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赤いランドセルと制服のスカート。ずっと「女」の枠の強制が嫌だった

  • 2024.10.7

女性に生まれたというだけで、損害を被ることはたくさんある。私は幼いころから様々な場面で、男と女の差を体感させられてきた。
一番幼いころの記憶は、小学校に上がるとき。ランドセルは黒がよかったのに、女の子は赤だよと言われてそれに従った。私もそれが当然だと思ったから大きく騒ぎ立てなかったんだと思う。だけど今もその記憶は私の中にあって、納得できない事象としてくすぶっている。

中学校に上がるとき。男子の制服はズボン一択、女子の制服はスカート一択だった。私は幼いころからスカートが嫌いだったので、慣れるのに苦労した。

その当時はスカートが嫌いなだけだと思っていたが、今振り返れば、「女」という枠の中に勝手に押し込められるのが嫌だったんだなとわかる。幼いころから、「女の子だからと」選ばせてもらえなかった選択肢に、よく思いをはせていた。

◎ ◎

大人になってからも、「女はこう」「男はこう」の凝り固まった価値観に晒されることは多くあった。時代は変わって、ランドセルも制服も選べるようになったけれど、大人たちの価値観はそう簡単に変わらない。会話の端々で「女」の枠に入れられたり、女であることを理由に不愉快な目にあったりもする。

私はアルバイト先で接客中にお客さんから理不尽なクレームを受けることが度々あった。自分が悪いんだと思っていたけど、同じバイト先の背が高く体の大きい男性は、クレームなどほとんど受けないと言っていた。

接客態度は私よりラフだったので、男であること、なめられない見た目であることが大きかったんだと思う。私の背が低いこと、反撃をしてこなさそうなこと、なにより女であることが関係していたんだと思う。

接客中に、常連でも何でもない初対面の男の人にナンパされることもあった。私は執拗に連絡先をねだられたりはしなかったものの、それに悩む女性スタッフは複数人いた。男性からはそのような話は聞いたことがない。

◎ ◎

女であるが故に嫌な思いをしたり、女であるが故に自分が原因を作ったんじゃないかと言われたり、損害を被ったのはこちらなのに責められたりする。
そんな社会の風潮に、見て見ぬふりをしていいのだろうか。私はちゃんと声を上げたい。
ほんの些細なことではあるが、身近な人が「男」「女」で人を決めつけたりしていたら、性別は関係ないんじゃないかと言うし、「彼氏は?」「結婚は?」と聞かれたら、どちらにも興味がないですとしっかり意思表示をする。

社会には、まだまだ女の子の選べない道は多い。結婚や出産がゴールだと思っている人もたくさんいるし、その中でキャリアを取る人は「なにかがおかしい」とされてしまう。
今の私たちにできることは、女の子にも人格があり、目指すところは皆一緒であるわけではないということを、男性に、そして女の子たちにも伝えることだと思う。
進む道は自分で決めていい。私たち大人が、自分の言葉で、行いで、それをすべての人に示していくことが大事だと思う。
性別を理由にチャレンジを妨げられることがなくなってほしい。

■金城美晴のプロフィール
多趣味。ひとり時間をいくらでも楽しく過ごせる。

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