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「女性監督は歩き続ける」。映画業界の労働環境を支えて

  • 2024.10.4

「おわかりだろうか。 女性は、私しかいません」。9月9日、この一文で始まる文章とスーツ姿の19人が整列した集合写真がXに投稿されました。唯一の女性出席者だった近藤香南子さん(41)。政府が映画やアニメなどのコンテンツ産業の強化をめざして開いた合同会議でした。近藤さんは、映画界で働く女性の労働環境の改善のため、個人で活動や発信をしています。今年11月には東京国際映画祭(TIFF)の関連シンポジウム「女性監督は歩き続ける」をプロデュースします。近藤さんに思いをききました。

女性が“たった1人”の衝撃

この連載コラムでもこれまで、映画・映像業界での長時間勤務や性差別、ハラスメント、低賃金などの問題が深刻なことをお伝えしてきました。政府は、そういった問題を改善しながらクリエーターの海外展開を支援していく狙いで先月、「コンテンツ産業官民協議会」と「映画戦略企画委員会」の第1回合同会議を開きました。

コンテンツ産業官民協議会・映画戦略企画委員会。終了後、写真撮影に臨む出席者たち。女性は近藤香南子さん(後列右から4人目)のみだった=2024年9月9日、首相官邸、岩下毅撮影

問題は、その出席者の顔ぶれとジェンダー比率です。岸田文雄首相(当時)、カプコンや東宝の社長、NHK会長らが並ぶ中、民間で女性の出席者は近藤さん一人。近藤さんはXで「“コンテンツ”産業の各分野の長たる人を集めると、このようになる現実(私は長でない人の立場としてまさかのジョイン)。気が遠くなります」と投稿しています。

近藤さんは、大学在学中から映画界を志し、是枝裕和監督らの現場で助監督として働き、27歳で第1子を妊娠したのを機に現場の仕事を辞めました。「今でも夢に出てくるくらい、現場がとても好きです。『もし現場に残っていたらどんな未来があっただろうな』とは考えます」と話します。

「現場には異様な楽しさがあるんですよ。コツコツと準備をしてきて、みんなでコミュニケーションを取りながら撮影したものが一つの形として残るわけですから達成感が得られます。芸術として評価されたり、興行的に成功したりすれば、とても誇らしい気持ちにもなれます」

近藤さんは納得してやめたものの、女性たちが様々な理由で映画界を去っていく様子を目の当たりにしてきました。

かつて映画会社は自社の撮影所で人材を育成していました。ですが、1970年代ごろに斜陽化した結果、多くのスタッフがフリーランスに。「それでも80~90年代は景気がよかったので、まだ食べていけました。でも今は景気が後退して物価も上がり、少子化の時代。その中で家族を持ちながら、映画の仕事だけを続けるのは、映画の魅力をもってしても非常に大変になりました」

近藤香南子さんの投稿

変わらない「働きにくさ」に声を

近藤さんは2020年、撮影監督や脚本家などをマネジメントする仕事を始めました。「3人の子の育児が少し落ち着き、子供が育った後の自分の人生を考えたとき、映画の仕事の近くに戻りたいなと思ったのです」

ちょうどそのとき、映画「キングダム」シリーズやドラマ「今際の国のアリス」で知られる佐藤信介監督から声がかかりました。「佐藤監督は映画スタッフのマネジメントと企画開発の会社を起ち上げています。『事務作業はマネージャーが引き受けるので、クリエーションに集中してほしい』という願いがあるからです。ギャラの交渉や事務作業などが苦手なスタッフも多い。契約書を交わさず、仕事が終わって初めていくらもらえるか分かる世界だったりします」

近藤さんはスタッフに代わって、制作サイドと交渉して、賃金や労働時間・条件がきちんと明記された契約書を交わしたり、トラブルが起きたときに相談にのったり…。そういったマネジメント業務のほか、個人的に始めた女性映画スタッフの意見交換会などで様々な人の声をきくにつれ、近藤さんの中で「映画界はこのままではいけない」という思いが高まってきました。

近藤香南子さん=2024年9月、伊藤絵里奈撮影

「確かに数としては女性のスタッフは増えました。機材の軽量化など色々要因はあるのですが、『人手不足』が大きい。業界全体が薄利多売の状態で、ものすごい数のドラマや映画が作られています。だから女性にも声がかかるようになったのです。決してこの業界が男女平等になったわけではない」

「女性たちも『いいように使われている』と敏感に感じてはいます。たとえば超大作は、撮影期間が長いので結構稼げます。ですが地方ロケもあるし、労働時間も不規則なので、ワークライフバランスを重視する人が働くのは難しく、男性スタッフが多くなりがちです。結局、女性に声がかかるのは、小規模な予算で短期間の撮影で終わる作品が多い。数自体は増えても長時間労働や低賃金という状況は全く変わらず、ようやく『おかしい』と声をあげる人が出てきて、現状が可視化されてきました」

様々な人たちの思いを背負って、9月9日の政府の会議に参加した近藤さん。「制作業務に入れば休日は眠るだけで終わってしまい、家族や友人と過ごすこともリフレッシュすることもできない制作現場のスタッフの状況が改善されない場合、今囲んでいるこのテーブルからどんなに耳触りのいいプランが出てきても無意味なものでしかない」と発言し、単なるパフォーマンスに終わらないよう、政府や出席者を強く牽制しました。

合同開催されたコンテンツ産業官民協議会・映画戦略企画委員会に臨む映画監督の是枝裕和氏(中央)と近藤香南子さん(右)=2024年9月9日、首相官邸、岩下毅撮影

女性映画人、先人たちは

近藤さんが今回、シンポジウム「女性監督は歩き続ける」の企画を考えたのは、去年のTIFFで開催された、女性映画ジャーナリストによるトークイベントがきっかけだそうです。「女性映画ジャーナリストに着目するなら、女性監督を取り上げる機会があってもいいのに、と素朴に思ったのです」

その後、今年の2、3月に国立映画アーカイブで開かれた特集上映で、ドキュメンタリー映画「映画をつくる女性たち」(2004年、熊谷博子監督)と運命的な出合いをします。TIFFと同じ1985年に始まった、東京国際女性映画祭の15周年記念作品として作られた映画です。東京国際女性映画祭の中心人物だった岩波ホール総支配人・高野悦子さん(1929~2013)らが、日本の映画界で奮闘してきた様子が記録されています。

「映画祭の存在は知っていましたが、行ったことはありませんでした。この映画をみて、高野さんが若い頃に映画監督を志して、フランスまで行って映画制作を学んだものの、結局男性社会の壁に阻まれて監督になれず、40歳で岩波ホールの支配人になったことを初めて知りました。『こういう先人たちがいて、今があるんだな』と初めて感じて…。文化芸術が連綿とした歴史の流れの中にあることを意識したのです」

高野悦子・岩波ホール総支配人=1998年、東京・神田神保町で、朝日新聞社

ここ数年、#MeToo後の各国の映画界の変化を受けて、日本でもキャリアを積んだ女性監督たちが、積極的にジェンダー問題を語るようになりました。さらにアカデミアの分野でも、明治学院大学の斉藤綾子教授が、2020年、映像学会で初めて女性として会長に就き、研究の領域も大きく変化しています。

「この映画には、ウーマン・リブから男女雇用機会均等法成立といったフェミニズム運動の高まりの中で、映画とフェミニズムを密接に結びつけた活動をしてきた女性がたくさん出ていました。監督をした熊谷博子さんや出演した監督らが今の時代をどうみているのかなどを聞いて、多くの人と共有したいと思い、今年春にシンポジウムの企画書を書いたのです」

男性にはタテとヨコのつながりが

近藤さんは日本初の女性監督・坂根田鶴子さん(1904~1975)から現代に至るまでの、女性監督による長編の劇場公開映画を全部リスト化しました。全部で900本近くあったそうです。

そこで可視化されたのが、男性監督の世界にあるタテとヨコのつながりでした。

「男性監督の間には『●●組の○○の助監督をやっていた』というタテのつながりと、映画学校で一緒に学んだような仲間内でオムニバス映画を作ったりして、お互いを応援しあうヨコのつながりがありました。一方で、女性監督は数が少ないからか、そういったつながりが持ちにくかった」

近藤香南子さん=2024年9月、伊藤恵里奈撮影

いま、若い世代では、山戸結希監督が同年代の女性監督を集めてオムニバス映画「21世紀の女の子」(2019)をプロデュースするといった動きも出ています。しかし、男性のそれと比べると極めて少数です。

「東京国際女性映画祭の第1回には、フランスの名優で映画監督でもあったジャンヌ・モローが参加しました。その後、同映画祭には国内外の女性監督が集い、交流を深める場になっていきました。そういう歴史があったことを知ってほしい」

集まったのは映画人だけではありません。日本の女性の地位向上に力を尽くした元文部相の赤松良子さんが全面的に応援して、日本国憲法を生んだ米国人女性ベアテ・シロタさんを追ったドキュメンタリー映画「ベアテの贈り物」(藤原智子監督)も生まれました。

映画「ベアテの贈りもの」公開で舞台あいさつをする(左から)岩波ホール総支配人の高野悦子さん、ベアテ・シロタ・ゴードンさん、監督の藤原智子さん=朝日新聞社撮影

「70年代にデビューし、300本を越えるピンク映画を撮ってきた浜野佐知さん(1948~)は東京国際女性映画祭の催しで『日本の女性監督による長編映画で、最多は田中絹代監督の6本』と聞いたそうです。浜野さんは『だったら私も劇映画を撮ろう』と奮起したのです」

浜野さんは、「第七官界彷徨 尾崎翠を探して」を皮切りに、高齢者の性愛を描いた「百合祭」など、女性を主題にした劇映画を作るようになりました。「今回のシンポジウムでは、浜野さんにぜひその当時の思いなどを伝えていただきたいとも思っています」

「初期の目的を達成した」という理由で、東京国際女性映画祭は2012年に終止符を打ちました。ですが、映画界のジェンダー格差はまだまだ改善の余地があります。近藤さんは、東京国際女性映画祭の理念や熱量をアップデートした形で、TIFFの企画としてよみがえらせようとしています。

第1回東京国際映画祭のウエルカムパーティに出席し、中曽根首相と話すジェームズ・スチュワート(右端)とジャンヌ・モロー(左端)=1985年、朝日新聞社撮影

11月4日 東京・日比谷でシンポジウム

今回、東京国際映画祭(TIFF)の関連イベントとして、シンポジウム「女性映画監督は歩き続ける」が11月4日に東京・日比谷で開催されます。登壇者の多様さからも近藤さんの気持ちが伝わってきます。午前中に「映画をつくる女性たち」を上映後、3部構成でシンポジウムがおこなわれ、最後はすべての登壇者が集まり語り合う予定です。

第1部「道を拓いた監督たち」では、名門UCLAで映画制作を学び、「ぼくらの七日間戦争2」(1991)で華々しい商業デビューを飾った山崎博子監督(1951~)が登壇します。山崎監督はその1作で商業映画から離れて、ドキュメンタリー映画を撮っています。ほかにも、戦争花嫁を描いた「ユキエ」などで知られる松井久子監督(1946~)、「映画をつくる女性たち」を撮った熊谷博子監督(1951~)、浜野佐知監督が登壇します。

第2部「道を歩む監督たち」では、映画版「アンフェア」の佐藤嗣麻子監督(1964~)や、「ゆれる」や「ディアドクター」の西川美和監督(1974~)、岨手由貴子監督(1983~)、ふくだももこ監督(1991~)や金子由里奈監督(1995~)が登壇し、「映画をつくる女性たち」を見た感想と女性が置かれた状況についてディスカッションします。そして、3部では、TIFFの各部門に参加している海外の女性監督が登壇予定です。

イベントは無料です。申し込みは、から。

朝日新聞telling,(テリング)

■伊藤恵里奈のプロフィール
朝日新聞記者。#MeToo運動の最中に、各国の映画祭を取材し、映画業界のジェンダー問題への関心を高める。

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