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苗字を選択できなかったのは、私が初めて直面した「女性だから」の壁

  • 2024.10.21

平成を丸々過ごしてきた私は、25歳まで入試でも就職でも“女性だから”という理由で困難な場面に遭遇したことはなかった。

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学生の頃は、自分は男子より優秀だと心から信じていたし、就職でも比較的女性の少ない組織に入り(だからと言って100人に1人の紅一点というわけでもない)、いい意味で顔を覚えてもらいむしろ女性であることの恩恵を享受したりもした。

我が子の出産に際しても職場は温かくサポートしてくれ、過去、産休・育休などの制度整備のために奮闘してくださった多くの先輩方に頭が下がる思いだ。

このように、現代を生きる女性としてあまり不自由は感じていないのだけれど、ただ一つだけ納得できない思いがあるのは、「夫婦同姓」についてである。私が結婚したのは十年近く前になるが、旧姓には並々ならぬ愛着が今もある。

例えば、社会人になると下の名前よりも苗字で呼びかけられることが当然多くなるが、先輩たちは私の苗字に「ちゃん」を付けて呼んでくれ、その組織に迎え入れられているようで嬉しかった。また、私の旧姓は少し珍しいものだったから、初めてメールを送った相手から「以前一緒にお仕事させて頂いた○○さんですか?珍しい苗字なので覚えていました」と、勘違いながらも楽しいやりとりに発展したこともある。

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そんな愛着ある名前を結婚するためには失わなくてはいけないのだ。苗字が変わるだけで名前の半分は変わってしまって、字面だけ見ればもう別人のようだ。高校時代の友人の結婚式で、十数年ぶりでクラスメートと再会したことがある。

会場に入る前に配られた座席表では知らない人達と同じテーブルが用意されていたが、着席してみると、なんだ、みんな知り合いだった。「名前が変わっていてわからなかったね~」なんて笑い合いながら、結局新婦含め友人達の新しい姓は覚えられなかった。小林さんはいつまでも小林さんなのだ。

夫と同じ苗字になることに抵抗があるわけではなかった。何の疑いもなく、夫側の苗字に変える前提であったことが問題なのだ。結婚当初は元の名前への懐かしさのようなものかと思っていたが、それから十年近く経っても時々、何とも言えない感情が湧いてくることがある。それは、何だか夫と対等ではなくなってしまったような、買収された側の社員の肩身の狭さのようなものだ。最初は小さかったけれども生活するうちに、育児を担ううちに、段々と大きくなって、結婚前に持っていた自分への全能感のようなものがいつの間にか小さくなってしまった。

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名前を選択できなかったということは、私にとって初めて自分の力ではどうしようもできない「女性であること」による壁だったのだ。そしてその壁を乗り越えることができなかったという思いが、自身の努力で何でも切り開いてくることができた(もちろん家族や周囲のサポートもあるが)という自信を少しずつ失わせてしまったのかもしれない。

必ずしも妻の名前を変える必要はなく、夫側の姓を変える、入籍せず事実婚を選択する等の方法があり、実際にそのようにされている方も沢山いらっしゃるが、私には選べなかった。このような方法を選択しなくても、ただ夫や夫の家族に私の意志を聞いてもらい会話をするだけでも、自分で着地点を見つけるという過程を経ることができるから良かったかもしれない。

選択的夫婦別姓が法的に実現されていたならば、当然二人の姓をどうするか、夫婦になる前に会話があったことだろう。

だから私はこれからの時代の女の子たちのために、選択的夫婦別姓をどうか実現してほしい。もし仮に10年で状況が変わらなかったとしたら、少なくとも現時点の当り前を受け入れずに、パートナーや誰かと会話してみてほしい。「自分で選んだ」という事実が、生きる自信に繋がるのだと思うから。

■まりるのプロフィール
趣味は読書、旅行、ドラマ鑑賞。愛読書は「若草物語」、今一番行ってみたいところはケベック。子供との毎日を記録するため、動画作成ができるようになりたいと思う今日この頃です。

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