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【連載】ステージ上での脱退騒動から5年、異色のアイドルが再始動/onodela「アナーキーアイドル」#1 ステージに乱入してアイドルを脱退した話(前編)

  • 2024.10.23

【写真】デビュー秒読み段階、これからステージで活躍しようと意気込んでいた頃 本人提供写真

2019年7月に、ステージ上でいじめを告発した動画がバズり、アイドルを引退した「小野寺ポプコ」。その後、早稲田大学を卒業、カリフォルニア大学バークレー校へ留学し、卒業生代表としてスピーチをしたことも話題だ。物議を醸したあの日から一体どんな未来に繋がっていったのか、自身の言葉で書き綴るエッセイ連載がスタートします。記念すべき連載第1回は、「アイドルを脱退した日」についてお届けします。

#1 ステージに乱入してアイドルを脱退した話(前編)

2019年7月10日、上野水上音楽堂。時刻は昼過ぎ。

「私、小野寺ポプコ、今日このグループやめます。なぜなら……」

言葉を口にした瞬間、自分の声が空間に吸い込まれていくのを感じた。手に持っているマイクから音が突然切られ、会場が一瞬静まり返る。自分の言葉が不都合だとでも言わんばかりに、マイクの音が消えるのを見て、ムカつきが頂点に達した。

「嘘もついてないのに、どうしてこんなに私の発言を恐れるのか」。その思いが胸の奥で燃え上がり、焦りと怒りが私を支配する。無意識のうちに、PA卓の方向に中指を立ててしまって、自分でも驚いた。

それでも、絶対に伝えたいと心の中で強く誓い、マイクなしで必死に声を張り上げた。

「なぜなら、このグループのメンバーがダサいイジメをして、事務所もやり方がきたなかったです」「高校生にもなって学校でやるようなイジメをアイドルになってもして、一人だけレッスンを違う時間と場所で伝えられて……」

だけど、舌がもつれてしまって、言葉が思った通りに口から出てこない。普段なら簡単に言えるはずの言葉が、今はまるで粘土のように重く、固まってしまっている。

「イジメられたら反抗すればいいと思うけど、もうそんなことされ続けるのが嫌になった」「これからは、ソロで活動するので、よかったら見ていてください」

最後の一言をなんとか伝えた後、私は自分で拍手をし始めた。周囲の観客たちは戸惑いながらも拍手を返してくれた。拍手の中でマイクを返し、ステージから降りようとする。胸の中に無力感と虚しさがいっぱいに広がった。

このカオスなステージが 、私のアイドル人生の終わりかよ。

許さない、絶対に許さない。

ステージを降りる直前に、感情が抑えきれずに振り返ると、気づいたら目の前にいるメンバーたちにまた中指を立ててしまった。

私、カリスマアイドルになりたかったんだ。

すこしだけ時間を7年前に巻き戻そう。

「でらちゃん、ちゃんと勉強している?」「なにその、フリフリの服?あなた、まだ中学生だよ」

いつもお母さんはお説教ばかり。小学校を卒業してから本当に勉強以外なにもしていなかった。人生つまらなさすぎる。そもそも、なんでそこまでいい成績を取らせたいのだろう。例えば、ただ文学がすきな子、ただ見た目が可愛くて愛嬌がある子だと、きっと私の親からは評価されないだろう。

12歳の私は知っている。両親は厳しいしつけを受けてきて、さらにいい大学に入ったことで今の生活を掴んだから、そのレールに乗ることが成功の唯一の鍵だと思っている。いつだってすごく仕事に励んでいる両親は、資本主義の世界で何者かになりたいんだろう。

ほとんどの時間は会社にいるくせに、一緒にいる時間は口うるさく叱ってばかり 。親が家にいないほうがマシだな。家にいない時は、キラキラした女性アイドルの動画を好きなだけ見られるし。ギンガムチェックにたくさんのレース。ラブソングを歌ったり、バラエティ番組で特技を披露したり、私もこんな風になりたいなあ。両親からは、勉強ができるだけで「将来、絶対に成功者になれる」と言われているけど、結局可愛い子だったらなんでも手に入るじゃない? ほら、学校でも一軍女子だけ特別扱いされていてさ……。そう、私も特別な「あの子」になりたかった。いい成績を取らないといい顔を見せてくれない親、ちゃんと校則を守らないと不機嫌そうな担任教師、相手の望むままに存在したら仲間入りさせてくれる同級生……。これはきっと、私の魅力ではなく、同じことをすれば誰でも同じように賞罰が自動的に付いてくるトレードでしかない。

世の中は、なにかを手にいれるためにその対価を支払わなくちゃいけないけど、そのルールを破れる人間こそカリスマだ。誰かのために頑張ってその人の「好き」という気持ちをいただくのは愛じゃない、ただの取引。私は、なにもしなくても相手のことを傷つけてしまっても、揺るぎない愛情を差し出してくれる「無償の愛」がほしい。それを手にいれるためにアイドルになりたい。

そんな思いで入ったアイドル事務所は、「おじいさんたちに可愛がられる元気な孫」のような子ばかりだ。まあ、この事務所の持ちグループに「〇〇学園」のようなグループ名がいくつもあるのでそうなるしかない。はじめてデビューする予定のメンバーと顔合わせをした時は、正直しっくりこなかった。見た感じなんの変哲もないぴかぴかな高校生ばかり。私が憧れていた自我が強く、凛とした姿で天下を取りに行くようなアイドル像からは程遠かった。

同じグループでデビューする予定の練習生たちと合流した時点から、変な空気が続いていた。事務所への行き帰りはいつも集団行動の3人とは反対に、いつも一人で往復していた。というか、私は事務所と大学の最寄駅が同じで、いつも大学から事務所に直行していたが、住まいも学校もバラバラだった他の3人はどこで集合していたのだろう。そんなことも聞きたかったが、聞ける機会は一度もなかった。中学を卒業したばかりの子や高校2年生の子がいて、はじめは3人組としてデビューする予定だったのに間に割り入って、当初あった計画を壊しに来たと思われた人間なんて敵意が湧いてもおかしくない年頃だろう。

気まずい雰囲気の中で数ヶ月の準備期間が経っていた。もともと同時にデビューしたかったけど、「入ってきたのが遅かったから」という理由でほかのメンバーから反対され、自分だけデビューが数ヶ月後の6月末に延期していた。

6月になり、やっとステージに上がることが視野に入ってきた頃、4人用の新しい歌割りのプリントが渡された時、落ちサビ(最後のサビの前に挿入される、BGMを極端に落としてボーカルを目立たせるサビ)が私のパートになっていた。その時のメンバーの顔は、地獄のように険しい表情だった記憶がある。

デビュー目前のある日、「私、水色担当になりたいです!」と自ら申し出た。なぜなら、アイドルファンとして私が推す「推しメン」全員が水色担当だったからだ。また、この涼しく、少し憂鬱なイメージが自分に合っていると思った。すると、今まで担当カラーがなかったグループ内で、”水色を担当したい”という嵐が巻き起こった。みんな、純粋に水色を担当したかっただけではないだろう。結局、所属している事務所の社長の裁量で、幸いにもその大好きなカラーを担当することができたが、これを機にさらにメンバーとの関係が悪化した。

〈後編へ続く〉

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