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海を渡るまでのカウントダウン。ダンスは自由になる手段になった

  • 2024.10.10

私は20代のうちに、自由になるための自由な創作物を創れる土壌をつくり、海を渡りたい。

◎ ◎

先日<とつとつダンス>という、老人ホームで生まれたダンスのワークショップに参加してきた。応募フォームに「なぜとつとつダンスに参加したいのですか?」という質問があった。

私は「ダンスでケアをするということ自体がルールやマニュアルにとらわれていない印象があります。脱ルール、ソフト面の充実は私にとって、今後の仕事をする上での理想のあり方です」と書いた。

要するに私は自由になりたいのだ。

いまだって、ワークライフバランスという点ではとても自由だ。私は文化施設で一般事務の仕事をしている。ほぼ定時で仕事が終わり、職場と自宅は近いのですぐ帰れる。一日24時間のうち、ぴったり8時間仕事、6時間睡眠、2時間家事とすると、残り8時間は自由な時間だ。一人暮らしだし、自由に過ごせるのはとっても快適だ。誰にも何も指図されなくて済む!

しかし、「脱ルール、ソフト面の充実」という自由とは、ワークライフバランスの意味ではない。私は対人コミュニケーションそのものを念頭に置いていた。自由になるための手段としてダンスを用い、同時にダンスで自由を表現することを目的とするのだ。

◎ ◎

私は昨年まで、ダンスを自分の表現手段と目的として本格的にとらえてこなかった。それが、この「かがみよかがみ」にも書かせていただいているが、自発的に始めたnoteのおかげで、自分でも思いもよらぬ展開に進み、その結果、30歳になるまでにダンスの専門性を高めたいと思うまでに至った。

一般的な履歴書に書くような職歴では、私の経歴はもう悲惨なことになっているが、キャリアというレールの外に、自分の求めているもの、表現したいことがあると気が付いた。

ではなぜ、自由になって海を渡りたいのか。長期にわたって海外に住むことが14歳からの夢だからである。気が付けば人生の半分をこの夢が占めている。私はこれまで何度も、中学生のときには高校生になったら留学したい、高校生のときには大学生になったら留学する、と思えば、お金がないからできないというのを言い訳にしてきた。

お金が無くても本当に留学したいなら、奨学金を得るために勉強を頑張ればいいじゃないか、となれば、自分は勉強ができないと(実際、学校の勉強は得意じゃないのだが)ハナから挑戦するのをあきらめていた。

◎ ◎

そのような中でも海外に行く機会はあった。学生時代、友人と九州に行こうかと話をしていたら、友人はどうせなら海外に行こうよ、と言ってくれて、台湾に行った。台湾は私にとって10年ぶりの海外だった。また、私の姉が一年間ロシアに留学していたため、その年の夏、母に誘われ、フィンランドに行った。

そして、私は大学生のときからハワイのフラを踊っているため、絶対ハワイには行きたい、と思っていたところ、友人が誘ってくれて、就活中だったにもかかわらず、貯金を切り崩してバイト代全部使って行った。いい気分転換になった。いい友人たちに恵まれていると思う。

今度は自分の力で、旅行ではなく長期的に海外に行きたいと思っている。そのために20代のうちにダンスで、自由になるための自由な創作物を創れる土壌をつくりたい。

思い出したのだが、小学生のときの将来の夢は「バレリーナ」(ああ、恥ずかしい)、中学生のときはいきなり現実的になって「海外のユニクロで働く」(なぜユニクロだったか不明)、そして高校生のときは「接客以外の対人の仕事」であった。

「接客以外の対人の仕事」と言いながらもどんな仕事なのか、当時自分でも想像つかなかったが、のような「脱ルール、ソフト面の充実」のコミュニケーションのことだと、いまなら分かる。

これらのキーワードは海外、自由、ダンス。小中高から思い描いている夢が、いま、つながっている!

■伊豆半島からの踊る旅人のプロフィール
コンテンポラリー・ダンスの社会的・アート的地位を高めたく、いつかダンスについてのエッセイを書いてみたいと思っています。
文章力と観察眼を養いたい!
南の島の伝統舞踊も踊っています。
X相変わらず裏アカです……。
X:@green60810 https://twitter.com/green60810

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