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劇団ひとりの「妄想の飛躍」味を感じる名文学。船の上の老人の妄想独り言が止まらない?/斉藤紳士のガチ文学レビュー⑯

  • 2024.10.21

その昔、馬鹿の番付けてぇやつがありましてね。 西の大関は「醤油を三升飲んだ奴」ってんでこいつはどう考えても馬鹿だ。こいつを西へ追いやって、堂々と東の大関を張ったのが、なんと意外や意外「釣りをする人」。 なぜ「釣りをする人」が馬鹿かってぇと、水の中に魚がいるかいないか判らないのにそんな所にノウノウと糸を垂れてる奴の了見はどう考えても馬鹿だってんで「馬鹿の親玉」だということだそうだ。 「こないだ馬鹿な奴を見たよ。釣れもしないのに、一日中、ジッと糸を垂れてる奴」 「本当か?」 「本当だよ、間違いない。だって俺はそれを後ろから一日中見てたんだもん」

落語の『野晒し』の枕によく使われる小噺である。 「釣りをする人は馬鹿」というのは随分乱暴な理屈だが、確かに見方を変えれば合理的ではなく、今風に言えばタイパもコスパも悪いことに熱中しているようにも思える。 20世紀アメリカを代表する作家アーネスト・ヘミングウェイの代表作『老人と海』は、キューバに住む一人の老漁師が84日間もの不漁の後、巨大なカジキを3日間にわたる死闘の末、捕獲する話である。 老人は他の漁師からは呆れられているが、マノーリンという少年だけは彼を慕っている。 物語は至ってシンプル。場面転換も少なく、ほぼ船の上で展開される。 そのせいか大半は老人の心理描写や独り言が多くなり、また以前は同船していたマノーリンのことが恋しくなる場面も何度か描かれる。

「あの子がいたらなぁ」と老人は大声でいったダ・ヴィンチWeb

うるさいな! 未練タラタラやないか! と言いたくなるが、老人自身も自分がいったいいつごろからこんなに大声で独り言を言うようになったか思い出せない状況なのである。 案外、絶対に他人が存在しないような空間だと大声で話してしまうものなのかもしれない。 この小説はアメリカのマッチョな部分を掬い上げたような描写が魅力のひとつでもある。

かれは小さな切身を取り上げ、それを口に入れてゆっくりと噛んだ。まずくはない。よく噛んで、みんな血にするんだぞ。ライムかレモン、せめて塩でもあれば、まんざらでもないんだが。ダ・ヴィンチWeb

実にワイルドで男臭い。 生命力に満ちた海の生き物たちと人生の終盤に差し掛かった痩せた老人との対比も見事で読む者に緊張感を与える。 特にカジキとの日付を跨いだ格闘は手に汗握るような緊迫感があるのだが、その闘いの最中にあって、どこか滑稽とも思える自問自答にユーモアを感じる部分がある。 ピン芸人である劇団ひとりさんはピンのコント師の中では群を抜いている存在で、特にピンスポットに照らされて脚本のト書きの部分まで喋ってしまうような「語り」のネタは秀逸である。 中でも『富良野支店』や『彼女が部屋にやってくる』のネタなどは短編小説を読んでいるような完成度がある。 『彼女が部屋にやってくる』では、彼女が部屋に来たらこんなことが起こるのではないか、とあれこれ思案し、どんどん不安になり、結果的に彼女は国際スパイなのでは? という妄想を膨らませる。彼女が素性を告白し、自害するところまで妄想は爆発してしまい、その結果彼女からの「ごめん、やっぱり今日行けなくなった」という電話を受け、「良かったぁ」と安堵するという本末転倒なオチでコントは終わる。 『老人と海』における船上での独り言や自問自答はこの「妄想の飛躍」の面白さがある。 カジキとの格闘を続けていると老人は自然とカジキに敬意を表するようになる。

あれ一匹で、ずいぶん大勢の人間が腹を肥やせるものなぁ、とかれは思う。けれど、その人間たちにあいつを食う値打ちがあるだろうか? あるものか。もちろん、そんな値打ちはありゃしない。あの堂々としたふるまい、あの威厳、あいつを食う値打ちのある人間なんて、ひとりだっているものか。ダ・ヴィンチWeb

自分で考えてる間にどんどん怒りが増幅している。まさに「妄想が飛躍」しているのである。 この小説はあれだけ格闘して仕留めたカジキをサメにほとんど食いちぎられてしまい、漁は徒労に終わる。 劇団ひとりさんのネタもほとんどの心配事は実際には起こらず徒労に終わる。起こる可能性の少ないことをあれこれ悩んでいるのはいかにも人間的だが、滑稽にもとれる。 「人間は愚かな生き物だ」と愛を持って思えたら、そこに良質な笑いや物語が立ち上がってくるかもしれない。 そしてまさにそのことを「人間の業の肯定」として落語に取り入れたのが、前述の枕の小噺を好んで使っていた立川談志である。 談志師匠の言う「馬鹿」には「愛」が詰まっていた。

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