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【40歳の私へ】無名の商品を大ヒットへ エアウィーヴ、バーミキュラの成功と母であることの葛藤

  • 2024.10.25
出典:シティリビングWeb

40歳といえば、キャリアや人生、あらゆる節目になる年代。どんな40歳になっていたい? 40歳の今どんなことを考えている? どんな40歳だった? 「40歳」をキーワードにあらゆる人々の「40歳」をひも解きます。多様性の現代で昔以上に正解はないからこそ、自分自身が納得できる「今」を見つけるきっかけに。

今回は、大手自動車部品メーカーを経て、ベンチャー企業のPR広報へ転職。「エアウィーヴ」「バーミキュラ」のPRでは大成功を納め、32歳でPR会社「LITA」を起業した笹木郁乃さんに話を聞きました。

出典:シティリビングWeb

株式会社LITA CEO PRプロデューサー 笹木郁乃さん/写真提供 LITA

「社会に貢献したい」意気込んで就職した研究職で挫折

学生時代、数学が得意だったこともあり、大学は理学部数学科に入学しました。在学中、人の役に立つ物が作れる工学部の学びに大きな意義を感じ、理学部から工学部に転部。そして、工学部で学んだ知識を生かすため、設計エンジニアとしてトヨタ自動車部品メーカーに就職しました。

大学を主席で卒業できた自信もあり、「社会に貢献する」と意気込んでいましたが、大学の学びと実際の研究職に求められるスキルの差に愕然。大いに落ち込みました。

「無名のマットレスの良さを知ってもらいたい」ベンチャー企業での挑戦

研究職として挫折を味わった私ですが「天職はほかにあるはず」と気持ちを切り替え、転職することにしました。そのときに選んだのが、創業間もない株式会社エアウィーヴです。エアウィーヴでは、社長直下で営業、PR、マーケティングと未経験な業種を幅広く担当することになりました。

エアウィーヴのマットレスのことが世の中に広がると、睡眠の質が上がり人々が幸せになると商品には自信があったのですが、無名のマットレスの良さを理解してもらうことは非常に難しく、1日に1枚売れるかどうかという状態でした。

それでも地道なPR活動を続ける中、浅田真央さんをはじめ、一流アスリートや一流旅館などから寝心地を評価していただいたことが、採用に繋がるようになりました。そして、さまざまなテレビ局で取り上げてもらったことが起爆剤となり、エアウィーヴは年商1億円から115億円へ、急成長しました。

出典:シティリビングWeb

写真提供 LITA

「私の代わりはいくらでもいる」仕事と育児、母親であることとの葛藤

エアウィーヴが軌道に乗ったころ、育児休業を取得しました。復職後は時短勤務で子ども優先の働き方をしようと考えていたのですが、いざそうなると何か違う…。会社の規模も大きくなり、後輩も育っている。私1人がいなくても会社がまわっていくことは安心なことなのに、満たされない、モヤモヤとした気持ちがありました。結果、2度目の転職をすることにしました。

次に選んだのは、やはり小規模なベンチャー企業で「バーミキュラ」という鋳物ホーロー鍋製造販売の愛知ドビー株式会社です。当時、「バーミキュラ」は無名の商品。再び、地道なPR活動をする日々がやってきました。

メディアへの露出を増やしていくなかで、テレビ番組で商品を取り上げてもらったことで人気に火が付き、あっという間に在庫がなくなり、「バーミキュラ」は1年待ちの人気商品となりました。

成功を収めると同時に再び自分の気持ちとの葛藤も再燃しました。

小規模のベンチャー企業はやりがいを感じる一方で、子育てとの両立には不向きという特性がありました。当時はワーママが働く事例や制度がなく、子育てをしながら働くことはとても難しい環境でした。子どもと過ごす時間が十分に取れない、そこまでして働く必要があるのか。でも、もっと仕事がしたい、どんどん挑戦したい…。

そのジレンマを解消するため、私が選んだのは起業という道でした。

「仕事において子どもはハンデにはならない」自分の思い描く姿を求め起業

挑戦したい、子育てもしたい、そんな自分の希望をかなえるために、まず選んだのはフリーランスという働き方でした。そこで実績を積み、起業へと進めました。

もちろん、起業に関しての不安はありました。起業すれば、すべてが自己責任になります。ただ、やりがいも感じられます。私は会社のなかの一社員という立場も気に入っていましたが、より自分の欲求を実現できる手段が、私にとっては起業でした。

また、その選択は子どもがいたからこそだと思っています。おそらく、仕事に関してだけならば、起業という道は選ばなかったと思います。そのことに関しては、選択肢を与えてくれた子どもに感謝しています。

「家族と密な時間を過ごす」二度の離婚危機から分かったこと

私が仕事に没頭しているときも、起業しようと決めたときも、反対しなかった夫ですが、やはりすれ違いによって二度の離婚危機がありました。私が仕事に夢中になり、出張で家を空けることが多くなったり、家にいても仕事のメールを見ていたり、家族との時間を十分に取れないことが原因です。そこから学んだのはシンプルですがメリハリを付けることです。

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写真提供 LITA

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写真提供 LITA

わが家では、土・日曜のごはんは一緒に食べることをルールにしています。また、3~4ヵ月の頻度で家族旅行をしています。旅行という予定を決めてしまい、その予定に合わせて仕事を調整。旅行中は仕事モードはオフに。家族と密に過ごす時間を作っています。オンとオフの切り替えがなかなかできなかった私には、旅行の予定を決めてしまう、というのは効果的でした。

「あのときの失敗があったからこそ」40代はさらなる飛躍の年齢

30代は目標に向け、やみくもに歩いていました。失敗も多くしました。ただ、そのおかげで自分の得意・不得意が分かった年齢でもあります。40代は子育てがひと段落したことで、もっと仕事に比重が置けるように。会社もどんどん成長し、壮大なヴィジョンも描けるようになり、またその実現をリアルに考えられる年齢です。

そして、学生時代からの「人の役に立ちたい」という信念は変わっていません。世の中には、まだ知られていない素晴らしい商品がたくさんあります。それらの商品には人の心を動かすストーリーがあり、人を幸せにする力を持っています。私はそのことを多くの人に伝える役割を担っています。たくさんの人に感動を届けるため、これからも挑戦していきたいです。

売上を急拡大させたノウハウが学べる

LITAでは、届けたい商品、実現したい想いがあるのに届かない…。そんなもどかしさを感じている人に向け、PRについて学ぶOJT式「PR塾」を開催しています。

笹木郁乃さんが関わった事例、売り上げをアップさせたノウハウをブラッシュアップ。専門性の高い複数の講師陣により、メディアPR、出版企画、SNS発信など、今の時代に必要なPRスキルの全てを網羅するコンテンツ内容です。常に最新の情報をアップデートし、講座内容に反映しています。

出典:シティリビングWeb

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