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「やろうと思っていることが達成できない」──ADHDの私があなたに伝えたいこと

  • 2024.10.20

「ADHD啓発月間」である10月のために執筆したこの記事を、月末となった今あなたが読んでいるのは、それは私が原稿をスケジュール通りに提出することができなかったからだ。チームミーティングでこの記事について話し合ったとき、あるマネージャーが「どうせ遅れる」というような趣旨のジョークを言ったので、私は絶対にそんなことは起こらせないと心に誓った。自分の力を証明するために──しかしそれでもまた、私はやってしまったのだ。

誰にでもある“失敗”の連続

人に迷惑をかけたときに、何が起こったのか説明するのは難しい。また遅刻してしまった。何週間も何カ月もメールの返事をしていなかった。原稿が遅れてしまった。その度に、「もっと早く起きたら? もっと早く始めれば? どうしてもっと早く返事しないの? どうして失敗から学ばないの?」と、質問攻めに合う。

ADHDの話を持ち出すと、呆れられる傾向がある。「誰だって遅刻をするし、仕事をするのが好きな人ばかりではない。誰しもが物をなくすことだってある。だからあなたもしっかりしなさい」と片付けられてしまう。その度に、いかにシンプルで取るに足らないような“失敗”の数々が、どれだけ重たくのしかかるか──これは、フラストレーションの一部に過ぎない。目標を達成できない苦しさだけでなく、他人を失望させるという恥ずかしさだって伴う。その場で与えられた罰を受けるだけでなく、長期的には昇進や恋愛、夢、時間などを逃す可能性だってあるのだ。

例えば、大学時代。まだ自分がADHDであると知らなかった私は、何度も遅刻を繰り返したせいで授業料等の減免制度や給付型奨学金の支援を受けられなかった。ある教授は、朝の授業の間、遅刻してしまった私を教室の外で立たせ、クラス中の視線を浴びた私は見せしめにされたような屈辱を味わった。授業が終わると、彼女は目に涙を浮かべながら私に向かって怒鳴るのだった。私は彼女の授業、そしてそれにかけたお金も時間も失い、毎日授業に出ることに不安を感じ、恥をかき、そして私の“不真面目”とされた態度が彼女のプライドを傷つけてしまったことに、さらに落ち込む日々を送った。でも、どんなに努力しても、私は一貫して変わることができなかった。

「やろうと思っていることが達成できない」

paper head with confusion,problems concept

ADHD研究の第一人者である心理学者のラッセル・バークレー博士は、「ADHDの人は前頭葉の一部が障害のない人に比べて小さいことから、神経細胞の働きが弱く、時間の経過をほかの人と同じように認識できない」と説明している。また、行動抑制、視覚的イメージ、言語性ワーキングメモリ(短期的な物忘れの原因)、計画、強い感情の抑制など、脳の実行機能のすべてに影響を与えることが研究で明らかになっているとも。特に強い感情を抑制する機能については、衝動性だけでなく、感情をコントロールできないことに繋がり、この障害の大きな鍵になるとバークレー博士は見ている

ほとんどの場合、神経ネットワークはタスクに直面する際に生じる不安を自然に和らげてくれるが、ADHDの脳はそうするのに苦労する。好きな人からのメッセージに返信したときの相手の反応や、自分や自分の作品がどう受け取られるかという不安感が強くなりすぎて、その感情から自分を解放するために何でもしてしまうのだそうだ。このように、拒絶反応や批判に対して極端に感情的になることを拒絶過敏症(RSD)と呼ぶ。また、集中力の欠如と相まって、恐れや不安感から計画を実行するのをためらい、さらには実行しなかったために起きる拒絶や批判によって罰せられるという、二律背反の状態に陥ってしまう。

トラブルを完全に避けようという防衛本能から、物事へのやる気が枯渇してしまう人もいれば、もがきながらも努力を続けることでこの問題に立ち向かおうとする人もいる。私は、夜も週末も働き、徹夜をしながらも翌朝には出勤してやっと、同僚が通常は営業時間内にやってのける仕事を終わらせたことがある。ADHD患者の苦悩の大部分を占める仕事も、目に見える成果が限定的であったり、作業が遅かったりするため、「十分に働いていない」と思われてしまうことが多い。

「やろうと思っていることが達成できない」──こういった声が多いことから、バークレー博士は注意欠陥障害ではなく、“意図”欠陥障害と呼ぶほうが正しいかもしれないとも提案している。

症状の強さや現れ方はさまざま

Methylphenidate pill, conceptual image

私は、メチルフェニデートという精神刺激薬を使った最初の日に、この障害がないとはどういう感じなのか、初めて知ることができた。これまでメールの返事や原稿の締め切りに圧倒され、混乱した思考や感情の大渋滞が脳内で起こり、やらなければならないことを思い出したり忘れたりしていたが、服薬すると脳が静かになった。それはこれまでとはまた異なる、素直な不安感を感じた瞬間だった。このメールが来た、すぐに返事を書きたい、次はこれだ、といった具合に。ちょっと休憩しているうちに解決していたらいいのに、という無駄な希望を抱く代わりに、締め切りは今日中だから今すぐ行動しなければ、という衝動に駆られた。

ADHDは遺伝することがあると言われている。私の場合、父から受け継いだかもしれない。彼は別の場所で新しい人生を始めようと向かったスーダンの空港で友人に会って話に夢中になり、その隙に生活必需品がすべて入ったスーツケースを盗まれてしまったそうだ。結局、彼はスーダンに留まって大学で教えることになり、そこで私の母と出会った。

ADHDは自閉症と密接な関係にあり、両者は特徴を共有し、同時に発症することが多いと言われている。そしてその症状の強さや現れ方はさまざま。私のいとこは言葉を発しない一方で、何も言わなければ自閉症だとわからないような人もいる。そしてADHDもまた、症状は人によって千差万別なのだ。

障害を認める勇気

同様に、この障害がもたらす影響も不平等だ。私は黒人女性として、白人が圧倒的な数を占めるメディア業界のなかで、数少ないマイノリティのレプリゼンテーションとしてのプレッシャーを感じている。というのも、人々にインスピレーションを与えたいと思う一方、もしもその期待を裏切ってしまったら、道を切り拓くどころか逆に閉ざしてしまうことになるのではないだろうかと不安に襲われるからだ。また、ADHDは長きにわたって白人の男の子の障害と考えられてきたということもあり、民族的マイノリティや女性が過小診断されてきたのは、このためだと言えるだろう。社会的に有利な立場にある白人男性が苦労していると、人々はそれを個人の失敗と決めつけるのではなく、理由を探す傾向がある。しかし、私のように人種的ステレオタイプとすでに闘っている場合、ADHDの症状が偏見の裏付けに使われてしまいかねない。

そして、障害を認めるには大きな勇気がいる。時間管理、整理整頓、プレッシャーに打ち勝つ能力などが求められる職場で、それらが自分にとっての弱みであると伝えるのは恐ろしいことだ。もし、これ以上仕事を任されなかったら? もう二度と雇ってもらえなくなったら? 時間をかける価値がないと判断されたら?──こうした問いは止まない。

しかし、ADHDの認知が上がるのと同時に、私たちには真の理解が必要だ。私たちが主張したいのはできないことへの言い訳ではなく、真の理解がなければこの障害が痛ましい結果をもたらすことがあるということ。私が知っているADHDのほぼすべての友人は、少なくとも一つの大きな失敗を経験している。納得のいかない成績で学位を取得したこと、あるいは卒業すらできなかったこと、持っていたすべての仕事から解雇されたことなど。私の場合は、Aレベル(イギリスの大学入学資格)の試験の一つをうっかりと欠席してしまい、それゆえに志望した2つの大学に受からなかった。

誰もが救われるシステムを作ることができる

社会がこの障害をもっと深刻に受け止められたら、治療へのアクセスを平等にすることができるかもしれない。病院を受診するよう友人から勧められて1年半以上経つが、私はまだNHS(イギリスの国営医療制度)の待機リストに載っている。その間に会社の民間医療保険に加入し、初診料と薬代は支払うことができたが、必要な用量を服用し続けるための再診を受けて経過観察をするには毎回数100ポンド(日本円で数万円)かかる。極端な生きづらさと向き合わなければならない病気なのに、治療法を見つけるのが難しく、しかも高額な費用がかかるのは残念でならない。

私たちは、誰もが救われるシステムを作ることができるのではないだろうか。自閉症と同様に、ADHDの人々には強みを発揮できる分野があり、そのなかには創意工夫に満ちた解決策を編み出せる能力、興味のあることへの圧倒的な集中力、豊かな創造性の持ち主であることなどが挙げられる。今の職場では、私の能力を認めてくれ、時にはできないことも許してくれる上司がいて、本当に幸運だと感じる。拒絶されることに神経過敏になっている人にとって、これはかけがえのない励みになるはずだ。

共感は最初の一歩だ。バークレー博士はこの慢性的な障害について、「治療が成功するかどうかは、その環境にいる人々の思いやりにかかっている」と言う。これまでに多くの人を傷つけ、怒らせ、失望させ、「もう許されない」とさえ思う出来事を振り返ると、私は夜眠れなくなることがある。私の周りにいる人で、これまでに迷惑をかけてしまった人たちに謝りたい。そして、これからもなかなか変えることができないであろう行動についても、先に謝っておきたい。それでも、こんな私をほんの少しでも理解してもらえたら、と願わずにはいられない。

Text: Amel Mukhtar Adaptation: Motoko Fujita

From VOGUE.CO.UK

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