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レッグプレスで77kg! 58歳で始めた筋トレが私に与えてくれたもの

  • 2024.10.7

米国内最年長のスポンサー付きアスリートになったGranny Gunsさんについてアメリカ版ウィメンズヘルスからご紹介。

10代の頃の私は身体的にフィットだった。でも、トキシックな離婚を2度もしたせいで、私の自信とボディイメージ、自尊心は見事に失墜。その結果、摂食障害に悩まされ、大きな手術を要するほど大腸の一部が壊れてしまった。でも、この修復手術と入院は、私に変化のときが来たことを教えてくれた。もっと長く、もっと幸せに生きたいという想いと共に。

2015年、私は、ほとんどの人がスローダウンする58歳という年齢で筋力トレーニングを開始した。息子のライアンがトレーナーとなり、ケトン体ダイエットとオンデマンド・フィットネスプログラム『ビーチボディ』をベースにしたワークアウトの指導を務めた。最初は本当に体が弱く、ヒザが死ぬほど痛くて苦労した。でも、筋力トレーニングを数週間続けたら、痛みが消えた。

最初の4年間は、自宅でのワークアウトが中心だった。でも、ルーティンの幅を広げて、潜在能力を引き出すためにと、ライアンがジムへの入会を勧めてくれた。正直なところ、自分に自信をつけるのには時間がかかった。他の人とワークアウトをすることにも慣れていなかったので、かなり居心地が悪かったけれど、あのとき逃げずに頑張った自分を誇りに思う。

いまでは私をジムから引き離すことのほうが難しい。

62歳でジムに入会。トラウマを力に変えて、潜在能力を解き放つ。

いつも幸せになりたかったけれど、パートナーからは虐待を受けるわ、頼れる人はいないわで、なかなか幸せになれずにいた。そんな私にとってジムは心の避難場所となり、自分自身に集中し、自分のエネルギーを力に変えて前進することを教えてくれた。

自分に責任を持たせるために、私は毎朝15~20分の腹筋エクササイズをしている。そうすると、自分が強くなった気がするし、その日1日が首尾よく進む。

お昼になったら、ライアンとジムへ。ワークアウトは毎日していて、最初は必ず15分のエリプティカルと決めている。私は肩と足に古傷があるけれど、衝撃の低いエリプティカルなら、痛みなしで血流を促進し、筋肉を温められる。

メインは筋力トレーニングで、毎日違う体の部位を鍛えられるメニュー構成になっている。通常は、下半身のトレーニングを週2回、胸・背中・腕・肩のトレーニングをそれぞれ1日ずつ。エリプティカル、自転車、またはローイングマシンを使用した軽い有酸素運動も週1で行っている。

背中はとくに鍛えがいがあるけれど、レッグデーも難易度が高くて楽しい。下半身は弱点と言えるけれど、日々進歩を続けることに重点を置いている。私の目標は、レップスを1回増やすでも、重量を少し増やすでもいいので、毎日ほんの少しずつ強くなること。いま現在の自己ベストは、ラットプルダウンで50kg、レッグプレスで77kg。

摂食障害に苦しんだのち、ようやく私は適切な栄養管理の方法を理解した。

私にとってボディイメージは昔から悩みの種で、深刻な摂食障害とは何年も闘った。でも、息子の指導を受けたおかげで、適切な栄養管理は、ワークアウトを乗り切って活力を維持するだけでなく、長生きするためにも重要であることが理解できた。

それで私はダイエットコーラや加工スナックと決別し、自然食品中心の食生活を開始した。とくに重点を置いたのは、タンパク質の量を増やして糖類を制限すること。好きな食べ物は卵、オートミール、魚、脂肪の少ない牛肉で、野菜もモリモリ食べている(カリフラワーは昔から大好物)。ワークアウト後は、筋肉の増強と回復に欠かせないプロテインシェイクを欠かさない。

適切な栄養管理を始めてからは、活力レベルが一気に上昇。気だるさが減り、思考が明晰になり、ワークアウトでも以前より力が出るようになった。

ジムで見つけたコミュニティが、長年求めていた自分の家族に。

私の人生には幸せと言える時期が少なく、頼れる人もいなかった。私は誰の目にも不十分なんだろうと思っていたし、2度の離婚で心はボロボロになっていた。でも、ジムに恋をしたことで、私には世界一ステキでフィットな家族ができた。

その後、インスタグラムに自分の進捗を投稿すると、それがすぐに拡散されて、ネット上のおばあちゃん(アカウント名:Granny Guns)として知られるようになったばかりか、見知らぬ人からインスピレーションの源と言われるように。年が年ということもあり、ネット上やジムの男女から、私のコミットメントや意欲、体の変化に感銘を受けたと言われ、生まれて初めて自分の存在価値を感じた。

情熱と意欲を失わず、フィットネスにコミットしてきた私は現在66歳で、米国内最年長のスポンサー付きアスリートになった(スポンサー企業はYoungLA、Ryse Suppliment、Village Hidden In Ironなど)。自分がとても誇らしい。夢が叶うとはこういうことだ。

この力強いコミュニティを通じて私は、アーノルド・シュワルツェネッガー、ノエル・デイゼル、ロニー・コールマンといったロールモデルにも出会った。彼らからは、絶え間ないサポートと励ましを受けている。親しみを込めて「おばあちゃん」と呼んでくれるだけじゃない。彼らが私を応援し、いつも味方でいてくれることは十分に理解している。この歩みを彼らが認めてくれるから、私は目的意識を感じるし、これからも人々を鼓舞しつつ、自分の限界を超えていこうという気になれる。

オンラインで届くコメントも、非常に前向きなものばかり。支えと呼べるものが何ひとつなかった私が、いまでは世界中の人々に支えられている。本当に、これほど幸せなことはない。

次の目標は、ボディビルディングのプロカードを取得すること。

まさか自分がボディビルダーになるなんて夢にも思わなかったけれど、去年、私は思い切って2つのショーに出場した。どのカテゴリーでも最年長だったので、かなりの自信が必要だったのは間違いない。でも、いざステージに立ってみると居心地が良く、自分が誇らしく思えた。

この経験がきっかけとなり、私はボディビルディングのプロカード取得に向けて動き出した。筋肉を披露するには、厳しいトレーニングと食事制限に加え、多くの集中力が必要になるけれど、心の準備はできている。何と言っても、ここまでやってきたんだし、チャレンジは大好きだ。

私のボディメイクを成功に導いた3つの要素

1.筋力トレーニングを通じて、自分を優先することを学んだ。

トラウマを忘れることはできないけれど、赦して前進することはできる。フィットネスは私に存在価値があることを教えてくれたし、体の変化を見ているうちに、心の状態も変わってきた。私を引き止めるものは何もない。身体的にも精神的にも、これほど大きな変化を遂げた私の強さは無限大。私は息を吹き返した。そして、人生はまだまだこれから。

2.トレーニングを支え、モチベーションを維持してくれるコミュニティとの出会いがあった。

行きつけのジム、インスタグラム、YoungLAネットワークを通じて私は、この道のりとライフスタイルを応援してくれる素晴らしいアスリートたちに出会った。それに、彼らが目標を達成する姿を見ると、自分も頑張ろうという気持ちになれる。これは私の第二の人生であり、それを他の人と共有できるというのは、かなり特別なこと。こんなに大きなサポートがもらえるなんて夢にも思っていなかった。

3.困難な過去の記憶を、強い未来を築くための糧にした。

これまでの人生には数々の困難があったけれど、それが私を強くして、ここまで連れてきてくれた。過去を悔やむ代わりに私は、過去を成長の糧にしている。

今日までの私の道のりは忍耐力の証。始めるのに遅すぎることはない! 66歳の私にとって、年齢は単なる数字。年齢は制限や限界ではなく、私が誇りを持って身に付けている名誉のバッジ。

※この記事はアメリカ版ウィメンズへルスからの翻訳をもとに、日本版ウィメンズヘルスが編集して掲載しています。

Text: Marlene Flowers As Told To Andi Breitowich Translation: Ai Igamoto

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