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「裏金問題は大した問題ではない」そう断言する医師・岩田健太郎が指摘する日本のもっと深刻な問題

  • 2024.10.17

第50回衆議院議員選挙の争点として、「政治とカネ」の問題がある。感染症医の岩田健太郎さんは「いわゆる裏金問題は、相対的には些細な政治問題。むしろ裏金を集めたがる組織構造に、誰もが陥る深刻な問題がある」という――。

衆院選に向けて発表された自民党の新ポスター
衆院選に向けて発表された自民党の新ポスター
裏金問題追及の盲点

衆議院選において、自民党派閥の裏金事件の報道が続いている。

いわゆる「裏金」問題は、相対的には些細な問題である。

この「相対的には」という考え方を欠いているのが、今の日本における大きな問題だ。

世の中にあるほとんどの問題は「程度問題」である。その「程度」を完全に無視し、ゼロかイチか、セーフかアウトか、という議論をするから、ギスギスとした攻撃的口調が先鋭化する。

よく日本の政治家や官僚は、自分たちの行いを「一定の効果があった」と正当化したがる。しかし、「一定の効果」と彼らが言うとき、それは実は「ほとんど効果がなかった」と翻訳すべきなのだ。

毛が3本しか生えない育毛剤は「一定の効果がある」育毛剤ではなく、「ほとんど効果がない」育毛剤、と解釈すべきである。「育毛剤」がポリコレ的に問題なのであれば、「血圧が1mmHg下がる降圧剤」でもよい。それをデジタルに「ある」と解釈するのが間違いなのだ。

政治家が裏金をもらうことは、「よい」「悪い」というデジタルな言い方をすれば「悪い」に決まっている。しかし、日本の政治家が論ずるトッププライオリティではありえない。相対的にはもっと論ずるべき問題が山積みである。経済や安全保障、人権といった諸問題に比べれば「裏金」は些細な問題に過ぎない。

裏金の構造が示すいびつな忠誠心

しかし、「裏金」を集めようとするその「構造」に注目するとまた別の視点が生じてくる。

以下に論ずるように、「裏金」自体は(相対的には)些細な問題だが、裏金を集めたがる組織構造は深刻な国益の問題に密接に関係しているからだ。

選択的夫婦別姓問題は日本の抱える諸問題の中では相対的に小さな問題だが、にもかかわらず、政治家たちの選択的夫婦別姓問題に対する見解は非常に重要である。その政治家の本質的な資質やファクト認識力を推し量るバロメーターとして非常に有用なツールだからだ。まあ、そういうことである。

過日、「自民党議員派閥の『裏金』問題」を伝える報道番組を見ていた。

その中で、「裏金」をせっせと作っていた議員はこのように述べていた。政治資金パーティを汗を流して積極的に開催し、「裏金」をたくさん作ると派閥内で高く評価される。そうすれば派閥人事でよい職名を得ることができ、党内出世の役に立つ。このような政治資金パーティ開催や「裏金」集めに無関心な議員は、派閥内や党内で頭角を現すことができない、というのだ。

このような、組織やグループの「内的な利益」のために「汗を流す」行為は組織内、グループ内では評価の対象となる。それは組織、グループのトップに対する忠誠心の証しだからである。

ブラック組織に決定的に欠けているもの

残念ながら、そのような「汗を流す」活動は、国益に合致しているわけではなく、国民の利益になるわけでもない。国益に合致し、国民の利益になるような活動を積極的に行うことこそが政治家に求められている責務だと私は思うが、「政治の世界」で出世していくのは、内向きの「汗を流す」ことに熱心で、いわば「国民には無関心」な政治家たちなのである。

同じロジックは医療界の狭い医局においても珍しい話ではない。

このような組織の構造、組織の論理が強固な社会では、社会正義をまっとうすることは難しい。公共の利益よりも組織の利益が優先されるからだ。

また、このような組織では、「流す汗の量」が出世と直結するから、どうしても組織はブラック体質になる。夜遅くまで仕事をしているとか、飲み会には必ず参加するとか、そういう業務上はどうでもよいこと、あるいは相対的にはどうでもよいことに熱心になってしまう。当然、家族や家庭はないがしろにされ、あとに残されたパートナー(たいていは女性)はいわゆる「ワンオペ」状態になる。

こういう「内的な利益」を追求する社会では男性だけが出世し、女性は登用されないのはそのためだ。あるいは、「まるで男のように、とりわけ、男の欠点だけを蒸留したような、醜悪な男のように振る舞う女」だけが登用されるのだ。

「命令」「服従」ときどき「排除」があるだけ

そして、こういうグループ内では真に科学的な議論は行われない。言説の正しさそのものよりも、「何」が語られているかよりも、「誰が」それを言っているのかのほうがずっと重要だからだ。

白いマスクを手に持ったビジネスマン
※写真はイメージです

組織のナンバーワンの発言か、ナンバーツーの発言か。

こういう発話者「WHO」が、発話内容「WHAT」よりも優先される。「発話者」を根拠に意思決定がなされる。

そんな社会では、当然、議論が発生しない。

議論がないから、当該人物の発言以上の発展性はない。ヘーゲル的なアウフヘーベンもない。Aという意見とBという意見が葛藤したあとで、Cという止揚した新しい意見が生じることもない。「命令」「服従」「命令」「服従」(ときどき「反抗」と「排除」)があるだけだ。

そこでは医学生のプレゼンは「何をやった」だけがプレゼンされる。あとは教授(あるいはその代行者)の査定があるだけだ。「○○です」「正解」「○○です」「不正解」という判定があるのみだ。

根拠を述べる必要はないし、教授に根拠の説明は求められない。「○○教授は、何を根拠にそんなことをおっしゃるのですか」なんて学生や研修医が言ったら、その人物の評価は非常に低いものになる可能性が高い。だから、賢い学生や研修医は、絶対にそんなことは聞かない。たとえ思っていたとしても。根拠を求められなければ、根拠を述べようというインセンティブも生じない。

いや、根拠は「教授の意向に合致しているか」だけである。

まさか、「たぶん、教授がこの解答を求めていると思ってヨイショしました」とは言えないから、そこは黙っている。

組織を劣化させる沈黙という生存戦略

最近の学生はおとなしい、とよく言われるが、何も考えていないわけではない。彼らは彼らなりの生存戦略を選択しているだけだ。そして「医局」のような典型的な、昭和なエートスを持つ組織、社会では、「沈黙こそが正しい生存戦略」となる。大人しくなるのは当たり前だ。

その生存戦略は、その人物の「生存」という観点だけからは、正しい。ただし、こういう組織は成長しない。逆に劣化していく可能性が非常に高い。

よって、こういう組織での活動に慣れた医学生や研修医、そして医者たちは、耳に痛い話に近寄らなくなり、議論が苦手になる。やらないことは、苦手になるのは当然だ。スポーツであれ、音楽であれ、訓練をやめてしまった状態で能力を維持したり向上する可能性はゼロである。

出口治明氏によれば、唐の時代の太宗は、耳に痛い諫言かんげんを積極的に部下に求めたという。

唐の太宗皇帝・李世民の騎馬レリーフ
唐の太宗皇帝・李世民の騎馬レリーフ(写真=Mary Harrsch/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

太宗は幼少の頃から弓矢を好み、その奥義を極めたと自認していた。ところが、ある日、弓工に自分の弓をみせると、弓の木の心がまっすぐではないためによい弓ではなく、矢がまっすぐに飛ばないという。

自分が熟知している弓についても、専門のプロには及ばない。ましてや、専門外の政治においてはさらにそうだろう。太宗はこうして専門家など、多くの意見、特に諫言に耳を傾けて、謙虚に政治に取り組んだのだそうだ(出口治明『貞観政要 世を革めるのはリーダーのみにあらず NHK「100分de名著」ブックス』NHK出版)。

忖度なしの議論で人間関係は壊れない

私はこれまで、アメリカで5年、中国で1年間診療した経験を持つが、それ以外にも沖縄で1年、そして千葉県の病院で4年間診療した。

沖縄の病院と千葉の病院はアメリカの指導医を教育に入れるなど、先進的な医学教育で有名な教育病院だ。いずれの地でも議論は活発に行われ、患者の最良のケアを追求してきたが、「議論すること」で人間関係が気まずくなったりすることはない。そもそも、議論くらいで人間関係が壊れてしまうようなら、怖くて議論などできない。

現在の神戸大学病院には2008年から勤務している。私が教授を務める感染症内科では、毎日のカンファレンスで激しい議論が行われることで有名だ。若手の医師から最年長の私(現在53歳)まで、「何が正しい診断なのか」「何が正しい治療なのか」、一所懸命に議論する。

忖度そんたくなどもちろんなしだ。患者の生命リスクがかかっている医療である。

その生命を毀損きそんするリスクを冒して忖度するなんて、私としては考えられない。どれほど自分の耳がひりひりと痛むとしても、上納金や上長への忖度に慣れる体質に感染することとは比べようもなく、健全であり持続性が高いからである。

岩田 健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学大学院医学研究科教授
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。

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