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大河ドラマ「光る君へ」ゆかりの地 6選!源氏物語執筆の地や、まひろと道長が逢瀬を重ねたあの廃邸も

  • 2024.10.18

京都通信

いよいよ終盤に差し掛かってきた大河ドラマ「光る君へ」。物語の舞台となった京都には、紫式部(まひろ)が生まれ育ち、『源氏物語』を執筆した場所や、藤原道長の邸宅跡など、登場人物ゆかりの地が今もたくさん残っています。

 

 

今回はそんな「光る君へ」ゆかりのスポット6選をご紹介。ドラマの中でも印象深い、まひろと道長が逢瀬を重ねた廃邸のモデルとなった場所も・・・! 千年の都・京都を散策しながら平安時代に想いを馳せる“聖地巡礼”に出かけてみませんか?

 

 

紫式部の邸宅跡、『源氏物語』執筆の地とされる「廬山寺」

京都御苑・清和院御門のほど近く、寺町通に面した廬山寺(ろざんじ)は、平安中期に船岡山に創建され、16世紀後半に現在の場所に移転した天台圓淨宗のお寺です。

廬山寺山門
「廬山寺」の境内には紫式部やその娘・賢子(大弐三位)の歌碑が建てられているほか、『源氏物語絵巻』や若紫の掛け軸などの寺宝も展示されている。

寺町通は平安京の東の果て「東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)」にあたり、かつてこの場所には公家屋敷が建ち並んでいました。そのひとつが紫式部の曾祖父・藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)の邸宅。紫式部もここで生まれ育ち、結婚、出産、子育てと生涯の大半を過ごしたと言われています。

『源氏物語』を執筆したのもこの場所で、源氏物語に登場する花散里の屋敷はこの辺りを想定して描かれていると考えられています。

桔梗が咲く源氏庭
源氏物語・第20帖のタイトルにもなっている「朝顔」は、今で言う桔梗のこと(諸説あり)。境内の「源氏庭」では6月末から9月初め頃にかけて桔梗の花が楚々たる風情を醸す。

境内には、平安時代の庭園をモチーフに作庭した「源氏庭」が。秋には庭園を覆う白砂と緑の松や苔、鮮やかに色づく紅葉のコントラストも美しいんですよ!

廬山寺(ろざんじ)
住所:京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北ノ辺町397
TEL:075-231-0355
拝観時間:9:00~16:00
拝観料:大人500円
公式HP:http://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/
Instagramアカウント:@kyoto.rozanji

 

 

 

中宮・彰子の出産シーンの舞台にもなった、藤原道長の邸宅跡「土御門第跡」

清和院御門から京都御苑に入ると、左手に仙洞御所・大宮御所を囲む白い築地塀が伸びています。その北側にあったとされるのが、藤原道長の邸宅・土御門第(つちみかどてい)です。

道長の長女で一条天皇の中宮である彰子は、生家であるこの地で敦成親王(のちの後一条天皇)と敦良親王(のちの後朱雀天皇)を出産しています。

そう、まだ記憶にも新しい第36回「待ち望まれた日(9月22日放送)」で描かれた、鬼気迫る出産シーンです。安産祈願の儀式が繰り広げられるただならぬ雰囲気のなか、初産に挑む彰子、誕生50日を祝う宴での公卿たちの無礼講……。

彰子とともに内裏から土御門第へ移った紫式部は、道長の依頼でこの一連の出来事を仔細に綴っていました。それが『紫式部日記』です。あの壮絶なシーンが生まれたのは、この日記があったからこそ。

土御門第跡
現在の仙洞・大宮御所の北側に広がる「土御門第跡」。もとは源雅信の邸宅であったのを雅信の没後、娘の倫子と結婚した道長が継承した。

また、彰子の初産の10年後、1018年に道長が詠ったのが、かの有名な和歌。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の

欠けたることも なしと思へば

この歌は、土御門第で催された宴席で詠まれたものなのだとか。ドラマの放送も残すところ約2ヵ月。果たして劇中でこの歌が詠まれるシーンは描かれるのでしょうか。

土御門第跡(つちみかどていあと)
住所:京都府京都市上京区京都御苑
TEL:075-211-6364
公式HP:https://fng.or.jp/kyoto/2018/11/22/post_165/

 

 

 

逢瀬を重ねた廃邸のモデル!? 源融の邸宅・六条河原院跡「渉成園」

『源氏物語』の場面を思わせる演出が散見される「光る君へ」。劇中でまひろと道長が逢瀬を重ねる“六条の廃邸”は、光源氏と夕顔が一夜をともにし、もののけに取り憑かれてしまう某の院を彷彿とさせます。

渉成園の回棹廊
印月池の北岸と池に浮かぶ島を結ぶ「回棹廊(かいとうろう)」。檜皮葺の屋根を持つ橋で、実際に歩いて渡ることもできる。

その某の院のモチーフとなったのが、光源氏のモデルのひとりと言われる源融(みなもとのとおる)の邸宅、六条河原院。現在、東本願寺の飛地境内地となっている庭園「渉成園」は、その旧跡の一部だという説もあります。

渉成園の滴翠軒と臨池亭
池泉回遊式の庭園で、滴翠軒(てきすいけん)、臨池亭(りんちてい)など、趣のある建物が点在。変化に富んだ景観は「渉成園十三景」と称されている。

源融はかつて屋敷をかまえた奥州・塩釜の風景を模して六条河原院をつくり、尼崎から海水を運ばせて、池をつくったと言われています。

そのため、渉成園には今も「塩釜の手水鉢」や「塩釜の井」などが残存。庭の中心となる大きな池・印月池(いんげつち)に浮かぶ小島には、源融ゆかりの塔が建てられています。

 

 

渉成園(しょうせいえん)
住所:京都府京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町
TEL:075-371-9210(東本願寺 参拝接待所)
開門時間:3月~10月 9:00~17:00(受付は16:30まで)
11月~2月 9:00~16:00(受付は15:30まで)
庭園維持寄付金:大人700円、中学・高校生350円、小学生以下無料
公式HP:https://www.higashihonganji.or.jp/about/guide/shoseien/
Instagramアカウント:@shoseien_official

 

 

 

中宮彰子に仕えた歌人・和泉式部ゆかりの寺院「東北院」

シースルーの袿(うちき)をまとって現れた初登場シーンで大いに注目を集めた和泉式部(あかね)。まひろの発案により中宮彰子の女房として仕えることとなり、藤壺のサロンはますます華やぎを増しています。

奔放で恋多き人生を送り、数々の情熱的な恋歌を残した和泉式部ゆかりの寺院として知られるのが「東北院(とうぼくいん)」です。彼女は晩年、娘の小式部内侍に先立たれて出家。東北院の一角に「誠心院」という庵を結び、常念仏の日々を送ったと言われています。

東北院の本堂
創建以来、焼失と再建を繰り返し、1693年に現在の地・左京区浄土寺に移転。現在は時宗の寺院となっている。

もともと東北院は中宮彰子によって創建された天台宗の常行三昧堂で、かつては父・藤原道長が建立した法成寺の境内の東北に位置していました。

東北院の境内に植えられた軒端の梅
本堂の東側にある「軒端の梅」は、和泉式部遺愛の梅。能の演目「東北」の題材にもなっている。

境内には和泉式部が手植えしたと伝わる「軒端の梅」の後継木があります。見頃を迎える2月中旬〜3月中旬頃に訪れて、和泉式部が梅の花を愛で詠んだ歌を味わってみませんか。

むめの香を 君によそへて みるからに

花のをりしる 身ともなるかな

むめが香に おどろかれつつ 春の夜の

闇こそ 人はあくがらしけれ

東北院(とうぼくいん)
住所:京都府京都市左京区浄土寺真如町83
TEL:090-4904-7931
メール:jishu.toubokuin@gmail.com
拝観時間:第1・3日曜日 10:00~16:00(御朱印対応)
第2日曜日 14:00~16:00(写経会対応)
その他の日は在院時のみ対応可(電話もしくはメールで要事前確認)
公式HP:https://kyoto-toubokuin.com/
Instagramアカウント:@jishu_toubokuin

 

 

清少納言が生まれ育ち、晩年を過ごした地「今熊野観音寺」

「私は腹を立てておりますのよ、まひろさまに!『源氏の物語』を恨んでおりますの」

第38回「まぶしき闇(10月6日放送)」で、まひろと激しくやりあった清少納言(ききょう)。光る君の物語に引き込まれた、見事だと称賛する一方で、一条天皇から中宮定子との華やかな日々を消し去ろうとしていると、怒りをぶつけます。

劇中では、そんな忠義心の強い人物として描かれている清少納言。その父である・清原元輔の邸宅は、現在の泉涌寺山内「今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)」境内付近にあったとみられ、清少納言もこの近くで生まれ育ったと考えられています。

今熊野川に架かる鳥居橋
四季折々の美しい自然に囲まれた、清々しい境内。今熊野川に架かる赤い鳥居橋が聖域との境になっている。

のちに皇后となった定子は崩御後、観音寺近くに造営された鳥辺野陵(とりべののみささぎ)に葬られました。それにともなって清少納言も父の邸宅のほとりに隠棲。定子が眠る陵墓に詣で、晩年を過ごしたと言われています。

紅葉が美しい今熊野観音寺の境内
初夏には鮮やかに輝く新緑、秋には深紅に燃える紅葉が美しい境内。

西国三十三所第十五番札所であり、古くからぼけ封じ・頭痛封じのご利益がある「頭の観音さん」として広く信仰を集めてきた由緒ある古刹で、そのはじまりは825年頃。弘法大師によって開創されたと伝えられています。

今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)
住所:京都府京都市東山区泉涌寺山内町32
TEL:075-561-5511
拝観時間:8:00~17:00
公式HP:http://www.kannon.jp/
Instagramアカウント:@imakumanokannonji

 

 

 

安倍晴明の偉業を讃え、一条天皇が創建した「晴明神社」

藤原道長を呪詛から救ったり、一条天皇の病を治したりと、数々の伝説を持つ陰陽師・安倍晴明(あべのはるあきら)。道長が残した御堂関白記にも、その名はたびたび記されていることから、朝廷において大きな影響力を持つ人物であったことが伺えます。

晴明神社の一の鳥居
境内があるのは彼の邸宅があった場所で、平安京の内裏からみて北東、つまり鬼門の方角。宮中の鬼門を守護するために、このあたりに住んでいたのだと考えられている。

劇中では「光が強ければ、闇もまた濃くなります。そのことだけはお忘れなく」と道長に言い残し、この世を去った晴明。その没後2年となる1007年に安倍晴明の御霊を祀るため一条天皇の命によって創建されたのが「晴明神社」です。

安倍晴明公像
天文や暦を司る役人として朝廷に仕えていた晴明。拝殿の傍らには、夜空を見上げ遠く天体を観測し、衣の下で印を結ぶ姿の像が鎮座している。

呪術に用いたとされる五芒星の社紋を掲げた「一の鳥居」をはじめ、式神(陰陽師が使う鬼神のこと)を住まわせたとされる「旧・一條戻橋」、念力で湧出させたと伝わる「晴明井」など見所満載。

現在は安倍晴明伝説に加え、パワースポットとしても人気を集める神社です。

晴明神社(せいめいじんじゃ)
住所:京都府京都市上京区晴明町806
TEL:075-441-6460
拝観時間:9:00~17:00(授与所は16:30まで)
公式HP:https://www.seimeijinja.jp/
Instagramアカウント:@seimeijinja

 

 

 

クライマックスを前に、俄然盛り上がってきた「光る君へ」。物語の世界をより深く味わうためにも、登場人物ゆかりの地を巡ってみませんか。

Text by Erina Nomura

 

野村枝里奈
1986年大阪生まれ、京都在住のライター。大学卒業後、出版・広告・WEBなど多彩な媒体に携わる制作会社に勤務。2020年に独立し、現在はフリーランスとして活動している。とくに興味のある分野は、ものづくり、伝統文化、暮らし、旅など。Premium Japan 京都特派員ライターとして、編集部ブログ内「京都通信」で、京都の“今”を発信する。

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