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日本で27年ぶりの大規模個展が開催中! 生きるために創り続けた、ルイーズ・ブルジョワの生涯とは?

  • 2024.10.9

20世紀を代表するアーティストのひとり、ルイーズ・ブルジョワの国内最大規模の個展が森美術館で開催中。現代もなお人々に鮮烈な刺激を与え続ける作家の生涯を辿り、心の傷を乗り越えたその創作の真髄を読み解く。

生まれるとは追い出されること、見放されること、そこから憤りが生じる。

To be born is to be ejectedTo be abandoned, from there comes the fury.- LB

ルイーズ・ブルジョワの言葉翻訳:Kinoshita Tetsuo 出典:Louise Bourgeois, quoted in "Abandonment," in Frances Morris, ed., Louise Bourgeois, 41 exh. cat., London: Tate Publishing, 2007, p.20.

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1990年、79歳の時に撮影されたブルジョワのポートレート。大理石の彫刻『Eye to Eye』(1970年)とともに。

「芸術は正気を保証する」これは20世紀を代表する最も重要なアーティストのひとりであり、機知に富む数々の警句を遺したルイーズ・ブルジョワ(1911年ー2010年)の言葉だ。

ルイーズ・ブルジョワは1911年12月25日にパリで生まれた。実家はタペストリーの修復工房を営む裕福な家庭で、芸術家たちが毎夜集うカフェ・ドゥ・フロール上階のアパルトマンに暮らしたことからも、彼女が幼少期よりビジュアルセンスを磨かれた生粋のパリジェンヌだったことがわかる。

ブルジョワの芸術は、多感な年頃に経験した複雑な境遇やトラウマとなった出来事をインスピレーションの源としている。98歳で他界するまで、それらの記憶や感情を幾度となく反芻し、神話や寓話を思わせる普遍的なモチーフへと昇華させることで、冒頭の言葉のとおり"正気"とそれ以上に強靭な精神を保ち続けた。

70年にわたるキャリアを通じて、「男性と女性」「受動と能動」「具象と抽象」「意識と無意識」といった対極にある概念を探求し、唯一無二の造形力によってそれらを作品化。とりわけ身体やセクシュアリティ、ジェンダーを巡る矛盾や葛藤に、辛辣なユーモアを込めて斬り込む作品は高く評価され、フェミニズムの文脈においてもその先駆的存在として世代を超えてリスペクトされている。

"クモは巣を壊されても怒らない。もう一度、糸を吐きなおすだけ"Coxon, Ann. Louise Bourgeois. London:Tate Publishing, 2010(Louise Bourgeois Taped Inter-view with Cecilia Blomberg, 1968).『ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家』河野万里子訳 西村書店より

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『蜘蛛』(1997年)。代表的なモチーフである卵を抱いた蜘蛛は、タペストリーの修復家であり子どもたちの庇護者だった母親や、ブルジョワ自身が体内から糸のように感情を引き出す制作活動を象徴する。

私は母の合理性と父の病んだ心を受け継いだ。I inherited my mother's rationality and my father's sick heart.- LB

ルイーズ・ブルジョワの言葉翻訳:Kinoshita Tetsuo出典: Louise Bourgeois, "Self-Expression Is Sacred and Fatal: Statements,"in Christiane Meyer-Thoss, Louise Bourgeois: Designing for Free Fall, Zurich: Amman Verlag, 1992, p.185.

ブルジョワにとって最初のアート制作とは、祖母の技術を受け継いだ熟練の職人だった母親を手伝い、タペストリー修復のための下絵を描くことだった。一方、当時の家父長制の社会で横暴に威張り散らす父親に支配され、女の子というだけで軽視されて育ったブルジョワは、幼い頃から父への複雑な愛情を募らせていた。11歳の時、父が若い女性の家庭教師を住み込みで雇い、公然と寝室に招き入れる。この出来事は彼女の心にひときわ深い傷(トラウマ)を残した。

父親のご機嫌をうかがう緊張に満ちた食卓では、父の身体を母や兄妹と食べるという、神話や童謡を思わせる不穏な妄想を抱いたとも伝えられる。パンを粘土代わりに人形をこしらえ、腹いせにその手足を解体したという。この絶妙のブラックユーモアをはらんだ造形の実験は、後に素材を金属や大理石に替え、『父の破壊』『パン人間』といった彼女のシグネチャーとなる作品に結実する。ブルジョワの創作活動は、少女時代に受けた心の傷を生涯にわたって癒やすための行為だった。

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『家出娘』(1938年頃)。何度も家出を計画したが、捨てられなかった家への愛着と憎悪は生涯を通して重要なモチーフとなった。
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『堕ちた女[ファム・メゾン](女・家)』(1946-1947年)。女性と家が合体して描かれたシリーズ。家に守られながらも、閉じ込められた現実を象徴する。
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『ファム・メゾン(女・家)』(1946-1947年)。1960年代、フェミニストの芸術家たちが本シリーズを女性と家の関係を提起するものと捉え、女性解放運動のアイコンとなった。

1932年、名門ソルボンヌ(パリ第3大学)に入学し、数学を専攻。父親のブルジョワに対する眼差しは、"侮蔑"から"敬意"へと変わる。だが同年、最愛の母親を亡くして悲嘆に暮れていた彼女は、次第に美術へと情熱を傾けていく。芸術部門の最高学府であるエコール・デ・ボザールに入学する一方、フェルナン・レジェに絵画を師事。レジェはブルジョワの感性と造形力が、絵画よりも立体作品に適しているということを先見していたという。

やがて、ルーヴル美術館で働いて貯めた資金で父のタペストリーの画廊内に自身のギャラリーを開く。そこに訪れたアメリカ人美術史家のロバート・ゴールドウォーターと出会い、1カ月も経たずして結婚。その翌月にはアメリカに渡り、3人の息子を育て上げる。ニューヨークでは、マルセル・デュシャン、ホアン・ミロ、ウィレム・デ・クーニングなど当時最先端の芸術家たちと交流を深めた。49年にはトーテムやコラムを思わせる柱状の彫刻作品での個展を開催。そして60年代、作品は大きな転換期を迎える。樹脂やラテックスなど風変わりなテクスチャーを大胆に扱った肉感的でセクシュアルかつ先鋭的な造形は、後に花開くブルジョワの作品世界の萌芽とった。

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『父の破壊』(1974年)。夕食で自慢話を繰り広げる父の肉体を妻と子どもが解体して食すという幻想が発想の源。(所蔵:グレンストーン美術館)

ブルジョワは祖国フランスを捨て、戦後アートの中心地となるニューヨークに飛び出したことで成功を収めたが、20世紀アメリカ美術の主流だった抽象表現主義やミニマリズムなどのムーブメントとは一線を画した。彼女は自身の実体験やアイデンティティから得た独自の世界観だけを頼りに制作する孤高の作家だった。70年のキャリアの中で同じモチーフが何度となく現れ、告白と自己分析を繰り返すその創作活動は、狂おしく、切実な精神の解放の過程。芸術は"セラピー"であり、"逆境を生き抜くためのよすが"だった。

『ヒステリーのアーチ』(1993年)。女性特有の病と卑下されてきたヒステリーが実は男性も罹患する事実を示唆する。モデルは1980年代から没年まで公私にわたりブルジョワを支えたジェリー・ゴロヴォイ。

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『カップルIV』(1997年)。互いに拘束し依存する男女の身体は、両親の行為を目撃したトラウマから着想された。
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『カップル』(2003年)。宙吊りにされたふたつの身体は螺旋の力で支え合い、一体化した物体となる。

自分の衣服、ドレス、ストッキングをとっておくのはとてもうれしい......どれも私の過去であり、ひどく傷んでいても手にとって抱きしめたい。It gives me great pleasure to hold on to my clothes my dresses, my stockings... It's my past and as rotten as it was I would like to take it and hold it tight in my arms.- LB

ルイーズ・ブルジョワの言葉翻訳: Kinoshita Tetsuo 出典: Louise Bourgeois, loose sheet of writing, circa 1963 (LB-0202). Collection: Louise Bourgeois Archive, The Easton Foundation, New York.

彼女は彫刻家としてのデビュー以来、大理石や金属、樹脂、木材などハードな素材を主に用いてきたが、90年代になって、自身の原点であり母との絆の象徴でもある手工芸的なテクニックに回帰し、布を用いたソフトスカルプチャーを制作するようになる。思えば20世紀初頭に生まれたブルジョワは、人生のほとんどの時間を無名の芸術家として生きてきた作家だ。世界的に大ブレイクしたのは80年代後半、齢70代になってからである。82年、女性の彫刻家として初めてニューヨーク近代美術館(MoMA)で大規模な個展が開催されたことを皮切りに、彼女の評価は国際的に高まり、93年のヴェネツィア・ビエンナーレにアメリカ館代表として参加、95年にはMoMAで回顧展が開催、99年に同じくヴェネツィアで88歳にして金獅子賞生涯功労賞を受賞したことは大きな感動を呼んだ。

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『無題(地獄から帰ってきたところ)』(1996年)。展覧会の副題は、亡夫のハンカチに刺繍で言葉を綴った晩年の本作品から引用。度重なる逆境を生き抜いた強靭な心を表現する。
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『トピアリー IV』(1999年)。フランス式庭園に見られる灌木の造形は自然の生命力や再生力、トラウマをも昇華させる人間の存在を象徴する。

『良い母』(部分、2003年)。乳房から5本の糸を垂らし母乳を与える布製の人形。パリの家族とニューヨークで築いた家族が5人家族だったことを示唆する。

生前の姿を捉えたドキュメンタリー映画『CHERE LOUISE~親愛なるルイーズ』(95年)では、最期まで公私にわたり彼女を支えたアシスタント、ジェリーとのやりとりが印象的だ。わざとわがままを言い放ち、年の離れた男性を振り回す痛快なマダムっぷりは手強くもあり可愛らしくもある。激動の20世紀を娘や母としてサバイブした女性の、強さと脆さが共存する陰影に満ちた魅力をそこに感じる。ブルジョワ自身が作詞・作曲・歌を手がけたサウンドトラック『otte』では、常に男性より劣った幼稚な生きものと見なされてきた女性の悲哀をしゃがれ声のフランス語で囁いた。

女性の視点からの近現代美術史の見直しが進んでいる現在、ブルジョワの芸術はよりいっそう注目されている。女性が耐え忍びながら生きざるをえない男性中心社会の圧力、毒親に植え付けられ容易には抜き取ることのできないトラウマを、ルイーズ・ブルジョワは『蜘蛛』が糸を吐いて巣を繕うように自ら修復してきた。そして21世紀も半ばだというのに、ブルジョワが人生を賭して表現した"家""拘束""依存""抵抗"といったメタファーはいまだに有効だ。傷だらけの心を原動力に、地獄とうそぶくほどの苦しみを昇華させてきたブルジョワの力強い生き様と芸術は、この苛烈な世の中を生きる私たちに勇気を与えてくれる。

Profile
1911年、パリでタペストリーの画廊と修復工房を営む家庭に生まれる。ソルボンヌ大学で数学を専攻するも、母を亡くした悲しみから美術に転向。38年にニューヨークに移住。82年、MoMAで女性彫刻家として初の個展が開催された。2010年ニューヨークにて没。

『ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ言っとくけど、素晴らしかったわ』

会期:開催中〜2025/1/19

森美術館050-5541-8600(ハローダイヤル)

営)10:00~21:30
最終入場(月、水〜日)、10:00~16:30最終入場(火)
※10/23は16:30最終入場、12/24、31は21:30最終

入場料)一般¥2,000(平日)、¥2,200(休日)

https://www.mori.art.museum/jp/

*「フィガロジャポン」2024年11月号より抜粋

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