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鈴木おさむさん(52)スマスマも手がけた超売れっ子放送作家は、なぜ引退することにしたのか

  • 2024.10.7

「SMAP×SMAP」などの数々のヒット番組を手がけ、放送作家として32年間第一線で活躍をされながら、今年3月末で引退をした鈴木おさむさん(52歳)。今年1月から放送された大人気ドラマ「離婚しない男ーサレ夫と悪嫁の騙し愛ー」の脚本や、先日Netflixで配信がスタートした現在人気ランキング1位のドラマ「極悪女王」の企画・脚本・プロデュースも手がけていて、放送作家を引退をされた今でも話題沸騰中です。
現在はベンチャーファンドを立ち上げ、若者を支援する活動に取り組み、新たなスタートを切った鈴木おさむさん。
今回は、放送作家を辞める決心をしたときから現在までの心境をお聞きしました。(第1回/全3回)

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鈴木おさむさんプロフィール

スタートアップファクトリー 代表
1972年生まれ。19歳で放送作家デビューし、多数の人気番組・企画・構成・演出を手がける。そのほか、エッセイ・小説の執筆、映画・ドラマの脚本や舞台の作・演出などさまざまなジャンルで活躍し、2024年3月に放送作家業に終止符を打った。現在は、TO C向けファンド「スタートアップファクトリー」を立ち上げ、その代表を務める。2002年に「交際期間0日」で森三中の大島美幸さんとの結婚が話題に。現在小学4年生の息子さん笑福(えふ)君と3人暮らし。

放送作家をやっていて楽しいと思ったことは一度もなかった

32年間放送作家をやってきて、改めて振り返ると、担当番組が人気になって嬉しかったり興奮したことはあったけど、楽しいと思ったことは一度もなかったです。常に緊張感と責任感が強い仕事で、毎週視聴率に翻弄されて、毎日処理することに追われて、しんどかったです。
イチローさんや白鵬さんも、現役時代は辛かったと言っているのを聞いて、やっぱりそうだよなと思いました。でも、楽しくないことでも命をかけて頑張れてこれたので、やっぱり僕にとって天職だったんだと思います。

SMAPの存在

僕が23歳のときから、20年以上お仕事をさせていただいていたSMAPと、SMAPのマネジメントをされていた飯島さん。彼らから自分の仕事を認められたい、おもしろいやつと思われたい、という気持ちが強く、常に緊張感の中で仕事をしていました。飯島さんは、妥協もしないし、キャリアに関係なく、若くておもしろいと思った人はきちんと評価するし、ベテランでも手を抜いていればすぐに見抜いて厳しく注意する方でした。だからこそ緊張感をもって頑張れたし、最高の経験をさせてもらったと思っています。そんなSMAPが解散した時は本当に辛かった。彼らがいなくなった後も、他のさまざまなお仕事をさせていただいてはいましたが、以前のような大きな緊張感やこの人にどうしても認められたい、ということが減り、頑張ることにスイッチが入らなくなっている自分に気づきはじめたんです。

山下達郎さんのライブで辞める選択肢に気づいた

僕が最初に仕事を辞めようと思ったのは2019年でした。その頃、仕事は好きでしたが、体力的にも精神的にも辛い時期でした。今まではしんどくても、次の仕事と向き合うことでリセットができていたんですが、その頃はリセットができずに常にイライラやモヤモヤが増えていました。そんな時、山下達郎さんのライブで聴いたのが「LAST STEP」という曲。それまでは「辞める」という選択肢を考えたことは1ミリもなかったんですが、その曲を聴いたときに「あ、辞めるっていう選択もあるんだ」と気づいたんです。そのときに、溜まっていたストレスがスーッと抜けてすごく気持ちが楽になりました。

戦友のような存在だったプロデューサーの死が、自分の背中を押してくれた

2019年に辞めることを思いついたのですが、その後すぐにコロナ禍になり、そんなことを言っている状況じゃなくなり、コロナが落ち着いた去年から、改めて本格的に辞める準備をはじめました。
実は、今年に入って、自分にとって戦友のような存在だった3歳年上のプロデューサーが白血病で亡くなったんです。SMAP×SMAPの番組の後半をずっと一緒にやってきて、突然番組がなくなったときはスタッフみんなすごくモヤモヤした状態だったんですが、チーフプロデューサーだった彼が、最後は綺麗に終わらせたいという気持ちから、歴代のスタッフ1000人くらいを呼んでビストロSMAPのセットを組んで打ち上げを開いてくれたんです。ビストロのお皿や、番組内でメドレーを披露した曲を、ナンバリングされたアナログ盤にして配ってくれたりと、懐かしい同窓会のようなひとときでした。
そんな彼が白血病を発症し、最後の面会ができるとの連絡がきたとき、僕はちょうどSMAPを題材にした小説「もう明日が待っている」のゲラチェックが終わったところでした。僕は出版社に頼み込んでなんとか1冊だけ本にしてもらい、面会のときに彼に渡すことができたんですが、その3日後に彼は息を引き取りました。でも、面会した日の夜に、体調が悪い中彼から感想のメールもいただきました。そんな彼が亡くなったのは本当に悲しい出来事でしたが、彼の死と、自分が仕事を辞める時期が重なっていて、さらに自分の背中を押してくれたような気がしています。

辞めて半年、忙しさはさほど変わらない

放送作家としての仕事を辞めて半年が経ちました。以前は毎日朝9時から12時までがリモート会議の時間で、大体毎週20本くらいの会議を行なって、その後対面の打ち合わせやVTRのチェック、台本執筆などがありました。今はその会議などがなくなった代わりにファンドのための打ち合わせが入るので、忙しさはあまり変わらないのですが、精神的なものが全然違います。リモート会議では、前日に出た視聴率を元に次の方向性を決めるので、毎日ピリピリしていたし、知らない間に追い込まれていたなと感じます。
今は、若い経営者達と一緒に仕事をすることが多いのですが、とにかくエネルギッシュ。昔のテレビマンを見ているようで、話していてワクワクします。今までとは違う新たな繋がりが出来て、すごく楽しいし、ストレスも感じていません。

応援してくれる人の存在に感謝

『放送作家』という肩書きがなくなった今、周りにいた人たちの態度が変わったのを感じることもあります。放送作家ではない僕に対して魅力を感じない人も当然いるのは理解できますが、やはり悔しい思いもしました。でも、それ以上に、放送作家ではなくなった僕でも、昔と変わらず応援してくれている人の存在も感じることができたんです。『放送作家の鈴木おさむ』ではなく『鈴木おさむ』自身を純粋に応援してくれる人がいるのは本当にありがたいなと感じています。僕のことを本気で応援してくれているのが分かるし、今は感謝の方が大きいです。
みんな自分の人生のために動くので、どんなに近しくても裏切る人は裏切る、離れていく人は離れるし、ついてくる人はついてくる。最近は何があっても動じなくなりました。『まあ、そういうこともあるよな』と思えるようになったし、以前より自分のキャッチャーミットが大きくなった感じがします。

撮影/沼尾翔平 取材/沢亜希子

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