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「無性に桃の缶詰が食べたくなりました」妊娠中にエベレスト登頂を達成した女性が語る

  • 2024.10.3

涙を流すほど感動するテレビ番組は滅多にない。私が思いっきり泣いたのは、2022年に公開された、シリアの難民であるユスラとサラ・マルディーニ姉妹のオリンピック選手への道のりを描いたNetflixのドキュメンタリー映画『スイマーズ:希望を託して』。そしてつい最近、今年の7月に公開された『ラクパ・シェルパ:勇気ある登頂』だ。 このドキュメンタリー映画の主人公であるラクパ・シェルパ(48歳)は、ネパールの農村部でヤク飼育農家の娘として育った。彼女の文化では、「女性が家にいて家事や家族の世話をすることが当たり前だった」ため、ラクパには教育や働く機会を与えられなかったという。80~90年代になると状況は変わり、今では女の子たちも学校や大学に通えているよう。そんな男性優位の社会で育ったラクパは、20歳で未婚のまま息子を出産し、村から追い出されてしまうのだ。

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その後ラクパはアメリカに移住し、ルーマニア人のジョージ・ディジマレスクと結婚。二人の娘、サニーとシャイニーを授った。だが、夫のジョージはアルコール依存症を抱え、ラクパに暴力を振るうようになり、ラクパは家を出て、女性シェルターに避難することを余儀なくされる。現在はコネチカット州に住み、清掃員として働きながら、クラウドファンディングを募って登山資金を集めているが、今でも読み書きはできない。

彼女のストーリーは、性差別、貧困、虐待関係に立ち向かう女性の強さの象徴であり、彼女を追ったドキュメンタリー映画『ラクパ・シェルパ:勇気ある登頂(原題:Mountain Queen)』では、山を登ることが、「自分の強さを示す手段」となったことが描かれている。

「これは男性だけがするものだ」と、家族や友人に反対されながらも、彼女は男性に見えるように髪を短く切り、ポーターとなって観光客のために物資を運搬する仕事に就いた。そして彼女は成功を果たした。2000年には、エベレストに登頂し生還した初のネパール人女性となったのだ。

こうして彼女は、故郷の村で英雄に。だがそれもまた、ひねくれた性差別へと発展することになる。「父は私のことを息子だと言い、息子のように扱われるようになりました」とラクパ。今では、エベレストを10回登頂した唯一の女性となり、そのうちの1回は、驚くことに妊娠中だったという。そして2023年には、世界で2番目に高い「K2」への登頂を果たした。

ラクパとの対談で私は、映画で見たとき以上に彼女の揺るぎない意思の強さにさらに惹きつけられた。妊娠中にどうやって登山を乗り越えたのか尋ねると、彼女はこう答えた。「立ち止まっている時間はありません。確かに不安でしたが、普段と違う特別なこともしていません。とにかく進むしかありませんでした」

映画の最後のシーンでは、ラクパが二人の娘、サニーとシャイニーに登山を教えている姿が映されている。娘たちにもラクパのような登山家になることを望んでいるのか尋ねると、「もし彼女たちがそれを望むなら、エベレストだって登れるでしょう」と平然に答えた。彼女たちの足を止めるものなんて何もないのだ。ラクパは、自分自身に対してだけでなく、他のすべての女性に対して揺るぎない自信を持っている。だからこそ、この貴重な対談があなたへのインスピレーションにつながると確信した私は、ラクパとのインタビューの一部始終をここで共有することにした。

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どんな幼少期を過ごしていましたか?

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「私はネパールのマカルーという村で育ちました。そこには美しい山々が連なり、素晴らしい景色が広がっています。ハイキングができ、たくさんの動物たちがいます。当時女性は読み書きをすることが許されていなかったので、往復2時間かけて兄たちを学校に送っていました。私は学校の中には入れませんでしたけど。女性は立ち入り禁止でしたので」

「でも、時間と共に状況は変化し、私の3人の妹たちは学校に行けるようになったんです。今では女性も学校や大学に通えています。私が子供の頃は、女性は家にいて家事や家族の世話をすることが当たり前で、それが変わったのは80〜90年代のことでした。それまで女性はずっと子どもの世話をしたり、掃除や料理、農作業をすることが求められていました」

山に登りたいと思ったきっかけは?

「私の父がハイキング好きで、よく連れて行ってくれました。初めてハイキングに連れて行ってもらえたのは確か13歳のときでした。でも、山を登ることは許されず、兄や従兄弟と同じようにポーターになることもできなかったんです。女性のような容姿ではできないので、髪を切って男の子のふりをしていましたね」

「ポーターは男性の職業。私の文化ではそう決まっていました。だから私の家族は私のことを変わり者で、私に何か問題があると思っていたんです。これに関しては、とても批判的でした」

登山中の生理はどう対処している?

「困難ではありますが、女性は何だってできます。女性は強いから。何かを望めば、必ず道を切り開ける。私には選択肢がなく、エベレストではひどい生理痛を抱えたこともありましたが、とにかくやり抜くしかありませんでした。止まっている時間はない。生理だからって、特別なサポートが得られるわけでもない。それが私の抱える問題であり、自分で乗り越えるしかなかったんです」

妊娠中の登山の経験を教えてください

「2006年にエベレストに登ったとき、私はシャイニーを妊娠して2ヶ月半でした。確かに不安はありましたが、妊娠中だからといって特別なことはしていません。それが、私の意思と私自身をさらに強くしてくれました。唯一覚えているのは、缶詰の桃が無性に食べたくなったこと。持参していなかったので、無線で桃を頼み、兄がベースキャンプに送ってくれました。缶詰は凍ってしまっていたので、煮て解凍する必要がありましたが。そのとき、私は自分の強さを感じました。痛みや疲れが全くなかったのです」

多くのシェルパ(ヒマラヤにおける登山ガイド)が亡くなっている事実に恐れを抱いたことは?

「やりたいことは何でも、実行しなければなりません。どんな仕事であれ「怖い」と感じるなら、それはあなたがすべきことではないかもしれない。自分がしていることを、愛する必要がある。皿洗いは私の仕事ではありません。でも、それは私が生計を立てて、子どもたちの面倒を見るためにしていることであり、山へ登ることが私の仕事です。私はこの仕事を本当に愛しているんです。軍人や警察、パイロットなど、危険な仕事はたくさんあります。怖がっていたら、誰もこれらの仕事をする人はいないでしょう」

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エベレストに初めて登ったときのことを教えてください

「2000年、女性チームと一緒に初めてエベレストに登りました。まだ若かったので、私に何か起こって息子をひとり残してしまったら、という心配はありましたが、これは私の長年の夢だったので、正直そんなに怖くはありませんでした。集中していましたね。

一番怖い思いをしたのは2004年の登山。当時の夫ジョージに、私が出かけたら娘のサニーにはもう二度と会えないと言われていました。とても心配でしたが、私にはまた会えることがわかっていました。そして私の強さを、夫と娘に結果で示す必要があったのです」

命を落としそうになった経験は?

「何度もあります。2023年にK2に登ったときは、もう生還できないかと思いました。天候がひどく、何も見えなくて、まるでシーツをかぶったまま歩いているようでした。登頂できる確率は非常に低いものでした。2泊3日の間はキャンプの中で身動きがとれませんでしたが、幸運にも、1日だけ山頂に行けるほどよい天気に恵まれました」

虐待の経験が登山に対する向き合い方にどんな影響を与えましたか?

「誰かに『ノー』と言われたとき、私は自分の強さを示したかった。それが、私にさらなる力を与えてくれました。私の精神を、強くしてくれたのです」

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年を重ねても、登山を続けますか?

「また、エベレストに登ります。80歳になっても、エベレストの頂上に立っています! 年を取るたびに登山がハードに感じることはありません。子どもたちが大きくなったので、むしろ以前よりもラクになっています。好きなだけ山に登れる自由な時間があります。子どもたちは、前ほど私を必要としなくなりましたから。一生懸命働いて、挑戦し続けます。名医や一流弁護士が医学や法律に詳しいのと同じくらい、私も山のことを知っているんです」

子どもたちにも、登山をしてほしいですか?

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すでに一緒に登山をしています。サニーはニューハンプシャー州で、シャイニーはバージニア州で、私と一緒に山頂に立ちました。娘には、ハイキングはパートタイムの仕事のようなもので、学校を卒業する必要があると伝えています。一緒に山を登るときは、私が彼女たちのコーチになりますが、母親でもあるので、常に安全を第一に考えています。今私たちが挑戦しているのは、アメリカの50の最高峰を登ること。デナリは技術的に難易度が高い山ですが、娘たちがデナリを登ることができれば、エベレストにも挑戦できると思っています。それが彼女たちの望みであればですが。

※この記事はイギリス版ウィメンズヘルスからの翻訳をもとに、日本版ウィメンズヘルスが編集して掲載しています。

Text: Bridie Wilkins Translation: Yukie Kawabata

 

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