1. トップ
  2. エンタメ
  3. 一条帝崩御。パシリ行成のおかげで次期東宮は敦成親王に。渦巻く権謀術数を冷静に観察するまひろ。

一条帝崩御。パシリ行成のおかげで次期東宮は敦成親王に。渦巻く権謀術数を冷静に観察するまひろ。

  • 2024.10.25

「光る君へ」言いたい放題レヴュー

「光る君へ」言いたい放題レヴュー
「光る君へ」言いたい放題レヴュー

光る君へ 第40回「君を置きて」あらすじ&今週も言いたい放題パシリ行成の働きで東宮は敦成に。そして一条帝崩御。冷静に観察するまひろ。

今週のお当番のM男です。ついに一条帝崩御。なかなか重いというか、濃い回でした。

いわゆる摂関政治の誕生を目の当たりにした気分です(歴史学的には、摂関政治は100年以上前にすでに成立しているのですが……)

敦康親王の東宮を断念させ小走りで道長のもとに走る行成。まさに文字通りのパシリでしたね。

いくら字がうまいとはいえ嫌な奴かも。

そして、こうした権謀術数を冷静に見つめているまひろ。それは作家、記録者の眼そのもので、かっこいい。

不義の罪の因果を恐れるまひろ。弟の死もその因果がなせる業

いかにも幸薄そうな敦康親王(演じる千之助さんゴメンナサイ)が彰子に熱い眼差しを送っています。

『源氏物語』のなかでは、光源氏と藤壺は関係を持ってしまうわけですから、女房たちはそのモデルかもしれない敦康親王と彰子の二人を色眼鏡で見、もしかしたら物語通りに不義が起きてしまうかも、起きてほしいとまで、面白半分に思っているに違いありません。

 

まひろはまひろで、不義の罪の因果を恐れています。もしかしたら弟の死も、因果応報とまで考えているのかもしれません。片や道長は、敦康を彰子から遠ざけ、宮中から排斥することばかり考え、自分の不義にはひたすら鈍感。憎たらしいまでの面構えです。

一条帝、行成の説得に折れ、敦康親王の東宮を断念

パシリとまでさんざんけなした行成の腰巾着ぶりですが、一条帝は伊周が死んでから、度々行成を呼び寄せ、次期東宮のことを彼に相談していたそうです。相談される度に、行成が推したのは敦成だったとか。

 

じつは行成は、敦康親王の家政を扱う「家司別当」。つまり敦康親王とも極めて近い間柄であり、そこから考えると敦康を推してもよかったはずです。それなのに、なぜ敦成にしたのでしょうか。

一条帝を説得するにあたり、先例を持ち出した行成ですが、過去の例をいうならば、天皇の第一子で、母が中宮だった親王が東宮にならなかった例は一度もなく、先例を重んじる貴族社会であるならば、敦康親王が東宮になるが極めて順当なはずです。

ではなぜ行成は敦成を推し、それを一条帝は受け入れたのでしょうか。学者の方々の説によると、ひとつは一条帝の行成に寄せる信頼が篤かったから。もうひとつは、既に強力な武士軍団を抱えていた道長のパワーを恐れたのではないか、という説。

また、外戚の道長が健在の敦成親王が東宮になった方が政治が安定すると、行成が冷静に判断し、それを一条帝に納得させた、という見方もあるそうです。おそらくドラマでは、わかりやすくするために行成を道長のパシリにしたのでしょうね。

 

いずれにしても、行成が記していた日記『権記』の、この日の記述は異様に長く、一条帝と行成は、かなり突っ込んだやりとりをしたようです。(原文を読むことができたなら面白いのに……)

道長、ほとんどマフィア。怖すぎるんですけど……

勝手に敦成東宮を決めた道長に怒り、一条帝のもとに行き翻意を促そうと立ち上がった彰子の袖を掴み、行かせぬ道長。そして立ち上がり、彰子を見下ろしながら脅すように「まつりごとを行うのは私であり中宮さまではございません」と恫喝。怖っ!!

 

 

行成の肩に手を置き「行成あっての道長だ」と微笑んだり、中宮さまを恫喝したり。もう反社会勢力、マフィアそのもの。その後、いくら柱によりかかり、ひとり物思いに耽っていてもそのブラックさは消えまぜんぞ!

 

まひろは、道長と彰子の修羅場をじっと見つめています。こんな道長を見てしまっても、まだ好きでいられるのかなぁ、いらぬ心配までしてしまいます。冒頭部分でも、源氏物語について尋ねられた際には、ただ頷くだけのまひろでした。

 

まひろに関していえば、今回はセリフは数少なく、現場で冷静に状況を見詰め、その都度表情を変えるシーンがほとんど。それはそれで素晴らしい。冷静に状況を見つめてきたからこそ、『源氏物語』を書くことができたわけですから。作家・紫式部ここにありです。

誰も正確に聞き取れなかった、跡切れ途切れの辞世の歌

一条帝崩御。ちょっともらい泣きしそうでした。演じた塩野瑛久さん、お疲れさまでした。塩野さんほど天皇らしい天皇(何をもって「天皇らしい」とするかじつはまったく曖昧なのですが)はいませんでしたよ。

高貴というか凛々しいというか。ちょっと一条ロスになりそう。だからなおさら、病に侵され、烏帽子まで脱いでしまった御姿が見ていられませんでした。おまけに臨終の場では頭まで丸めて……。

辞世の歌も途切れ途切れで、よく聞き取れません。でも、調べてみると、現在伝わっている一条帝の辞世の歌は、資料によってそれぞれが微妙に異なり、全部で5通りもあるとか。

やっぱり誰も正確には聞き取れなかったのでしょうね。だからドラマのあのシーンは案外事実通りだったかも。今回のタイトルの「君を置きて」は、伝わっているどの歌にも共通する一節。この部分は、多くの人が聞き取れたということでしょう。

彰子? それとも定子? 一条帝はどちらに向けて辞世の歌を詠んだの?

面白いのは、一条帝が遺した辞世の歌は、誰に向けて詠んだのかという点で、崩御当時、すでに二通りの見方があったということ。ひとつは、枕元に付き添っていた彰子に向けて詠んだと捉えた人々。

当然、道長はそう考え、『御堂関白記』にも、そうした記述を残しています。一方、あの行成は定子に向けて詠んだ歌と捉えました。11年前に定子が読んだ辞世の歌と呼応している、つまり、一条帝はあの世にいる定子に対し返歌を贈ったのだと。

確かに二つの歌は呼応しているようにも思え、『権記』の記述からは、行成がそう解釈したと読み解くことがでるそうです。メチャ面白い!! だからこそ、崩御の後、道長と行成がそれぞれ日記を書いているシーンが、さらっと入ったのでしょう。でも、視聴者はそこまでは誰も分からないけど……。

さらに面白いのは、一条帝が崩御した寛弘8(1011)年6月22日のちょうど25年前の同じ日に、道長の父や兄に騙されて花山天皇が出家したそうです。偶然とはいえ、面白すぎます!!

以上は、国文学者の山本淳子先生の力作『源氏物語の時代』(朝日新聞出版)からの受け売りです。改めて読み直すと、あのシーンはそうだったのか、と目から鱗のことが多いので、皆さまぜひご一読を。

直秀とキャラかぶりの双寿丸の登場。それって必要?

ここで、久々に苦言を。最後の5分、なんですかいきなりの架空キャラ双寿丸なる人物の登場は。しかも前半で登場していた直秀とキャラかぶり。盗賊に追い詰められた賢子を救う場面なんぞ、もう陳腐で見ていられません。賢子とのやりとりもやや痛い!

キャスト相関図を見るに、平為賢という藤原隆家の家来となる武士に仕えるそうですが、なんだかなぁ。武士勢力の勃興を描くのかしらん? あと残り少ないのだから、宮中のことだけに絞って、ねっとりとやった方がよいのに、と思うのはM男だけでしょうか……。

「光る君へ」言いたい放題レヴューとは……

Premium Japan編集部内に文学を愛する者が結成した「Premium Japan文学部」(大げさ)。文学好きにとっては、2024年度の大河ドラマ「光る君へ」はああだこうだ言い合う、恰好の機会となりました。今後も編集部有志が自由にレヴューいたします。編集S氏と編集Nが、史実とドラマの違い、伏線の深読みなどをレビューいたしました!

元記事で読む
の記事をもっとみる