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がんの恐怖に負けないために。75歳でボディビルディングを始めた私のストーリー

  • 2024.10.2

現在75歳になるライター兼編集者のマリリン・ラーキンは、2023年にがんの告知を受けた。がんの恐怖に打ち勝つために彼女が始めた挑戦について、自ら筆を執ってくれた。

「2023年に乳がんの宣告を受けてから、私の人生は一変した。でも、自分の人生を恐怖に支配されたくなかった私は何かしようと思い立ち、半年前、世界ナチュラルボディビルディング連盟に電話して、選手権に出場する上で必要な情報を問い合わせた。

主催者はマスターズ(50歳以上)のカテゴリー、とくに女性部門の出場者を増やしたいと思っていたらしく、私が興味を持っていると聞いて大喜び。現在75歳の私が選手権に出場すれば、このスポーツと私自身の人生に大きな影響を与えられるような気がした。

ナチュラルボディビルディングは、ステロイドなどの人工的な筋肉増強剤を一切使わず、純粋な努力、つまりウエイトトレーニングと適切な食生活だけで筋肉を増強し、美しい体を造るスポーツ。選手権には一度出たことがあるけれど、それは22年も前の話」。

小さい頃から動くのが大好きで、行動力のあるタイプだった。

「運動に対する私の愛は大学時代に開花した。あの頃はフェンシングやダンス、大胆でアクロバティックなスポーツに夢中だった。これまでの人生で後悔していることは少ないけれど、マーシャルアーツは学んでおけばよかったと思う」。

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1970年代にフィットネスブームが到来すると我先に飛び込んで、Elaine Powers Figure Salonsのような元祖フィットネスジムに通い詰めた(懐かしい!)。

パーソナルトレーナーから勧められ、ボディビルディング選手権への出場を決意。

「当時54歳だった私は最年長の出場者だった。入賞はしたものの、次の選手権に申し込みたいとは思わなかった。私にとってボディビルディングの最大の魅力は、試合よりもトレーニングのプロセスにあったから。

トレーニング期間中は、ジムや街中で呼び止められて、食事やトレーニングの内容を聞かれたり、私の存在に刺激されたと言われたりすることが多かった。自分の好きなことをするだけで、人にインスピレーションを与えられるなんて最高。そう思った私は、2005年にパーソナルトレーニングとグループフィットネスの資格を取得した」

私にとってボディビルディングの最大の魅力は、試合よりもトレーニングのプロセスにあった。

「パーソナルトレーナーとして働く中で、姿勢と自信と自尊心の間には強いつながりがあることに気付いた。そこで私はレジスタンスバンドを使った姿勢矯正プログラムを開発し、ニューヨーク市内を飛び回ってプロ対象のカンファレンスや学校で指導した。

話を早送りして2023年、コロナ禍の混乱でルーティンが崩壊し、しこりを医師に診てもらうのが遅れた。痛いのはプッシュアップを1日80回以上しているせいだと思っていたけれど、診察を受けた頃にはがんがすっかり進行し、肝臓に転移していた。深刻な診断を受けたにもかかわらず、私は生活の質を優先し、私の心の平静と自信の源であるフィットネスのルーティンから離れる時間を最小限に抑えるために、乳房切除術と化学療法ではなく、乳腺部分切除術と放射線治療を選んだ」

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ボディビルディングは単なる肉体への挑戦ではなく、自分を受け入れ、励まして、己に絶え間なくコミットするプロセス。

「がんの宣告を受けてから前を向いて生きていくには、何らかのチャレンジが必要であることは分かっていたし、ボディビルディングをするという考えもすぐに浮かんだ。このスポーツで大切なのは、体の潜在能力を最大限に引き出して、それをそのまま受け入れることであり、当時の私にはまさにそれが必要だった。私は選手権に向け、3年来の付き合いで全幅の信頼を寄せているトレーナーと16週間のトレーニングプログラムを開始した(私自身もトレーナーではあるけれど、自分のワークアウトには別のトレーナーをつけたいタイプ)。がん治療の影響で行き詰まることはあったけれど、私には、無理のないプログレッシブ・オーバーロードで筋力を取り戻し、体のバランスと対称性にフォーカスする覚悟があった。

この16週間は、筋力トレーニングを平均週3回、有酸素運動を平均週2回行った。私のトレーナは、トレーニングがマンネリ化したり、頭打ちになったりすることのないように都度調整してくれた。最初は一定のウエイトで10回を3セット。そこからヘビーなウエイトで8回を4セットという内容に移行して、いつも私が鍛えにくいと思っていた部位(下半身など)を重点的に鍛えた。さまざまな角度から筋肉にアプローチできるよう、私が好きなケーブルローを他のバリエーション(ベントオーバーローやワンハンドローなど)に切り替えるなどして、エクササイズの組み合わせもちょくちょく変えた」

「トレーナーと対面のトレーニングを行う傍ら、バーチャルコーチにボディビルディングのポーズを教えてもらい、本番の流れも作ってもらった。ジムでのトレーニングとオンラインのグループ/プライベートコーチングで、当時はかなり忙しかった。

精神的には厳しい道のりだったけれど、信じられないほどやりがいがあったのもまた事実。私には、がんによる体の変化(肝転移による腹部の腫れなど)が原因で芽生えた不必要な自意識を乗り越える必要があったから。自分の外見を自分自身で受け入れないと、日焼けスプレーと小さなビキニで見知らぬ人たちの前に立つことは到底不可能。自分に対する自信は持ち続けてきたけれど、この挑戦では、それまで以上に自分を受け入れる必要があったし、身体的なフィットネスと精神的なレジリアンスは深く絡み合っているという信念が一段と強くなった」

2024年6月、人生で2度目のボディビルディング選手権に出場。

「私は、ニューヨーク州ホワイトプレインズで開催されたヘラクルス・プロアマ・世界ナチュラルボディビルディング選手権に出場し、マスターズ部門で優勝という結果を収めた。

フィットネスに関しては結果よりもプロセスを大事にしている。勝ち負けではなく、自分の限界に挑戦し、自分の体の力を信じて、目標を達成するまでの道のりを楽しむことを大事にしている。でも、さすがにあのときは達成感に包まれた。当時の自分が成し遂げたことの大きさは、正直いまでも信じられない。

この1年は病状が安定していたこともあり、私は引き続き積極的な治療を控え、がんと共に生きている。今年9月の選手権に出ることも考えたけれど、姿勢関連の新しいプラットフォーム『GET UNBENT』の立ち上げと並行してトレーニングを行うのは、負担が大きすぎるのでやめた。でも、2026年春の選手権には出るつもり。それまでは、強い体を維持するためのトレーニングを続けながらも、選手権前の食事制限がない日々を楽しもうと思っている」

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私のボディメイクを成功に導いた4つの要素

1. 全幅の信頼を寄せられるトレーナーが非常に重要な役割を果たしてくれた。

「結果重視の筋力トレーニングを指導してくれる人がいたことで、常にサポートされている感じがしたし、大きな違いが生まれたと思う。私のトレーナーは、ただヘビーなウエイトを使うだけでなく、ボディビルディングには欠かせない体のバランスや対称性も重視して、改善が必要な部位にフォーカスし、私のニーズと身体的な制限に応じたルーティンを組んでくれた。リカバリー中の私には、この信頼関係と一貫したコミュニケーションが不可欠だった」

2. 選手権に向けた準備期間を恐怖に支配させなかった。

「個人的に、恐怖は一旦受け止めてから乗り越えるものだと思っている。絶対に恐れるな、とは言いたくない。がんの宣告を受けたときは実際死ぬほど怖かった。でも、私にはやりたいことがたくさんあったし、ボディビルディングが恐怖を乗り越えやすくしてくれた。自分が元気になれることを見つけて、その機会を追い求めるのは決して悪いことじゃない」

3. 結果とプロセスの両方を重視した。

「この挑戦がどんな形で終わろうと、ゴールまでの道のりを自分の自意識に邪魔させないようにしたのも大きい。このトレーニング期間(と人生!)では、常に自分を受け入れる努力をし、自分のコミュニティの中に心の支えを見つけることが何よりも大事だった」

4. 栄養管理を欠かさなかった。

「がん宣告を受けてからはアルコールと揚げものに別れを告げて、砂糖の摂取量を大幅に減らし、クリーンな食生活を続けている。もともの食生活がよかったことで、選手権に向けた準備もスムーズになったと思う。私にとってクリーンな食生活は、規律ではなく、自分自身と目標に対するコミットメントの一部。準備期間中はいつも以上にシンプルな食事を心がけ、厳しいトレーニングに必要な燃料を補給することにフォーカスした」

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※この記事はアメリカ版ウィメンズへルスからの翻訳をもとに、日本版ウィメンズヘルスが編集して掲載しています。

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