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観察映画が体現する「よく観る」ことの大切さとは? 想田和弘監督最新作、映画『五香宮の猫』考察&評価レビュー

  • 2024.10.21
(C)2024 Laboratory X, Inc

映画『選挙』(2007)『精神0』(2020)などの想田和弘監督最新作『五香宮の猫(ごこうぐうのねこ)』が10月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムを皮切りに全国公開される。想田監督が実践する「観察映画」という言葉をキーワードに、作品の魅力を紐解く。(文・青葉薫)【あらすじ 解説 考察 評価】
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【著者プロフィール:青葉薫】
横須賀市秋谷在住のライター。全国の農家を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」が松竹系で『種まく旅人』としてシリーズ映画化。別名義で放送作家・脚本家・ラジオパーソナリティーとしても活動。執筆分野はエンタメ全般の他、農業・水産業、ローカル、子育て、環境問題など。地元自治体で児童福祉審議委員、都市計画審議委員、環境審議委員なども歴任している。

(C)2024 Laboratory X, Inc
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可能ならば一切の前情報を入れずに鑑賞することをお勧めしたい。先入観や偏見、固定観念を排して目に映るものを「よく観る」こと。それこそが想田和弘監督の定義する「観察映画」とのもっとも幸せな出会い方だと思うからだ――なんてアドバイスすら先入観になってしまうので本当は忘れてほしい。

舞台となっているのは瀬戸内の風光明媚な港町・牛窓。古くから親しまれてきた鎮守の社・五香宮には参拝者だけでなく、さまざまな人々が訪れる。近年は多くの野良猫たちが住み着いたことから“猫神社”とも呼ばれている。本作はそんな牛窓に移住した想田監督が本作のプロデューサーにして妻である柏木規与子さんとともに新入りの住民として暮らしながら、目に映る世界を”ありのまま”に描写した観察映画だ。

観察映画――その言葉に馴染みのない方も多いかもしれない。表面的にはナレーションやテロップによる説明、BGM等がない、シンプルなスタイルのドキュメンタリーである。想田監督は自ら設定したルールに乗っ取って、これまで9作の観察映画を撮ってきた。そのルールというのが本作のサイトにも掲載されている「観察映画の十戒」である。

1. 事前のリサーチは行わない。
2. 打ち合わせは、原則行わない。
3. 台本は書かない。
4. カメラは原則自分で回し、録音も自分で行う。
5. カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
6. 撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。
7. 編集作業でも、予めテーマを設定しない。
8. ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。
9. 観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。
10. 制作費は基本的に自社で出す。

記念すべき10作目となる本作も、テーマもなければ事前の下調べもしていないそうだ。もちろん伝えたいメッセージもないという。どこに着地するのかもわからないまま、カメラは目の前で繰り広げられる人間と猫の営みを静かに、真摯に記録していく。生きとし生けるものが織りなす豊かな光景を。愉快で厳しく、シンプルで複雑な生命の営みを。

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「五香宮の猫」というタイトル以外、何の前情報も入れずに鑑賞した私も最初は掴み所のないままロッククライミングをしているような、ミステリートレインにでも乗っているような気分だった。それでもスクリーンに映し出される瀬戸内海の穏やかな海。美しい自然。漁師町で生きる猫たち。旅情溢れる光景に心癒やされているうちにその向こうに見えてくるこの町の混沌にフォーカスが合ってくる。

牛窓の路上に生きる猫たちに癒やしを求めて餌やりなどに訪れる人々。一方で住民からは糞尿に対する苦情もある。猫があまり好きではない住民もいれば、繁殖力の高さから数が増え過ぎるのは困るという住民もいる。町内会で対策を話し合う様子。共生策としてTNR(不妊去勢手術を行った上で元の場所に戻す)を実施する為の捕獲活動が繰り広げられていく。

プロデューサーの柏木さんも住民のひとりとして捕獲に関わっていく。想田さんは夫として寄り添いながら、同時に監督としてカメラを向け続ける。文化人類学における参与観察。映画を撮る側の二人も観察の対象として作品の中に取り込まれていく。住民から「これ映画になるの?」という雑談交じりのやりとりもそのまま作品に残っているのが撮られる側と撮る側の微笑ましい距離感を象徴している。

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被写体との絶妙な距離の取り方に何度も感嘆の声が漏れる。つかず離れず。離れ過ぎず踏み込み過ぎず。何よりそのやさしい眼差しにドキュメンタリー映画に対する固定観念が良い意味で裏切られる。撮ることの暴力性を露呈させる”暴こう”という意図が微塵もない。

伝えたいことを伝える為に仮説を立て証拠を集めて証明しようとするドキュメンタリーのように「これを撮らなければ」という強迫観念がないせいなのか。観ていてまるでストレスを感じない。ドキュメンタリーにありがちな撮られたくない人にカメラを向けて一緒になって暴いているような罪悪感を感じないのだ。

そのやさしい眼差しは想田監督が愛する猫たちにも同じように注がれている。猫も人間と同じように「個」として観察されている。人間がいろいろなら、猫にもいろんな「個」がいることがわかってくる。人懐っこい奴。人間とは一定の距離を置いている奴。食いしん坊な奴。人間に喜怒哀楽があるように、猫たちもまたカメラの前で多様な表情を見せてくれる。

目を引かれたのは民家に入り込んで居座ろうとした猫だ。家主が「おんもいこうね」と猫撫で声で追いやろうとするがそれでも土間に居座ろうとする。その短いシーンが本来猫は家の中で人間と共存していた生き物だったことを思い出させてくれる。

家猫と人間の歴史は世界では9500年前、日本でも2000年前の弥生時代まで遡る。猫は鼠などの害獣を駆除し穀物を守ってくれる家畜だった。野生のヤマネコと違ってずっと家の中で暮らしてきた。すなわち野良猫というのは人間社会におけるホームレスと同じなのだ、と。

そう、眼差しはやさしいが良い部分ばかり撮っているわけでもない。想田監督のカメラは人間の無自覚な原罪のような部分も真摯に映し出している。かといってその罪をクローズアップして責めるような無粋なこともしない。あくまでそこにある風景の一部のように捉えているように私には感じられた。

(C)2024 Laboratory X, Inc
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猫の向こうに人間が見えてくる。猫たちが見ている人間の姿が見えてくる。利己的だけれど、倫理や道徳心で利他的にもなれる。そんな人間の正体のようなものが朧気ながら見えてくる。それは映画を観ている私たち自身でもある。

というのはあくまで筆者の私見に過ぎない。本作には情報性もなければ問題提起もない。TNRの是非も、排除か共存かというような二者択一も、偏った主張もない。ただひたすらに牛窓で生きる人々の、そして猫たちの、今日という一日一日が積み重ねられていく。まるで今という積み木をひたすら重ねていくことが人生そのものであるかのように。

目の前で起きていることを見つめ続けるうちに私は移住者のひとりとして牛窓での暮らしを疑似体験しているような気分になっていた。後に読んだ想田監督が観察映画について書いた文章にも綴られていた。

「観察映画によって得られるのは知識ではなく体験なのだ」と。

それは”わかりやすさ”を追求した日本のテレビ文化とは対局にある表現でもある。観客は”ながら見”のような受動的な鑑賞ではなく、能動的に「観る」ことを求められる。その行為は下調べやガイドなしで森の中を歩くことに似ている。目に映る森は単なる木々の集合体に過ぎない。その木陰に息づく多様な生命に目を懲らし、与え合って共存共生している彼らの営みを観察しなければ何も見えて来ないのと同じように。

だからといって、構える必要はない。先入観も偏見も捨てて「よく観る」うちにきっとその人なりの気づきがある。発見がある。それは誰よりも「よく観る」ことに真摯に取り組んでいる想田監督自身の気づきが映画の中に幾つも織り込まれているからではないだろうか。テーマもない。下調べもしない。台本も作らない。そんな方法論で映画を紡ぐのは他ならぬ監督自身が予定調和ではない着地点を欲しているからではないだろうか。

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いつしか「よく観る」ことについて考えていた。一見、白や黒に見えるものも目を懲らして「よく観る」と実は「グレー」であることが少なくない。にもかかわらず私たちは他者や物事を表層的に見ただけで白か黒と決めつけてはいないだろうか。

人間の脳は目に映るものを見たいようにみてしまう傾向がある。先入観や偏見というバイアスによって。想田監督がテーマや下調べなどの事前準備を一切せずにドキュメンタリーを撮り続けているのはこうした先入観や偏見を排して他者を「よく観る」為に他ならないと感じた。センスオブワンダー。見るもの聞くものすべてが初めての子どものような目で世界を見ていたいからなのではないかと。

「観察映画にメッセージは不要」と綴っている想田監督だが「よく観る」ことの大切さこそが観察映画のメッセージなのかもしれない。私が本作から受け取ったのは誰もが「よく見る」ことで世界はもっとやさしくなれるのではないだろうかという希望だった。

(文・青葉薫)

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