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穏やかな時間にいつもとは違う景色がある。それくらいが心地よく、最高の旅なのだ。【風間ゆみえ連載】

  • 2024.10.25

久しぶりに会ったゆみえさんは、少し小麦色になった肌と開放感に包まれた雰囲気が印象的。 「お休み中に何かいいことでも?」そう聞くと、楽しそうに旅の話をしてくれました。

退屈のその先へ—。

正直なところ、私はずっと退屈だ。「え? 退屈? ずいぶんと忙しそうだけど……」人にそう言われるのも無理もない。
 
確かに私は全く暇ではないし、やることに追われながら泣き言さえこぼしている。とはいえ、明らかに私は幸せで、健康で、恵まれている。そう思えているので、毎朝、知人に教えてもらった手順をふんで感謝を伝えている。誰に? と聞かれると、神さま? その存在はそれぞれの心(神)に宿ると考える私は、自分に関わる全てにとでもいうべきか。50年もそういった習慣を持ったことがないのに、これがどういうわけか、一日の始まりにちょっとした知的な行いにも思えて気持ちよいので続けている。
 
この休暇を決めてすぐに、次の連載の撮影予定時期まで旅に出ている私のスケジュールを配慮してくれた編集者が、旅の日記を読みたいですと提案してくれた。けれど、旅とはいえ、行き帰りのチケットをおさえただけの中身は空っぽの旅に、誰かの期待が入り込み、それに応えようと思う私の気持ちが上手く折り合えるのだろうかと悩んだまま飛び立った。3週間のバケーションは人生で初。一番長いお休みの記憶は新婚旅行と入院(笑)。先ほど空っぽの旅と言ったのは何も予定をしていないからで、旅が終わるころには空っぽではなく、カメラロールにも旅の軌跡が残されていく。特に何かをしようと考えて旅立ったわけではないけれど、近ごろの旅は、私にとって特別じゃない、特別な旅。それは、家の玄関がいつもと違う、いつもの暮らしがないけど、いつもの暮らしをしている、ちょっとした違和感が心地よい旅で、これが退屈な私を楽しませてくれている。

そんな旅の始まりのドイツでは、行き慣れないスーパーでお米ひとつ探すのにも手間がかかる。変わらないのは見れば一目でわかる野菜コーナーくらい。缶詰、瓶詰めや調味料などのコーナーなんかはほとんどがドイツ語で、翻訳機を使いながらお買い物をするわけで、とんでもなく時間が費やされる。それでも、私は急いでいないし電波状況のよくないスーパーのなかで、場所によっては応答しなくなるiPhoneを手に気を荒立てることもない自分に嬉しくなる。
 
週末にはクロアチアの古都、ザダルへ出かけた。荷物はコンパクトにして行こうと持ったのは、小さなバッグひとつ。その中に水着は見当たらず、ワンピースが一枚。要するに忘れたわけで(笑)。34℃を超える日中は、照りつける真夏の太陽の下を無邪気に歩くことよりも、プールサイドでクロアチアのビールを飲みほろ酔いを楽しむことに。週末の一泊の時間をただのんびりと過ごすというのも、考えてみるとずいぶんと贅沢なこと。日差しの勢いも少しは和らいだ夕暮れ前に旧市街を散策。ヒッチコックに世界一の夕陽だと言わしめたアドリア海のサンセットは、海岸沿いに人の波を作ることは間違いないだろうと、サンセットクルーズを予約した。時間になると陽気なおじさんが声をかけてきて、君たちはラッキーだな! 今日は貸切だ。先週は満員だったんだ、こんなにもバカンスの人たちで盛り上がっているのに他に誰もいないなんて! 嬉しい反面、ちょっとおじさんの船は大丈夫かしら、なんて思ったりもして、ごめんなさい……。そう心のなかでお詫びしたほど、この夏を思い出すときはこの瞬間だろうなと思える素敵なクルーズだった。夕陽はあっという間に沈んでしまうけれど、沈んだ後に残るオレンジ色が次第に溶けて赤く滲んで、ほどなくアドリア海の深い青色に溶け込んでいく。私はいつもカメラにその瞬間を捉えたいとシャッターを押すけれど、写真におさめられた美しき世界はまた別の世界だと伝えたくなる。

そしてもうひとつ楽しみにしていたのが、海のオルガン。戦禍により荒廃した街にもう一度平和を取り戻したいという思いから作られたというそれは、旧市街を抜けた先にある。陽の落ちた海沿いには電球の光に照らされた白いテントのおみやげ屋が続き、賑やかで楽しげな雰囲気にのせられてクロアチアと書かれたバッグを5枚買った。ばら撒きみやげのようだけど、薄紫で描かれたそのプリントがなかなかよくて、旅の思い出にもなるし、東京で使っていたらこの夜を思い出して楽しい気分になるだろう、なんてわりと気に入って買った。さらりとしたアドリア海の潮風を纏いながらそこへ近付いていくと、少しずつ耳に届き始める。ところどころでバイオリンやチェロの演奏が聞こえてくるから、一瞬音を探りながらも、はっきりとその音の振動がからだに響き広がり、それは宇宙の心音を思わせるような想像以上に大きな音。月に照らされ黒い海にキラキラ光り揺らめく水面を眺めながら身を委ね、気付けば、このボリュームの音をずっと聴いていたいと思っている自分にも驚いた。風や波、潮位によって、寄せては返す波が生み出す自然が奏でる音色。クロアチアの週末トリップは季節を変えて訪れたいと思わされるほど、いい時間だった。
 
旅の後半はハンブルクからベルリンに移動して2泊。ドロテーエンシュタット墓地にあるジェームズ・タレルの教会(礼拝堂)で、毎晩21時に行われている光のインスタレーションを見に出かけた。この日はドイツ語の回で説明は少しも分からなかったけど、2本置かれた白いキャンドルに、変化していくLEDの色がにじんでいるのが特にキレイだった。翌日は朝をゆったりと過ごして、前回、また次に行こうとしていた素晴らしい温室を持つダーレムの植物園へ。そこは都会の喧騒から離れた美しいオアシスみたいなところで、温室は異国の地からやってきた植物たちが一堂に会し、まるで小さな世界旅行をしているような気分になる。湿気を含んだ空気、鳥が鳴き、熱帯雨林の息吹を感じるなか植物の多様性に魅了され、ただ植物を観察しているというよりも、自然そのものを享受できるような場所で、私は五感をフルにして楽しんでいたように思う。

そして、ベルリンからバルト三国のひとつリトアニアのヴィリニュスへと、気の赴くままに出かけた。どこの国へ行ってもこれといって、何か目的を持って行くわけではなく、欲のない旅は気負いもなく気楽なもの。東欧の緩やかな空気感のせいか、食べるものにしても、たまたまアペロのおつまみにオーダーしたポテトフライが、人生で一番の美味しさだったり、青い空の色を写したような壁がいいなと思うヴィーガンカフェの「Vieta」など日本にあったら通いたい美味しさだったり、同じくヴィーガンカフェ「RoseHip Vegan Bistro」ではターメリックがたっぷりと入ったジンジャーハニーティーが美味しくて2杯も飲んだり。旅の締めくくりのヘルシンキでは初のロストバゲージにあうも1日くらいなんとかなるかぁ、と意外と暢気でいられたりして。
 
この夏の旅は、ずっと時間がゆっくり流れていて、あれもこれもしてみたい欲張りな思考もお休み。私の退屈はいつもと同じことが繰り返されて明日が見えているから退屈なのだろう。特別なドラマを求めているわけでもなく、穏やかな時間にいつもとは違う景色がある。それくらいの旅が心地よくほどよい刺激で、今の私には最高の旅なのだ。

photograph: YUMIE KAZAMA

otona MUSE 2024年11月号より

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