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留学先で体重8キロ増……ついたあだ名は「瀬古の丸」 瀬古利彦 マラソン人生を振り返る

  • 2024.10.17

ニッポン放送で毎週木曜日の夜8時からお送りしている『NEXT STAGEへの提言Ⅱ』。

日本を代表する各界の著名人が毎週登場。今の日本の礎を築いた著名人たちは、何を考え、何を次世代に伝えるのか。芸能・文化・音楽・スポーツ・経済・政治など、日本を代表する各界の著名人が週替わりで登場し、自身の人生を振り返りながら、「次世代・NEXT STAGE」への提言を発信していく。10月17日(木)の放送では、マラソンの元日本代表で現在は日本陸上競技連盟マラソンリーダーの瀬古利彦が登場した。なお、この日の放送はプロ野球中継のためニッポン放送ではオンエアされず、ネット局のみでの放送となった。

瀬古利彦
瀬古利彦

瀬古は、1956年生まれ、現在68歳。三重県桑名市出身。高校時代インターハイで2年連続2冠を達成。早稲田大学ではマラソンランナーとしての才能を開花させ、箱根駅伝にも4年連続出場。実業団時代は世界の主要大会を制し、日本を代表するトップランナーとして活躍。オリンピックにもロサンゼルスとソウルの2回出場。現役引退後は、マラソンや陸上競技の普及や日本陸連マラソンリーダーとして後進の指導に務めている。

■トントン拍子のマラソン人生 最初の挫折は「大学入試で0点」

瀬古はもともと、漫画「巨人の星」の影響で、野球が大好きな野球少年。中学でも、野球部に入部した瀬古だが、どうしてマラソンの世界に足を踏み入れたのか。

瀬古:我々の時代は巨人、大砲、卵焼き。テレビも巨人戦しかやってない。もう半ば強制的に、野球をやったような感じ。小学校5年生か6年生の頃、少年マガジンに連載された「巨人の星」が楽しみで。ある時、星一徹のお父さんが「野球を上手くなりたかったら走れ!」って言ってたんですよ。それを聞いて、小学校の時から、学校まで走って行ったりして。中学校に入っても、当然野球部に入部。でもね、走るのが好きだったのでダッシュしたり、家から学校までの5キロくらいを走って帰ったり。そうするうちに陸上部より早くなるわけですよ。野球の陸上の先生が「瀬古くん、ちょっと足貸してくれ」と。「ちょっと大会出てみないか」って。試しに、市の大会に出たら2000mのレースで優勝しちゃったんです。

その後、瀬古は陸上の名門校である四日市工業高校に進学。高校1年生の時に出場したインターハイでも、好成績を収めるなど、まさにトントン拍子で、本人も「人生甘いな」と語った。しかし、大学進学の際、彼に人生初の「挫折」が訪れる。

瀬古:大学は早稲田に行こうと思って。(高校時代、陸上で結果を出していたので)今だったら大学が取ってくれそうなもんじゃないですか。勧誘とかもされて、ところが受験したら落ちたわけですよ。一浪する羽目になっちゃって。そこで初めて挫折を味わいました。勧誘されたのに落ちた。失礼な話だなと思いました。落ちた理由を聞くと、英語が0点しかなかった。それで、浪人時代に英語を勉強し直すために、アメリカに留学したんですよ。

■留学先のストレスで体重8キロ増 ついたあだ名は「瀬古の丸」

大学の受験対策のために、アメリカへ留学した瀬古。ところが……

瀬古:アメリカで、一人ぼっちじゃないですか。ストレスも溜まる。ホームシックになっちゃったんですよ。そしたら、走るのもうまくいかないし、勉強もうまくいかない。英語なんて全然わからない。ストレスが溜まって、それを発散するために、食べまくっちゃった。ジャンクフードとか、ステーキとかコーラとか。すると、8キロを太っちゃった。当時、まんまる太って、あだ名は“瀬古の海”。こんな生活してたらダメだ、早く早稲田に入って、誰かにマラソンを教えてもらいたいとずっと思いながら、いつも泣いてました。

■“自分を殴って、砂を食べる”指導者に惚れ込んだ

その後、浪人生活を経て、早稲田大学に見事、合格した瀬古。そこで、人生を変える恩師に出会う。箱根駅伝で、“早稲田のカリスマ”と呼ばれる、指導者・中村清だ。

瀬古:僕が入った頃の早稲田は、箱根駅伝にも出られない。予選落ちしているような体たらく。入部して、初めての合宿で、中村監督が急に部員15人の前で仁王立ちになって、「こんな弱い早稲田にしたのはお前たち学生のせいじゃない。子供のせいじゃない。大人が悪いから、私がOBとして謝らせてくれ」と。そして、自分で自分の頬を、平手でバンバン10発、鼻と口から血が出るほど、強く叩いたんです。僕は、「こんな人がいるんだ」と思って。アメリカにいた頃、「誰かにマラソンを教えてもらいたい」って思った人はこの人かもしれないと思ったんですよ。

瀬古:すると中村監督が、僕に向かって「お前、アメリカで苦労したらしいな。私が命かけて教えてやるから。お前を復活させてやるから。私の言うこと聞けるか?」と言って、急に合宿所近くの海岸の砂を持ってきて、「この砂が世界一になれる薬だったら、お前食べれるか?」というんです。すると監督は、砂を食べちゃったんです。それを見て、「ああ、この人すごいな」と思って。教えてもらおうと思ったんですね。

この番組は、radikoのタイムフリー機能で、放送1週間後まで聴くことができる。

【番組概要】
■番組タイトル:ニッポン放送開局70周年記念『NEXT STAGEへの提言Ⅱ』
■放送日時:毎週木曜日 20時~21時
■出演者:毎週週替わり

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