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50歳の鉄人・アスルクラロ沼津の伊東輝悦が「マイアミの奇跡」を振り返る 「ラッキーだった」「ボールに触れておいて良かった」

  • 2024.10.11
50歳の鉄人・アスルクラロ沼津の伊東輝悦が「マイアミの奇跡」を振り返る 「ラッキーだった」「ボールに触れておいて良かった」
50歳の鉄人・アスルクラロ沼津の伊東輝悦が「マイアミの奇跡」を振り返る 「ラッキーだった」「ボールに触れておいて良かった」

Text by Senior Editor

1996年のアトランタ五輪で、日本がブラジルを相手に勝利を挙げた「マイアミの奇跡」の立役者となった伊東輝悦は、8月に50歳を迎えた今もなおJ3のアスルクラロ沼津の選手としてシーズンを過ごしている。

「とにかく暑すぎて、サッカーをやるには過酷すぎるよ。日差しを見るだけで、やる気が失せていくような時もあるから…。でも、サッカーをした時に感じる楽しさや喜びは、小さい頃からずっと変わらないんですよ」とあの夏から28年が過ぎた今も灼熱の中でボールを追い続ける思いを語った。

ブラジル戦の決勝戦は「ラッキーだった」

高校を経てJ開幕初年度の1993年に清水エスパルスに入団した伊東は、初年度から公式戦出場を果たすと、1995年頃からレギュラーに定着。U-23日本代表にも選出され、日本サッカー界としては28年ぶりとなる五輪の出場権獲得にも貢献した。

「アトランタ五輪は、日本代表が久々に五輪の本大会に出場できた大会でしたが、僕個人としても、ほぼ初めての世界の強豪国と対戦する機会でした。なので、大会前には本気で試合に臨んでくる相手に対して『自分たちがどれだけ通用するんだろうか?』という不安や期待感、そして大会前に見た低い下馬評を『見返してやりたい』という思いもあった。試合の時に感じた色々な気持ちや、緊張を感じながら、大会に向かったことを覚えています」

アトランタ五輪の初戦では、当時絶対的な強さを誇っていたブラジルと顔を合わせることとなった。

「『初戦でブラジルと対戦する』と聞いて自ずとテンションが高まりましたが、それと同時に実力や経験で上回る格上のブラジルと真正面から戦っても『絶対に敵わないだろうな』とも感じました。それでも、ブラジルの攻撃を受けて守りに入るのではなく、『誰が見ても分の悪い試合にどうすれば勝てるのか』を考えながら、各々が準備をして試合に臨みました」

ブラジルとの試合は伊東の事前に予想した通り、ボールを支配される展開で試合は進んだが、GK川口能活のファインセーブや守備陣の奮闘などもあり、スコアレスドローで前半を折り返した。

後半に入っても、勢いを強めるブラジルの攻撃に耐える時間帯が続いた日本だったが、後半27分にチャンスが訪れる。路木龍次のクロスに城彰二が反応するも、相手GKのジーダとアウダイールが交錯。こぼれたボールをゴール前に詰めていた伊東輝悦が軽く蹴ってゴールネットを揺らした。

「目の前にボールが転がってきて『ラッキーだな』と思いました。最後の局面は、自分でボールに触るかどうかギリギリまで迷ったんですけど、それを考えられるくらいの余裕もあった。あのゴールのおかげで時間が経った後も色々な人に思い出してもらえますし、今となってはボールに触っておいてよかったと思います」

1点をリードした日本代表は、負けの許されないブラジルのはさらなる猛攻を受けることとなる。

「得点を決めた後にベンチから『まずは守備から…』という指示があったと思います。得点を決めた後もブラジルがボールを持つ時間帯が続きましたが、チーム全員が高い集中力で試合に臨めていましたし、バランスよく守れたと思います」

この試合は伊東のゴールを守り切った日本が、そのまま1対0で勝利。歴史的な勝利に多くの人は驚愕したが……。日本はグループステージを2勝1敗で終えたものの、同じグループで金メダルを手にするナイジェリア、銅メダルのブラジルに次ぐ予選3位に終わり、決勝トーナメント進出を果たすことはできなかった。

「アトランタ五輪を振り返ってみると、世界の厳しさを感じつつも、自分に少しだけ自信がついたように思えた大会だったと思います。先日、久々に当時の試合を見直してみたのですが、ずっと守備に追われているイメージだった印象の試合の中でも、しっかりやれているところがあった。思った以上にボールを持てている時間帯があったので、それは自分でも意外に感じました」

フランスW杯のメンバー選出は「とにかく驚いた」

日本サッカー界の新たな歴史を刻み、世界との差を肌で感じた伊東は、1998年に日本が初出場を決めたW杯フランス大会のメンバーにも選出された。

「予選の時は一度も代表に選ばれませんでしたが、スイスで行われた直前合宿の時に声をかけていただいて、とにかく驚きましたよ。(W杯出場を決めた)イラン戦も、どこかで観ていたとは思いますが、今ではその時のことをあまり覚えていないような感じですから。そこから代表に選ばれ、W杯に帯同することになろうとはまったく想像していませんでしたね」

本番直前には長年日本代表を支えた三浦知良と北沢豪、当時は若手だった市川大祐の3名が代表から外れ、物議を醸した。

「正直に言うと、『本当に自分がいても大丈夫なのかな……』と思いましたけど、直前で呼ばれた選手ですから、何かを言えるような状況ではありませんでした」と当時を振り返った伊東を始め、日本代表に選ばれた22名の選手たちは、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカの3カ国と対戦することとなった。だが、世界の壁は厚くチームは3連敗。3試合目のジャマイカ戦で、現在は沼津の指揮官を務める“ゴン”こと中山雅史の日本のW杯初ゴールが生まれたものの、世界との差を痛感させられる結果に終わり、チームに帯同した伊東も大会中に出番はなく、そのままフランスの地を去ることとなった。

「試合に出られなかったのは僕の力不足だとは思いますけど、やっぱり『W杯の試合に出てみたかったな……』という気持ちはありました。やっぱりベンチで試合を見つめているのと、実際にピッチに立ってプレーするのは全く感じ方が違うと思うので……。もしかしたらW杯で試合に出られなかった悔しさも、今も現役を続ける原動力になっているのかもしれません」

50歳になった今も伊東輝悦が現役を続ける理由

2010年に清水を退団した伊東は甲府、長野、秋田と3クラブを渡り歩いた後、2017年からはアスルクラロ沼津に加入し、今季はプロ32年目の選手生活を送っている。

2021シーズンまでは、現在は指揮官として沼津を率いる中山雅史が53歳まで選手生活を続ける姿を間近に観てきた伊東は「毎日地道な筋力トレーニングに取り組むゴンさんの姿を観て、『自分はとてもじゃないけど無理だな……』と思いましたけど、その姿を見ていると『負けられないな』という気持ちも徐々に込み上げてきたんです。沼津は若い選手が多いですが、もし今の僕の姿を見て『頑張ろうかな』と思ってくれるのなら嬉しいですし、若い選手がひたむきにプレーする姿を見ていると自ずと力をもらえる。お互いに良い刺激を与え合いながらプレー出来ているような気がしています」と、現役を続けるモチベーションになっていることを明らかにした。

若い選手に混じって練習で汗を流す伊東だが、今季はまだリーグ戦の出場機会がない。

「やっぱりピッチに立ちたいと思う気持ちはありますが、選手を選ぶのは監督の仕事ですから、自分で決めることは出来ない。長いシーズンを戦う中では絶対に自分が必要とされる瞬間が来ると思うので、その時に向けて腐らずに全力で準備をすることしか出来ないと思っています」と現在の思いを語った伊東は、今年8月に誕生日を迎え、50歳の大台に到達した。孔子の『論語』には「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」という言葉もあるが……。

「そんなものはないですよ。来年のことすら全然わからない状況ですから……。」と伊東は苦笑いを浮かべると、自身の選手生活に対するこだわりをこう続けた。

「小さい頃から憧れていたサッカー選手になる夢を叶えて、50歳になった今もボールを追い続けられている。当時はそのような未来が来ることを全く想像できていませんでしたし、とても幸せなことだと思っています。おそらく『まだサッカーをやっているの?』と言われてしまう場面もあると思いますが、サッカーを楽しむことを考えながら、少しでも長く選手生活を続けられたらなと思っています」

伊東が所属するアスルクラロ沼津は、30試合を終えて勝ち点47の4位に付けており、クラブが目標とするJ2昇格を射程圏に捉えている。

「シーズン終盤に差し掛かり、負けられない試合が続いています。長いシーズン中には時に上手くいかないこともあるかもしれませんが、それでも選手たちは、日々のトレーニングの成果をピッチで表現するために毎試合全力で戦っていますし、僕も最後まで良い緊張感を持ちながらベストを尽くしたいと思います。

ぜひ多くの皆さんにもスタジアムに来ていただいて、選手と一緒になって戦ってほしいですし、皆さんの声援の後押しによる大きな力で相手に襲いかかり、勝利を手繰り寄せられたらなと思っています」

今季のJ3は残り7試合。伊東の在籍する沼津は“奇跡”を起こすことが出来るだろうか?

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