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古舘伊知郎「下品を承知で喋り続ける」実践する生涯現役であるための準備学【インタビュー】

  • 2024.10.10
ダ・ヴィンチWeb
『伝えるための準備学』(古舘伊知郎/順文社)

テレビ朝日に入社後、『ワールドプロレスリング』の実況で一躍人気アナウンサーとなった古舘伊知郎さん。フリーとなってからもF-1の実況や『NHK紅白歌合戦』の司会、『報道ステーション』のキャスターなどを務め、ジャンルを超えて活躍の場を広げてきました。

新刊『伝えるための準備学』では、瞬発力のある発想や独自の言い回しで知られる実況の裏に隠された徹底した準備の軌跡を公開。自らを「喋り屋」と称する古舘さんの知られざる一面が明かされています。

「準備とは、未来を生きること」と語る古舘さんは、喋り屋としてどんな未来を思い描いているのか。若い頃から変わることのない原動力や、年齢と経験を積み重ねた喋りの変化、生涯現役であるための準備などについて、お話を伺いました。

今も変わることのない喋りの原動力

――『伝えるための準備学』では、成功も失敗も、無駄さえも準備と捉え、次に進む力にしてきた古舘さんの歩みが記されていました。そこでひとつ疑問に思ったのですが、古舘さんは仕事と生活の切り分けをどのようにされているのでしょうか?

古舘伊知郎さん(以下、古舘):僕は公私混同の極みです。あくまで僕の古臭い考え方ですけど、ワークライフバランスという言葉はまやかしだと思っています。「働くことが嫌だ」という前提に立って、オフの大切さを語っているわけじゃないですか。僕の場合、「喋り」というのを真ん中に置いちゃっているので、仕事とプライベートが分けられないんです。オンでもオフでも喋っているから、どうしても公私混同になってしまう。そこを切り離して「どうやって余暇を快適に過ごすか」を考えることはないですね。

――生活のすべてが、仕事のパフォーマンスを上げるためのインプットという感覚なんですか?

古舘:そうおっしゃってくれたほうがかっこいいんですけど、嘘が入っちゃいけないなと思ったのは、やはり意識的にインプットはしているんですよ。そうしなきゃいけないという気持ちは、いつも強迫観念のようにありますから。ただ、喋りは仕事という感覚でもないんです。だから、公私混同という言葉を使わせてもらったんですけど。喋りしかやっていないことを正当化するために、「こんなにも喋りが好きで、それ以外はまったく能がないんだ」という物語を作って生きてきたんです。

――喋りしか能がない人の物語を作ることで、生きていく道筋を定めてきたんですね。

古舘:さすがに、メディアで喋ることを遊びとは思っていないですよ。昔から放送禁止用語やコンプライアンスはあって、自由気ままに喋ってきたわけじゃないので。「かつてのテレビはもっと自由だった」なんて郷愁が聞こえてくることもありますけど、昔から制約はあるんですよ。今の制約とは違うだけで。そういうなかで喋るという意味では仕事なんですけど、制約や抑止への鬱憤を晴らすようにベラベラ喋っていたようにも思います。喋りは仕事じゃないようだし、遊びとも言えないという感じですね。

――年齢と経験を重ねてきて、ご自身の喋りはどのように変化してきたと感じますか?

古舘:変化はいろいろとありますよ。まず、滑舌が悪くなっている。若い頃はありえなかったですけど、例えば「ゲリラ雷雨」という言葉が言いづらいんですよ。噛んだらプロ失格だという意識で力んでしまい、その分だけ尺をとってしまったりして。昔だったらサラッと短く言えたんですけどね。

――力んだ分の間延びって、聞いている側は気づけないほど一瞬のことじゃないですか。だけど、話す側にとっては衰えを感じる部分なんですね。

古舘:それを自意識と呼ぶんだと思うんですよね。嬉しさも辛さも、すべてを大げさに捉えているんです。自分でも自意識過剰だなと思いますけど、それくらいの感覚でいないと滑舌はもっと衰えるし、自分はできるなんて万能感に満たされたらおしまいですよ。元来、僕は口下手だったけど、上手く喋れるように必死で練習してきた。「自分をお喋りだと思うのはいいけど、お前の原点はそこだからな」という意識は常に持っています。

――アナウンサーとしてデビューされて間もなく50年。ベテランといわれるポジションになっても、なぜそんなにストイックでいられるんですか?

古舘:いろんな理屈をつけて喋ってきたんですけど、最近思うのは単純にモテたかったのが原動力だったんだなと。運動神経がよくてリレーでアンカーを任されたとか、誰からも一目置かれるほど成績がよかったとか、優しくてかっこよくて女の子にモテたとか、この強い自意識が満たされた経験があれば、今とは違う自分になっていたと思います。

自慢できるものが何もなく、承認欲求が満たされないまま若い時期を過ごし、女の子にもモテなかった。それでアナウンサーになって、「君の喋りは面白いね」なんて言われたら、もうこの道しかないと思わざるをえないですよ。喋りの一点突破でいこうと決めて、そこに心血を注いできました。じゃあ、喋りまくったらモテるのかって言うと、まったくモテないんですけどね(笑)。だけど、そうやって自分の道筋を設定したから、歳をとっても逃れられないんだと思います。

「わかりやすさ」が評価される時代に

――ご自身の喋りで、若い頃よりもよくなったと感じる部分はありますか?

古舘:まだまだ修行が足りないんですけど、喋りが一本調子じゃなくなったと思いますね。僕が好きな古い言葉で、「歌うは語れ、語るは歌え」というのがあるんです。「歌うときこそ歌詞をしっかり把握して語るように歌い、語るときこそ抑揚をつけて歌うように語れ」という意味なんですけど。歌と喋りって密接不可分だと思うんです。

若い頃は一本調子で、捲し立てるような喋りでよかったのかもしれませんが、今はガーっと喋っていても、一番言いたいことをぐっとトーンを落として話す。そうするとみんなが「え?」って、前のめりになってくれるんです。そういう抑揚やメリハリは、少しずつ付けられるようになりましたね。

――「喋り」を突き詰めてきた古舘さんですが、音楽や文学など、他の表現に嫉妬することはありますか?

古舘:それはもう全面的に嫉妬していますね。複合的な表現である音楽には敵わないとか、小説のように抒情的に訴えかけられないと感じて、いつも「チクショー」と思っています。若い頃は誰彼かまわず嫉妬していたし、それは歳をとった今でもまったく変わりませんね。大人気なく嫉妬します。「みんなジャンルが違うんだから、音楽も文学も喋りも素晴らしい」なんて好々爺みたいなことを言うようになったら、もう終わりだと思います。嫉妬はエネルギーになる。そう捉えると、嫉妬も次に向かうための準備なんですよ。

僕は、役者のように表情に言語を宿すことも、ミュージシャンのように歌声で心を揺さぶることもできません。「ああはなれない」という嫉妬や憧れがあると、どうにか喋りを磨いていこうと思うじゃないですか。自分で言うのもなんですけど、ひたむきな気持ちになるんです。「もう喋りしかない」と悟ったから、公私混同にもなっていったんだと思います。そういう意味では、できないことを思い知ってきた人生でもありますね。

――古舘さんは喋り手としてのご自身の個性を、どのように捉えていますか?

古舘:個性は他者が決めることなんだろうけど、強いて自分で分析するのであれば、しつこさやクドさですかね。ベースがクドいから、言葉数が多くなるっていう。昔は、クドかったり、過激だったり、変な言い回しが面白がられる時代だったんですよ。イケイケドンドンって言葉があったくらいですから。だけど、今はもっとあっさりしていて、わかりやすい喋りがウケる時代なんだなと感じています。

実際、「食べやすい」とか「聞きやすい」とか「見やすい」みたいな言葉が評価として好まれますよね。クドい人間からすると、「どれだけ安易なほうがいいわけ?」と思っちゃうんですけど。その時点で時代にフィットしてないですよね。でも、ペラペラな感想で許容できないんですよ。

――確かにわかりやすいことが求められているような気がしますが、そこに対する揺り戻しもありそうですよね。

古舘:わかりやすさへの反動ですよね。だから、僕としてはそこを狙うしかないんですよ。今は完全に周回遅れになっていますが、時代が巡り巡ってもう一度クドい喋りを面白がってもらえたら、爽やかな気持ちで死ねるような気がしています。

「相手が聞きたいこと」と「自分が喋りたいこと」

――古舘さんの喋りには「伝える」と「表現する」が同居しているように感じるのですが、その使い分けで意識されていることがあれば教えてください。

古舘:喋り屋を48年やってきても、そこはまったくバランスが取れていません。「伝えてなんぼ」なんだけど、どこかで「わかる人がわかってくれりゃいいや」と思っているところもあって。

例えば、トーキングブルース(“一人喋りの最高峰”と称される古舘さんのトークライブ)には、お金を払って積極的に僕の話を聞きに来てくれてる人が集まってくださっているので、「何を聞きたいんだろう」というのは考えます。だけど、時には「誰にもわかってもらえなくていい」という気持ちで、わざと暴走してみたりもして。そうすると、お客さんが喜んでくれるんですよ。「また始まった。このバカ、クドいわー(笑)」って。僕のワガママを許容してくれて、理解できないことも楽しんでくれるんです。

――好きな人が、好きなように振る舞っているのを見るのは楽しいですもんね。

古舘:ただ、その時間が7分を超えると本当に嫌な顔をされるので気をつけてはいます(笑)。それ以外の仕事でいうと、やっぱり喋りたいこと喋っちゃっていますね。喋りに抑揚やメリハリをつけて、興味のない人も惹きつけられるように努力はしていますけど、完璧にバランスを取ることはできないですね。

――「喋り」で手応えや喜びを感じるのは、どんなときですか? 伝えるべきことが伝わったと実感できたときなのか、自分が言いたいことを言い切れたときなのか、もしくはまったく別の瞬間なのでしょうか?

古舘:やっぱり一番嬉しいのは伝わったときですよね。理詰めで話を進めて、最後の一言でドカーンと笑いがきたときなんかは、本当に天にも昇る気持ちになります。自分の想いと相手の受け止めがほぼイコールに感じられると、もう自我が崩れて、自分と世界の境界線がわからなくなるくらい嬉しいです。人と人はわかり合えないし、誤解もします。だけど、一瞬でも理解してもらえるなら、それは喋りをやっていて最高の喜びですね。

――それは身ひとつで人前に立つ、喋りならではの感動かもしれないですね。

古舘:あぁ、そうかもしれない。オーケストラをバックにしてステージに立っていたら、また違うでしょうね。生意気なことを言うと、一人でやってますから。笑いが起こるだけでなく、真剣な眼差しを向けてくれていることも嬉しいですし、もっと言うとポカンと口を開けて寝ている人がいるのもありがたいんですよ。

――寝ている人がいるのもありがたい? どうしてですか?

古舘:自分を図に乗らせないからです。全員が目を見開いて話を聞いてくれていたら、調子に乗って、神様になっちゃうと思うんですよ。失礼な言い方ですけど、口を開けて寝ている人という香辛料があることで気が引き締まるし、真剣に聞いてくださる方への感謝も増します。

下品を承知で、死ぬまで喋り続けたい

――古舘さんは多くのスポーツ選手の引退に立ち会っていますが、ご自身の引退について考えることはありますか?

古舘:まったくないです。24時間稼働態勢のなかに引退の文字がないんですよ。61歳で報道ステーションをやめて、これからは自由に喋れると思ったら、時代と噛み合わず、クドいとかワガママだと言われるようになりました。評判の悪さは数字の悪さに繋がり、65歳くらいのときには番組が潰れていったんです。そこで、ハッと我に返ったんですよ。「これは引退しろということなのかな」って。

そのときは、そろそろ潮時なのかと思って、ジクジクジクジク考えました。だけど、どうしても引退したくないんですよ。もっと喋って人に聞いてもらいたいという欲がべったり張り付いちゃって、もう剥がせないんですよね。だから、今は生涯現役で喋り屋をやり抜いて、喋りながら死んでいきたいと思っています。

そこまでできようができまいが、とにかく口が回っている限りは引退しないつもりです。滑舌が悪くなったり、病気で上手く喋れなくなって、誰も聞いてくれなくなったら、それは致し方ない。僕にとっては地獄がやって来るけれど、それはそのときの自分が悩めばいいことで、とりあえず今は引退ってことを頭から外しちゃいました。だって、まだまだ喋りたいんだもん。世間に飽きられても、いけるところまでズルズルやっていきたいというのが正直な気持ちです。

――生涯現役であるために、今されている準備はありますか?

古舘:敏感ではなく、過敏なくらいに自分の喋りをチェックしています。滑舌が悪くなったり、ハイトーンが出なくなったり、話のテンポが落ちたり、記憶力が弱くなったり、そういう老化現象や自分の怠りをしっかりと把握すること。そして、能力の人間ドックを毎日することですね。準備を怠って、ずっと現役で喋れると思ったら大間違いなので。いつ限界が来るかわからないからこそ、いつも自分の喋りをチェックするようにはしてます。

――『伝えるための準備学』でも、「準備とは、未来を生きること」と書かれていましたもんね。

古舘:本にも書かせてもらったように、準備は本番で、本番のときにはもう次への準備に入っているんですよ。準備が進んで、ある程度ゴールが見えてきたときに油断は禁物だし、最後までやり遂げなきゃいけません。だけど、同時に次も見据えておく必要があるんですよ。そうやって準備と本番をエンドレスに捉えておかないと、生涯現役なんて無理なんだと思います。

――「次にやること」が常にある状態にしておくのが、生涯現役であるための準備なのかもしれないですね。

古舘:そうなんです。いつも動いていて、すぐに次へいける状態にしておかないと、どんどん衰えていくので。常に練習していないとダメだし、実戦を練習と思っておかないと、さすがに歳なので動きたくなくなっちゃうんですよ。

昔、落語家の立川談志さんに「古舘、お前覚えとけよ」と教えてもらったことがあって。「上品っていうのは、対象に向かってゆっくりと近づいていくこと。対象に向かって思いっきりスピードを上げて、距離を詰めていくこと、これを下品というんだ。だから、上品なのがよくて、下品なのがあながち悪いわけでもない」って言うんです。それで言うと、僕は潔く上品に引退するのではなく、いつまでも下品に喋りを続けていきたいと思っています。

――アナウンサーデビューした22歳のときには、生涯現役を貫く姿を想像していましたか?

古舘:してませんよ。もう別人ですもん。アナウンサーになりたてで、喋りたくて売れたくて必死だったから、歳をとったらどんな喋り手でいたいかなんか考えていなかったですね。ただ今売れたいってことだけ。獣と一緒ですよ。「けだものだもの」、第二の相田みつをですよ。今、今、今しか見ていない。未来予想もしないし、過去も振り返らず、ただひたすら今売れたいとしか考えていなかったですね。

――48年間のキャリアを振り返ってみて、喋り屋は天職だったと思いますか?

古舘:そう思いたいですね。物語として、そう言い聞かせてますが真実かどうかはわかりません。でも、素直に言えば喋り屋をやってきてよかったなとは思います。まぁ、他に選択肢もなかったですけど。

今も大人げなくテレビで司会をやりたいと妄想していますよ。現実的に中央でやるのは難しいだろうとも思っていますけど、続けていれば横道に逸れたところでふっと花が咲いたりもするんですよ。だから、トーキングブルースやYouTubeなど、自分がやれる舞台で妄想を広げながら一生懸命やろうと思っています。

脂ぎってかっこ悪いとか、老害と言われたりして、どんどん喋り狂ってドン引きされてね。モテたいと思い続けてきたけど、モテないのはそこが原因で、いつも勘違いして生きているんですよ。だからと言って、喋りを引退したいとも思わない。それならもう下品を承知で死ぬまで喋り続けます。ずっと矛盾だらけで、下品でありたいですね。

取材・文=阿部光平、撮影=金澤正平

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