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J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名

  • 2024.10.2
J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名
J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名

Text by 佐伯洋(編集部)

今シーズンがクラブ創設30周年となったJ2の水戸ホーリーホック。

2000年のJ2参戦以来、「昇格も降格も経験したことがないクラブ」として知られる彼らだが、一方で伸び悩んでいた選手を覚醒させることに定評がある。

ここでは水戸で武者修行(期限付き移籍)したことが転機となり、その後、日本代表や国際大会で活躍した選手たちを特集しよう。

小川航基

J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名
J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名

水戸での成績:17試合7得点(2019年)

現所属:NEC(オランダ)

高校サッカー界のスター選手だった小川航基は、名波浩(現・日本代表コーチ)からラブコールを受けてジュビロ磐田へ加入。東京五輪のエース候補一番手として大きな期待を受けた。

しかし2017年に行われたU-20ワールドカップ中に前十字靭帯断裂の大けがを負い、1年近く棒に振ることに。2019年、磐田を構想外になる形で水戸へ期限付き移籍したがこれが眠れる獅子を呼び覚ました。

2022年に実施したQolyのインタビューで水戸時代を振り返った小川は、「反骨心とか死に物狂いの選手たちの目をみて自分も感化された」と語っている。

水戸で点取り屋の本能を取り戻した小川は、その後横浜FCでJ2得点王に輝き、2023年夏にはオランダのNECへ。日本代表にも返り咲き、今年6月のミャンマー戦では代表でおよそ4年半ぶりのゴールを決めた。

伊藤涼太郎

J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名
J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名

水戸での成績:6試合0得点(2017年)、34試合9得点(2018年)、20試合4得点(2020年)

現所属:シント=トロイデン(ベルギー)

U-15から日本代表の常連だった伊藤涼太郎。天才肌のMFは、岡山の強豪である作陽高から浦和レッズへ加入した。

しかし浦和では柏木陽介らの牙城を崩せず、1年半で公式戦わずか2試合の出場にとどまる。東京五輪出場を目指す彼は、2017年9月にJ2・水戸へ育成型期限付き移籍した。

2017年は6試合無得点に終わるが、翌年チーム2位の9得点を記録してブレイク。先日現役引退を発表した水戸のレジェンドGK本間幸司らのプロとしての姿勢に影響を受け、自身が変わるキッカケにもなった。

その後、アルビレックス新潟での大活躍で昨夏にはヨーロッパ移籍も実現させ、今年元日のタイ戦で日本代表デビューも果たした。

前田大然

J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名
J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名

水戸での成績:36試合13得点(2017年)

現所属:セルティック(スコットランド)

今やセルティックと日本代表に欠かせない存在の一人となった前田大然だが、彼の“ルーツ”も水戸といって差し支えないだろう。

2016年に山梨学院大学附属高からJ2・松本山雅へ加入し、初年度は9試合0得点。翌年J2・水戸へ期限付き移籍するとその驚異的なスピードが大いに話題となり、13得点を決めてブレイクした。

横浜F・マリノスに所属した2021年にはJ1リーグ得点王とベストイレブンに輝き、セルティックへ移籍。2022年ワールドカップのクロアチア戦では先制ゴールを決めている。

昨年オフに水戸へ凱旋した前田は、「水戸でプレーしていなかったら今の僕はいないですし、日本代表にも入っていないと思います」と感謝の言葉を述べている。

藤尾翔太

J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名
J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名

水戸での成績:22試合8得点(2021年)

現所属:FC町田ゼルビア

パリ五輪で2得点を決めた大型のアタッカーは、高校年代から年代別日本代表の常連だった。

2020年にトップ昇格したセレッソ大阪では、J1デビュー戦でプロ初得点を記録。当時存在したセレッソのU-23チーム(J3)でもまずまずの成績を残した。ただトップでは出番がなく、U-23の活動が停止した翌年J2の水戸へ育成型期限付き移籍した。

水戸では熱血漢な秋葉忠宏監督(現・清水エスパルス監督)のもとでチームプレーを学び、22試合8得点。自身は「プレーの幅を増やしてもらう機会になった」と振り返っている。

翌2022年には徳島ヴォルティスで初の二桁得点をマーク。その後町田へ移籍して飛躍し、パリ五輪での活躍につなげた。

田中マルクス闘莉王

J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名
J2水戸ホーリーホックで覚醒し「世界規格」の選手になった日本人5名

水戸での成績:42試合10得点(2003年)

歯に衣着せぬ提言で今や日本サッカー界のご意見番となった田中マルクス闘莉王。

彼は高校時代にブラジルから日本へ留学し、2001年にサンフレッチェ広島へ加入。祖父(父方)の出身地だった広島では一定の出場機会を得たが、後に見せたような強烈なリーダーシップは示せなかった。

また当時は外国籍だっため、2003年には外国人枠の関係でJ2の水戸へ期限付き移籍する。これが彼のキャリアの分岐点となった。

この年にDFながら10得点を記録し、“攻撃型DF”としての原型が出来上がった。同年には日本国籍も取得し、それまでの『トゥーリオ』から漢字の『闘莉王』へ改名している。

その後、移籍した浦和では闘将として黄金期を牽引し、日本代表でも活躍した。そんな輝かしいキャリアを持つレジェンドも「水戸から全てが始まったと言っても過言ではない」と話している。

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