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だから眞子さんを失ったことは日本にとって大打撃…宗教学者が指摘する「女性宮家創設」の意外な盲点

  • 2024.10.12

「女性宮家」創設が注目されているが、盲点はないか。神道に詳しい島田裕巳さんは「国会の議論は女性宮家設立にむかっているが、そうなれば、伊勢神宮の祭主が消滅する可能性がある」という――。

「即位礼正殿の儀」に向かわれる十二単姿の眞子さま
天皇陛下が即位を宣言する「即位礼正殿の儀」に向かわれる十二単姿の眞子さま=2019年10月22日、皇居・宮殿
眞子元内親王の皇籍離脱の痛手

秋篠宮の眞子内親王(当時)が皇籍を離脱し、アメリカに去ってしまったことは、日本の神道の世界にとって大きな痛手だったのではないだろうか。

私は、伊勢神宮における式年遷宮しきねんせんぐうの作業が来年はじまろうとしている今、そのように考えるようになった。私のように考えている人は、おそらくほかにはいないだろう。

それはなぜか。ここでは、その理由について述べていきたい。

伊勢神宮には「祭主」という役職が存在する。これは、伊勢神宮にだけある特別な神職をさす。古代には「神祇官じんぎかん」と呼ばれる役所が設けられており、朝廷の祭祀を司っていた。祭主は、神祇官に属し、伊勢神宮の長官の役割を果たしていた。

当初の段階では、祭祀を司る家である中臣なかとみ氏が代々の祭主をつとめていた。摂政関白を独占し、政治を担っていくことになる藤原氏は、もともと中臣氏であったため、やがて藤原氏がそれをつとめるようになった。藤原氏の祖、鎌足は中臣鎌足と称していた。

伊勢神宮に続く「斎王」の伝統

その伝統は、江戸時代が終わるまで続くが、明治に時代がかわると、当初は公家、やがては皇族がその役割を担うようになる。

ところが、戦後になると、伊勢神宮が国家の手を離れ、民間の宗教法人「神宮」となったこともあり、もともと皇族であった女性が、その任にあたるようになった。1988年からは、昭和天皇の第4皇女であった池田厚子氏が祭主となった。池田氏は、皇籍を離脱する前には厚子内親王と称していた。

池田氏は、前回の式年遷宮、2013年の第62回を斎行している。ただ、その時点ですでに82歳になっており、彼女にとっては姪にあたる黒田清子氏が、12年にはその補佐役ということで臨時祭主に就任した。17年には退任し、黒田氏が正式な祭主に就任している。

戦後、皇族であった女性が祭主に就任するようになったのは、伊勢神宮には「斎王」の伝統があったからである。

おそらく、多くの方たちは認識していないだろうが、代々の天皇は明治になるまで伊勢神宮に参拝することはなかった。第1回の式年遷宮は持統天皇の時代に行われたとされ、その直後に、天皇は伊勢に行幸している。だが、その際に天皇が伊勢神宮に立ち寄った形跡はまったくない。それ以降、明治に時代が代わり、即位したばかりの明治天皇が伊勢神宮に参拝するまで、誰一人として天皇は伊勢神宮に参拝していないのだ。

元内親王から選ばれてきた戦後の祭主

なぜそうした事態が続いたのか。はっきりとした理由が説明されているわけではない。

だが、『日本書紀』に記された伊勢神宮成立の経緯を見ると、はじめ宮中に祀られていた天照大神が疫病を引き起こしたため、天皇から引き離され、遠く伊勢の地に祀られるようになったと述べられている。天皇が天照大神に近づくと災いが起こる。古代の人々には、そうした思いがあったものと推測される。

その代わりに、天皇の娘である内親王や女王が斎王と定められ、現在の三重県多気郡明和町にある斎宮さいくうにおもむき、伊勢神宮に奉仕することとなった。この制度は、南北朝時代まで続く。戦後の祭主は、この斎王の伝統を引き継ぐものと考えられる。

だからこそ現代の祭主は、元内親王から選ばれてきた。戦後最初の祭主は北白川房子で、彼女は明治天皇の第7皇女だった。その次は、昭和天皇の第3皇女、鷹司たかつかさ和子で、それを妹である池田氏が引き継いだのだ。

池田氏の場合、現在でも、神社界の総元締めの役割を果たす神社本庁の総裁である。総裁は完全な名誉職で、神社本庁の実務にたずさわることはなく、その下に統理と総長がもうけられている。池田氏の前に総裁をつとめたのは、やはり北白川房子と鷹司和子であった。

式年遷宮と祭主の重要なかかわり

神社本庁は、戦後に生まれた民間の宗教法人で、その特徴は、伊勢神宮を「本宗」と位置づけたことにある。本宗は、従来の日本語になかった神社本庁の特有の用語だが、皇室の祖先神である天照大神を祀る伊勢神宮を神社界の中心に位置づけようとするものと解釈できる。

G7サミット首脳らが2016年5月26日、日本の伊勢市にある伊勢神宮の正宮の御垣内(神社の中庭)に入る場面
G7サミット首脳らが2016年5月26日、日本の伊勢市にある伊勢神宮の正宮の御垣内(神社の中庭)に入る場面(写真= ピート・ソウザ/PD-USGov-POTUS/Wikimedia Commons)

内親王が一般人の男性と結婚し、皇籍を離脱すれば、とくに元皇族としての特別な役割はなくなると考えられているのかもしれない。だが、皇室と密接に関係する伊勢神宮や神社本庁においては、極めて重要な存在となってきたのである。

ここで注目しなければならないのが、祭主と式年遷宮とのかかわりである。黒田氏が、前回の式年遷宮の前年に臨時祭主に就任した点が重要である。

式年遷宮では、社殿が一新される前に、まずは内宮へ参拝するための宇治橋がかけかえられる。池田氏は、2009年の宇治橋渡始式に祭主として臨んでいるが、その時点で78歳だった。しかも、12年には夫と死別している。

長丁場となる遷宮が避ける死の穢れ

神道には、死の穢けがれを嫌うという伝統がある。現代ではその是非が問われることにもなるが、式年遷宮を営むにあたっては、とくにそれを避けることがもっとも重要な注意事項になる。

これは、伊勢神宮に神職として奉職していた方から直接うかがった話である。伊勢神宮では、遷宮の作業がはじまる段階で、遷宮が行われる時点で万全の健康状態で臨めないと思われる神職は、その職を辞すことになるというのである。

来年からはじまる第63回の式年遷宮は、2033年に行われる。準備のはじめからそこまでで8年を要する。しかも、その時点では内宮と外宮、そして荒祭宮がたてかえられただけで、ほかの社殿の遷宮は終わっていない。それが終わるまでにはさらに約10年の歳月が必要である。相当の長丁場である。

私が話を聞いた神職の方は、健康に不安があったため、職を退いたという。面白いと思ったのは、泉涌寺せんにゅうじに移ったということである。泉涌寺は皇室の菩提寺で、なんと神職から僧侶に転出したのだ。

黒田清子氏の次は誰か

黒田氏は現在55歳であり、年齢的にはまだ若い。2033年の式年遷宮のときでも、64歳である。その点では、無事に祭主をつとめられる可能性は高い。

上皇明仁皇女、清子内親王
上皇明仁皇女、清子内親王(写真=在チェコ日本国大使館/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

しかし、その保障がないことも事実である。何らかの病いや事故により万全の態勢で臨めないこともある。となれば、臨時祭主をつとめられる人物が控えていなければ、式年遷宮の実施に支障をきたす危険性がある。

これも伊勢神宮の元神職の方が言っていたことだが、式年遷宮の儀式が行われるなかで、天皇からつかわされた勅使が急に具合が悪くなる出来事が起こったという。もしものことがあれば、式年遷宮に差し障りが生まれる事態である。幸い、着物を緩めると回復したということだが、伊勢神宮には相当な緊張が走ったらしいのだ。

では、黒田氏の次は誰になるのだろうか。

内親王だと眞子元内親王しかいない

伊勢神宮が皇室と深い縁で結ばれており、皇族がおりにふれて参拝に訪れている現状からすれば、愛子内親王や佳子内親王、あるいは、皇室のニュースターとなった彬子女王などが適任と思われるかもしれない。

しかし、現在では、政治と宗教を分離しなければならないという政教分離の原則が強調されるようになっている。現役の皇族が、民間の一宗教法人となった伊勢神宮の祭主をつとめることは相当に困難である。終戦直後には、伊勢神宮を当時の宮内省の管轄下におく構想が打ち出されたが、それは実現されなかった。

となると、皇族の身分を離れた内親王や女王が候補として浮上する。内親王だと眞子元内親王しかいない。

2020年の眞子さま
2020年の眞子元内親王(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

女王になると、高円宮の典子元女王と絢子元女王の姉妹がいる。

典子元女王は、出雲国造である千家家に嫁いでいる。神道の家ということでは伊勢神宮に関係する。ところが、明治時代に国が設けた神道事務局に出雲大社の祭神、大国主を祀るかどうかで神社界を二分する大論争が起こった。そうしたこともあり、典子元女王が伊勢神宮の祭主をつとめるのは難しいだろう。

伊勢神宮の祭主が消滅する恐れ

となると、絢子元女王になる。彼女の夫は民間人であり、その点で、祭主に就任することに格別の差し障りは出てこない。

けれども、元女王であり、元内親王よりも天皇との血縁上の距離は遠い。黒田氏が2親等であるのに対して、絢子元女王は6親等である。民法では、6親等内の血族が親族と定められているが、ぎりぎりである。

現在、国会の論議は、女性宮家の設立を認める方向にむかっている。もし、現在の内親王や女王が、女性宮家として皇族にとどまったら、伊勢神宮の祭主となる可能性のある元内親王や元女王が今後生まれないことを意味する。

その点では、本来、眞子元内親王が、将来における伊勢神宮の祭主や神社本庁の総裁に適任だったはずなのである。

神社界は、貴重な人材を失ってしまった。

そのことは、伊勢神宮や神社本庁の権威を失わせる方向に作用するかもしれないのである。

島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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