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家族、結婚、感情まで?「わたし」の代わりを誰かが生きてくれる世界

  • 2024.10.21

10年後、この世界はどこまで代行可能になるのだろうか?

この数年で、生きる上で自分の代わりになってくれる存在がとても増えた気がする。
運転代行や家事代行はもちろん、買い物代行も、退職代行も、さらにはSNSで背伸びするためのリア充代行など、いまの世の中には様々な代行業がある。

さらに、毎年テクノロジーは進化を遂げ、今やAIは日常の一部になった。気になることはAIに聞けるし、絵も描いてくれるし、企画書も作ってくれる。読書の要約もしてくれるし、健康状態もみてくれる。

◎ ◎

不要な代行なんてきっとない。むしろ必要とされるから代行業が生まれているのだ。自分の時間をつくるために、代行業者やAIに手を借りることに対してなにも言うことはない。
日常のいろんなことを外注するようになった昨今だが、代わりがきかずに自分でなんとか乗り越えねばならない節目も、時にやってくる。しんどい時に、他者がどうしようもなく羨ましくなって、あの人の人生を生きられたら、とか、この辛さを自分で受け止めずに済めばどれほど楽だろうかとか、そんなことを考えてしまう時がある。

でも、おじいちゃんがしんだときも、大失恋をしたときも、仕事で体調を崩して休職せざるを得なくなった時も、誰も代わりにはなってくれるわけもなく、自分の中に生まれる感情を全身で受け止めるしかなかったし、受け止めなければ立ち上がれなかった。受け入れることができないことはたくさんあった。けれど、ただその事実を受け止める、ということは少しずつだができるようになってきた。

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一方で大学受験で志望校に合格したときや、数年ぶりに恋人ができたとき、甥っ子が生まれたときも、他の誰でもなく、ただただ、わたしが嬉しいと感じられた。わたしの中で生まれる感情をわたしが独占できた。そして、周囲の大切な人たちと全力で喜びを共有できた。

喜びも怒りも哀しみも楽しみもすべて、他の誰でもなくわたしに享受する権利があり、その辛さと幸せがいまここで同居している。それが生きることなのだと、29歳になってやっとわかってきたような気もする。
ただ、この調子でいくと、こういった感情までもが外注できるようになってしまうのではないか、とも考える。
むしろ、すでにSNSの世界では少しずつ起きつつあるように思う。みなくてよかった情報を目にしてしまい、感情をアーティフィシャルに醸成されているような感覚があそこにはある。

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そのほかにも、家族代行や友人代行、結婚代行なども生まれて、自分たちの感情を誰かに預けるような、そんな代行がどんどん生まれていくかもしれない。いや、すでにそれらしいものはあるようにも思うし、これから本格化する可能性も100%ないとは言えないだろう。

10年後を生きるあなたたちは、日常のいろんなことが外注でき、わたしの代わりを誰かが生きてくれる世界のなかで、「誰」を生きていますか?

自分の手足をつかって行動して、自分の目で世界をみて、自分の言葉で思いを語れる人生を生きていてほしい。

どうか、他の誰でもなく「わたし」を生きていてほしいと願う。

■おちゃこのプロフィール
29歳、女子大卒、メディア勤務。 仕事終わりは帰って食べて泣きたいです。

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