようになりました。妊娠する数年前から、娘がここにいることを想像して話しかけたりもしていました。父親や結婚のことはどうでもよくて、ただ母親になりたいと思っていましたね。今は娘との関係も、彼女の成長を見守ることもすごく楽しんでいます。私自身は養子で、家族や両親との関係は複雑だったから、それは変えたいと思っていました。私は変えられたと感じているし、そのことを誇りに思っています。

ナタリア(36歳、2歳の母):最初から子どもが欲しかったとかではなくて、自ら意識的に決断しました。いつか欲しいと思えるようになることを望んでいましたが、結局そんな気持ちが湧くことはなかったんですよね。私は多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)にかかっていて、妊娠は難しいだろうと言われていたので、それは常に頭のなかにありました。交際も順調で安定した仕事に就いていたし、パンデミックも終わりに近づいていると思った頃、パートナーと一緒に半年ほど試してみて、ダメだったら考えるのをやめようと決めました。ところが、最初の周期ですぐに授かったんです。子どもができてよかったと思いますが、いなくても大丈夫だったとも思っています。

「ずっと子どもが欲しかった」──親になることを前提に生きてきた人たち

クリスティン・デイヴィス演じるシャーロット・ヨークは、不妊に悩み続けた結果、養子縁組に踏み切った。続く映画『セックス・アンド・ザ・シティ』(2008)では女の子を出産している。
MCDSEAN EC202クリスティン・デイヴィス演じるシャーロット・ヨークは、不妊に悩み続けた結果、養子縁組に踏み切った。続く映画『セックス・アンド・ザ・シティ』(2008)では女の子を出産している。

ジェイミー(34歳):「大人になったら子を持つもの」という社会的環境下で育ったので、ずっと子どものいる人生を前提に生きてきたと思います。価値観を共有できて、私と同じように家族を築きたいと考えている相手と関係を深めていくなかで、彼女と一緒に親になり、楽しい思い出を作っていくことはいとも簡単に想像できましたね。でも同時に、それが私たちにストレスを与えることも十分承知していました。私たちは同性カップルなので、(妊娠・出産のプロセスが)不自然だと感じてしまうのではないかという不安や、子を持ちたいという私の願望が、異性愛規範的な理想に合わせようという気持ちから来ているのではないかという疑問もありました。そこで私たちは、クィアコミュニティに属しているドナーを見つけるためのステップを踏むことにしました。幸いにも子どもの人生の一部になりたいと思ってくれるドナーが見つかり、今はすべてが自然にうまく進んでいるような気がします。

トム(35歳):ゲイ友だちの赤ちゃんに会ったとき、私も子どもが欲しいと思いました。それまでは漠然とした夢だったのに、その夢は実際に叶えられるのだと証明された瞬間でした。大きくなった彼らを想像すると、未来の友人ができた感覚になります。来月から私も子作りを始めようと思います。

マルセル(35歳):母親になりたいとずっと思っていました。でも私はバイセクシュアルでもあるから、20代から30代前半はクィアな付き合いをしていました。バイセクシャルの母親になることが不可能だとは思わなかったけど、ただ、家庭を持つことを前提に人生を設計してくれるパートナーを見つけるのは(シスジェンダーでも)困難だと感じましたね。結局、私はバイセクシュアルのシスジェンダー男性と愛のあるパートナーシップを結び、結婚の道を歩むことになりました。お互いほかの人と交際した経験もいくらかあったので、一夫一婦制が物足りないとは感じませんでしたね。年齢的にもあと数年のうちに子どもを作らないといけないのですが、最近パートナーと家庭を持つことについて話すと、彼はヘテロノーマティブな生活を送ることにパニックになるんです。クィアな人たちと一緒にいると、私たち二人はどう映るのだろうと言葉にならないプレッシャーを感じることがあります。彼は疎外感を感じるみたいですが、私は全く気にしていません! 私には素晴らしいコミュニティがある。それに、「十分にクィアであること」や「ほかの人とセックスできるか」よりも、今は赤ちゃんが欲しいんです。

テレンス(43歳):4年ほど前、欠点だらけの父親像を追うことに見切りをつけ、自分自身がよりよい(家族の)リーダーになろうと決意しました。セラピーを通じて自分自身について掘り下げた後、私はもう“子ども”ではなく、強く思いやりがあり、子を支えることができる“父親”になるための準備期間に移行したのだと気づきました。

ジェーン(33歳):私は一人っ子育ちで、ずっと子どもが嫌いだったし、今でも正直言うと苦手です。でも私も少し大人になって、女の子なら欲しいと思うようになりました。というのも、10代の娘を持つ年上の女友達がいるのですが、その子たちのことが大好きで、私も子を持つことを考えるようになったんです。自分にも家族にも、そしてパートナーにも、「子どもは産めない」と言ってきましたが、今は「子どもが欲しい」と言える気がしています。養子縁組をして、生みの親との関係を保ちながら子を育てていくことを考えると楽しみです。それに、代理母出産も検討してみたい。私は自分の遺伝子が受け継がれることに執着しないけれど、夫は違うみたいなので。

ジェン(36歳):現在夫婦で妊活をしています。もうすぐ3年目です。もうずっと長い間、子どもが欲しかったのですが、不妊に悩む過程で自分のアイデンティティについてまったく新しい見方ができるようになりました。子どもを欲しいと思ったことがない姉妹と母親になることについてよく話してきましたが、子作りを始めて、不妊に悩むということは経済的なことや理性的なことはともかく、「ああ、ずっと子どもが欲しいと思っていたけれど、この想いは私という人間の核にあるものなんだ」と実感する瞬間でもありました。

「何一つ後悔はない」──子なしの人生を歩むと決めた人たち

自由奔放なサマンサを演じたキム・キャトラルは、プライベートでも子どもがいない。BBCラジオ番組でのインタビューでは、「『childless(子なし)』と表現されることが嫌い。子を産んでいないことで、何かが“欠けている”ように聞こえるから」と述べている。
MCDSEAN EC106自由奔放なサマンサを演じたキム・キャトラルは、プライベートでも子どもがいない。BBCラジオ番組でのインタビューでは、「『childless(子なし)』と表現されることが嫌い。子を産んでいないことで、何かが“欠けている”ように聞こえるから」と述べている。

エリザベス(33歳):絶対に妊娠したくないと確信したのは、20歳の頃だったと思います。妊娠するということ、自分の体の中で人間を身ごもり、成長させるということが私にはとても恐ろしいことだと感じました。妊娠していることを考えるだけでもぞっとしてしまって。ほかの人が妊娠しているのは素晴らしいことだし、もし妊娠を楽しめているなら、それでいいと思うんです。でも、“私”が妊娠? 考えただけで気分が悪くなります。26歳くらいのときに、人を育てるなんて絶対にしたくないと思った。その責任はあまりにも大きく、唖然とするほど。私には無理。それに、私が幸せで心身ともに健康でいるためには、肉体的にも精神的にも十分な余裕が必要。でも、子どもがいたらそんな余裕はない! 1日に2、3時間、他人と一緒にいることでさえ、私のメンタルによくないんです。こんなふうに感情のコントロールに苦労している親を持つことが、子どもにとってどれほど理想的でないかもよくわかっているから。

アンドレア(28歳):子どもはいらないと決めたのは、がんと診断されたとき。卵子凍結もしたくないと思ったんです。ある人に、「子は人生を大きく変えるから、地の果てまで行ってでも欲しいと思ったら産めばいい。そこまでして産みたいと思えなかったら、子育ては難しい」と言われたことがあるのですが、私はその言葉を信じました。病院にいたとき、子を産むために必死になりたくなかったし、それに子を持つことは自分にとってそれほど重要ではないのだと気づきました。今のようにはっきりとわかるようになるには何年もかかったし、セラピーも受けましたが、今振り返れば、自分にとって最善の決断のひとつだったと言えます。

ジェシカ(45歳):昔から子どもにはあまり興味がなかったですね。私は小さな家庭で一人っ子として育ったので、そもそもほかの子とも縁がありませんでした。年を重ねていい人に出会ったら考えが変わるといつも言われていたけど、そうは思えなくて。確信が持てたのはロースクールに通っていた頃、教授の娘さんが私たちのクラスに来て、弁護士としてのキャリアについて話してくれたときでした。彼女は移民法や家族法を専門にし、何百人もの子どもたちが複雑な法制度を利用する手助けをしてきた人でした。その後、彼女自身に特別な支援を必要とする子どもが生まれ、彼女はケアに集中するため仕事を辞めました。心温まる話のはずだったのに、私は納得できなくて。だって、助けを必要としている子どもたちがたくさんいるのに、(彼女が辞めることで)彼らが本来得られるはずだったサポートがなくなってしまったから。すでにこの世にいる子どもたちを助ける代わりに、なぜこの地獄のような世界にもう一人増やすことにしたんだろう? って。その瞬間、自分のすべてを子どもに捧げることはしたくないし、できないだろうと思ったんです。私は今、人道支援の仕事に就いているわけではありませんが、親になることで私自身の輝きは失われ、歓びを追求することが難しくなると感じましたし、今もそう感じています。45歳になりましたが、何一つ後悔していません。

サマンサ(29歳):留学して、一人旅をたくさんして、人生にはもっとたくさんのやるべきことがあると思うようになってから、自分に子どもはいらないって気づきました。自分の好きなことを好きなだけやれるから!

ローレン(39歳):20代、そして30代前半の頃は、自分に何人かの子どもがいる様子がはっきりとイメージできました。実際、子どもがすごく欲しかった。ここ数年、私は過眠症であることに加え、抗うつ剤に依存しており、胎児に害を及ぼす可能性のあるものでさえも服用をやめたくないことに気づきました。また、心の支えだった父も亡くしました。医師からはもって5~6年だろうと言われていたのですが、2020年6月頃にはもう長くないと思いました。そんなに長くは生きられないと、骨身にしみて感じましたね。私はずっと、父が日中子どもの面倒を見てくれて、最高のおじいちゃんになる姿を想像していたから、父なしで赤ちゃんを育てるなんてありえなかった。その上にジョージ・フロイド事件が重なり、この地で黒人の子を育てる、しかも父なしになんて、考えられなかったんです。でも今は、自分が叔母さんであることを心から楽しんでいます。夜中の3時に5歳の子どもが吐いていたとしても、世話しなくて済みますしね(笑)。

ヘレン(42歳):私は子どもが欲しいかどうかわからなかったので、30歳のときに当時の医師の勧めに従って卵子凍結をしました。でも今年の初め、12個の卵子を精子バンクで保管するための年間契約更新の通知が来たので、私は卵子を医療廃棄物として捨てることにしました。過去12年間、卵子を保存するために1万2千ドルも費やしてきたけれど、子を持ちたいという願望は生まれなかった。友人や同年代の多くの女性が母親になる決心をするのを目の当たりにしてきましたが、私はそれをまったく羨ましいと思わなかったんです。彼女たちが子どもを持つことで経験したことが、自分にとって楽しくて充実したものになるとは思えなかったから。また、子を持たないことで自分の人生に何かが欠けていると感じたこともありません。むしろその正反対だった。私は子のいない将来の可能性に自由を感じましたし、楽しみな気持ちさえ湧きました。パンデミック中の2020年に子どもはいらないと100%確信したのですが、その結論に至ったことで本当に前を向けましたし、エンパワーされました。私にとって最後のステップが、凍結した卵子を廃棄することだったのです。

Text: Emma Specter Adaptation: Motoko Fujita

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