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京都から約21時間、島根県・海士町への「暮らすような旅」。

  • 2024.10.20

大学2年生のゴールデンウィーク。海外旅行や国内の有名テーマパークに行く友人を横目に、僕は1人、縁もゆかりもない「島」へ向かう船に乗っていた。

目的地は島根県の離島「隠岐諸島」の1つ、中ノ島(海士町)。大学時代を過ごした京都からの所要時間は約21時間だった。夜行バスと汽車とフェリーを乗り継ぎ「行くだけで1日が終わってしまう」という旅は過去、経験したことがなかった。

きっかけはほんの少しの興味だった。ほんの少しの勇気をもって一歩踏み出した。

しかし、ここで過ごした「10日間」の何気ない日々が、僕のその後の旅の方向性を大きく変えることになる。

「暮らすような旅」の原点となる経験は、僕にとって忘れられない旅の1つだ。

海士町への誘い

海士町(あまちょう)との出会いは、大学時代に履修していた授業だった。地域政策系を専攻していた僕は、「まちづくり」「地域活性化」を学ぶ授業を進んで履修していた。その授業の中で、「人口がV字回復」「高校魅力化で生徒数が増加」という、いわば「注目事例」の1つとして取り上げられていたのがこの海士町だった。

人口2,200人前後の小さなまち。何が人を惹きつけるのか。気になって調べれば調べるほど、どことなく自分の中の「行ってみたい!」という感情が強く反応してくる。

実際に自分も足を運び、その土地の風や空気、雰囲気を感じてみたい。ただ、そうはいっても今の自分には縁もゆかりもない。「観光」の滞在もよいが、観光だけで知ることができる情報には限りがある。

せっかくなら、地域の方と関わりながら、生活感のある旅、「暮らすような旅」がしてみたい。調べてみると、総務省主催「ふるさとワーキングホリデー」の制度を知った。

この取り組みは全国で行われており、海士町も受け入れ先の1つだった(当時)。

「離島ワーホリ―離島の暮らしへ、旅をする―」全国の受け入れ先が集まる「合同説明会」のようなイベントで掲げられた海士町のブース。このテーマに惹かれ、また実際に担当者の方から伺った取り組みにも惹かれ、たまたま予定が空いていたゴールデンウィークの期間に、9泊10日の旅をすることに決めた。

いざ、海士町へ

隠岐諸島は、その立地から大きく2つの地域に分かれている。

隠岐の島町がある「島後」、そして、海士町、西ノ島町、知夫村という3島3地域から成る「島前」だ。

隠岐の島町には空港があり、大阪(伊丹)空港、出雲空港よりそれぞれ飛行機が就航している。一方で島前3島には飛行場がないため、基本的にはフェリーまたは高速船を用いた移動となる。

「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な島根県境港市。「水木しげるロード」を横目に進むと、フェリーが就航する境港フェリーターミナルに到着する。ちなみにフェリーや高速船によっては同じ島根県でも異なる場所にある「七類港」から出発するものが多いため、隠岐に行く際には注意したい。

フェリーに乗り、いざ海士町へ!

フェリーに揺られること2時間半。見えてきたのは海士町、ではなく、別府港、西ノ島町だ。このフェリーは海士町の港・菱浦港へは行かないため、島と島を結ぶ「内航船」に乗り換える必要がある。フェリーに比べればかなり小ぶりなこの船は、所要時間は10分程度、300円で乗れる。気軽な交通手段であり「島のタクシー」のような存在に感じた。

長旅を経て、ついに海士町・菱浦港へ上陸。港まで迎えに来て頂いた受け入れ先の方や今回のプログラムの「同期」の大学生2名と合流し、宿泊先であるシェアハウスへと向かった。

海士町での暮らし

そこからの10日間は、振り返れば自分にとって、旅の変革期ともいえる時間だった。これまでは「観光地」をめぐるような旅が中心だったけれど、気づけば地域の日常に少し混ぜて頂くような「暮らすような旅」の魅力にどっぷりはまっていたのだ。

今回の旅は、島の仕事を行う「ワーク」の時間、休日の「ホリデー」の時間で構成される。

「ワーク」の時間では観光施設の掃除や島のホテルのリネン交換といった「繁忙期の仕事」を、そして空き時間にワーホリのブログ発信を行った。仕事自体は大変ではあったものの、午前と午後で勤務地や仕事が異なっていたため、様々な場所に行くことでまた異なる地域の方とも交流することができ、地域への理解を深めることができた。また、休憩時間に受け入れ先の方とアイスを食べながら話す時間や、業後に島のことについて伺う時間など、どこかゆっくりと流れる「島の暮らし」の一端を経験できた。

一方、「ホリデー」の時間には海士町を自転車で旅した。

「承久の乱」によるご配流により、最後をここ、海士町で過ごした後鳥羽上皇をお祀りした「隠岐神社」や夕日が美しい「木路ヶ埼灯台」、ハート型の穴が開いた岩が印象的な明屋海岸などなど、海士町だけでも見どころはたくさん。

さらに別の日には内航船で足を延ばし、西ノ島、知夫里島へ。西ノ島の大絶壁「摩天崖」や景勝地「国賀海岸」を望む「赤尾スカイライン」、知夫里島の噴火活動の痕跡である「赤壁」や一度も枯れたことのないといわれる「河合の湧水」など、数日の「ホリデー」では回り切れないほど魅力あふれる島だったが、回れる限り回った。

牛が道路を塞ぐ、なんてことも

ただ、一番印象に残っているのは「まちの暮らし」だった。

通勤中のバスから見える美しい海、島の商店でのおばちゃんとの会話、シェアハウスのみんなでつくるご飯、夜にお酒を飲みながら語り合う時間。仕事終わりに同期と海沿いを歩いた帰り道。1泊2日の旅や、観光地を巡る旅では経験しがたい「暮らし」との接点。その時間が非常に心地よかった。

また、滞在中に1度、連れて行ってもらった「スナック」も印象に残っている。これまでの人生、「スナック」という言葉は聞いたことがあるが行ったことはなく、どこか遠いものと思っていた。

しかしながら、海士町では「1次会は居酒屋、2次会はスナック」という流れが定番(諸説あり)。人口2,300人の街になんとスナックが5軒もあるのだ。よくわからないまま中に入るとそこはお祭り状態。気づけば皆アフロのかつらを被り、誰かが歌うカラオケに合わせてマラカスを振っていた。「異文化に触れた」などと考える間もなく、ただただ楽しかった。

と、ここまで書いてきたが、じつはこうした「はじめましての方と楽しむ、仲良くなる」という経験はもともと苦手だった。

もともとかなりの人見知りな性格。1人旅をしたこともなければ、見知らぬ土地に飛び込んだこともなかった。強いて言えば、大学1年生の時にベトナム・カンボジアをめぐるスタディツアーに参加したくらいの経験値だ。それでも、初めて飛び込んだ「地域」に居心地の良さを感じられたのは、その地域がもつ空気や雰囲気であり、また受け止めてくださった人なのだと思う。

隠岐島前高校に「留学」してくる高校生も、当時、「メンター」として活動していた大学生も、もしかしたらそんな空気・雰囲気に惹かれていたのかもしれない。

歩きながら同期や島の方と他愛もない話をする、心地いい時間

おわりに

この経験を経て、僕は他の地域・地方にも興味を持つようになった。どんな人がいるのだろう。どんな世界が待っているのだろう。気づけばいろいろな地域へと足を運び、地域で過ごしてきた。そして社会人になった今、今度は実際に「地域へ足を運ぶきっかけ」となるツアーを作ろうとしている。

まちは「人」で成り立っている。地域を変えるのは「よそ者・若者・馬鹿者」と言われるが、「よそ者」ではなかったとしても、惹きつける人がいるまちには人が集まり、盛り上がりが生まれていくのだと思う。

その後、海士町には直接は訪問できていない。ただ、直近の海士町は当時よりもますます盛り上がりを見せているように見える。例えば、全国各地の若者たちが島に滞在しながら働く「大人の島留学・島体験」。過去2年間の間に、なんと200名程度の若手社会人や大学生の方が参画していているそうだ。また、デジタル名刺を活用した「海士町オフィシャルアンバサダー制度」の実施、海士町の未来に繋がる事業への投資を行う「未来共創基金」など、興味深い企画も盛りだくさんだ。

そんな街に少しでも関われたらと、毎年「ふるさと納税」は欠かさず行っているし、関東でイベントが行われる際は都合が合う限り参加している。「海士町」という地域は、自分の中での「原点」であり、常にわくわくする地域であり、これからもきっとそれは変わらないと思う。

名残惜しい帰りのフェリーの中から

ただ、そうはいっても実際に島に行きたい気持ちは抑えられない。職場の後輩にも偶然、「大人の島留学・島体験」の経験メンバーがいて、話を聞くとやはりワクワクしてくる。20代も残すところあと5年。転機となるタイミングが来るならば、一度、自分自身も「大人の島留学・島体験」に参加してみたい。きっと人生を少し豊かにしてくれるような、そんな体験ができると思うから。

All photos by Nakashin

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