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世界最高女性シェフ、エレナ・レイガダスが貫くキッチンの美学

  • 2024.10.1
Photo_ Maureen M. Evans
Photo: Maureen M. Evans

私がレストラン「ロゼッタ」を訪ねた日、メキシコシティの一地区、ローマ・ノルテの空模様は曇りだった。ここは数々の賞に輝く著名なメキシコ人シェフ、エレナ・レイガダスがオーナーを務める、古い邸宅を改装したレストランだ。ディナータイムのピークを迎える夜の時間帯ともなれば、サツマイモのタマル(タマレス)やピスタチオを使ったピピアンソースのタコスなど、この店の看板メニューを目当てに押し寄せる客で賑わうが、午前中の今は、店内は静まり返っている。だが、スタッフはライラックとアイボリーという、2色のジギタリスをカットするのに忙しい。これは今日のテーブルを飾る切り花になる予定だ。店内に入ると「サロン・ロゼッタ」へ案内された。夜のピークの時間帯には、ここはムーディな照明が灯され、テーブルが空くのを待つ間、客がカクテルなどを楽しむ空間になる。

メキシコ最重要シェフの気概

自然光がふんだんに注ぐ、レストラン「ロゼッタ」の心地よい店内。
自然光がふんだんに注ぐ、レストラン「ロゼッタ」の心地よい店内。

つかの間の静けさが支配するこのひととき、私は47歳のシェフ、レイガダスと対面し、彼女が2023年に受けた栄誉(「世界のベストレストラン50」が選ぶ「ベスト女性シェフ」賞受賞)について話を聞いた。「もちろん、賞をいただくのはとてもいい気分です。でもキッチンこそが宇宙ですから」と彼女は思いを語る。「毎日、長い時間汗を流して働いてくれる多くの人たちの努力が報われることが、私にとっては一番大切なのです。10年以上にわたって、ひたすらに努力してきたわけですから、受賞はこれからも今の取り組みを続けていこうという、素晴らしいモチベーションになりました」 10年にロゼッタをオープンして以来、メキシコのガストロノミーシーンにおける最重要シェフとして、レイガダスの声望は高まるばかりだ。ロゼッタを皮切りに、コンデサ地区にラルド、コロニア・フアレス地区にカフェ・ニン、そしてロゼッタと同じローマ・ノルテ地区にベラ・オーロラと、系列店も続々とオープンさせている。さらにはメキシコ料理界の将来を担う、次世代の女性シェフを支援する奨学金プログラムも開始した。

評判が高まっていることを自覚し、集まる称賛の声に感謝を示す一方で、自身があまりに持ち上げられる今の状況に対しては、レイガダスは地に足がついた姿勢を保っている。「私の第一の目標は、メキシコならではの食材をもとに、シンプルなメニューを提供し、店を訪れるお客様に満足いただくことです」と彼女は言う。「純粋に、できる限り食材の持ち味を生かすよう努めています。一方で、食のさまざまな喜びを提供することも忘れていません」

食材の持ち味を膨らませていくプロセスを、彼女はアートの制作になぞらえる──それは意外な素材や味の組み合わせで、胸躍るような新しい一面を引き出し、レストランを訪れる客に提供する、一連の過程だ。さらに、英文学の学位を持つレイガダスが作り出すメニューの源流には、奥深い物語が感じられる。彼女は、それぞれの食材の辿ってきた「道」について絶え間なく思いをめぐらす。例えば、オハサンタ( スペイン語で「聖なる葉」の意味)と呼ばれる、コショウに似た風味を持つハーブは、一見した印象以上のポテンシャルを備えているという。「生育する場所や、なぜそこに生えているのか、そしてオハサンタの場合は、なぜ伝統料理では豆と一緒に調理されるのか、といったことをとことん考えます。とても重層的なんです!」

何よりも、レイガダスの料理へのアプローチは、メキシコの歴史と文化に根差した、深遠な知識の世界への扉を開くものだ。この国では、はるか古代にルーツを持つ地域社会が今でも健在で、豊かな世界を展開している。彼女にとって、料理は文化、とりわけメキシコの文化を理解する最良の方法の一つだ。彼女が近隣の農家から調達している食材のバリエーションからも、この点は見て取れる。

こうした作物には、かつてこの土地に住んだメシカと呼ばれる人々が開拓し、メキシコシティ南部のソチミルコ地区に残る浮き畑、「チナンパ」で栽培されるビーツやレタスや、同じくメキシコシティ南部のミルパ・アルタ地区に1940年代からあるサボテン農園で栽培されている、ウチワサボテンやアマランサスなどがある。

世界的な食の均一化を憂う

2024年夏現在の最新メニューとして提供されるメキシコの伝統食タマル2種。Photo_ Jorge Cirerol & Andrea Cinta
2024年夏現在の最新メニューとして提供されるメキシコの伝統食タマル2種。Photo: Jorge Cirerol & Andrea Cinta

「メキシコの素晴らしさは現代においても、豊かで重層的な“時”を感じ取ることができることです」と彼女は言う。「本当にはるか昔の過去でさえ、今に息づいていることを実感できます。これはメキシコにしかない、魅力的で、調和の取れた世界なんです」 美食の世界の未来に目を向けるとき、彼女が気がかりに思うのは、全世界的に、均一化が進んでいるように見受けられる点だと言う。「日本、メキシコ、北欧、どこに住んでいても、口にするのは同じ食材になりつつあります」と、彼女は警鐘を鳴らす。「イチジクやイチゴなどの果実は、万人受けするので広く採用されていますが、比較的知られていない食材はどんどん使われなくなっています。今の状況は、私たちを危険な断崖に追いやっていると思います。多様な味や歴史、文化を、私たちは失いつつあるのです」

料理人として、レイガダスはできるだけ多くの種類の食材を用い、保護に努めることが自分の責任だと感じている。「私たちがより多様な食材を使えば、食べる人たちが触れる機会が増えます。また、私たちは、食材が常に輝くようにと心がけています。完成した料理の味が、常に最も大切な目標だからです」

私はレイガダスに、急速に開発が進むメキシコシティの現状についての考えを尋ねた。彼女が営む店舗の一つ、パナデリア・ロゼッタでは、今や店を一周するほどの長い列ができ、世界各国からのこの街に永住する移住者もますます増加している。「メキシコシティはこの数年で一変しました。でもそれは世界全体についても言えることですよね」と彼女は応じる。

激変するメキシコシティ

2024年夏現在の最新メニューとして提供されるメキシコの伝統食タマル2種。Photo_ Jorge Cirerol & Andrea Cinta
2024年夏現在の最新メニューとして提供されるメキシコの伝統食タマル2種。Photo: Jorge Cirerol & Andrea Cinta

メキシコシティが激変した理由については、彼女と私の意見は一致した──メキシコが、コロナ禍の最中にも国境を閉鎖しなかった、ごく少数の国の一つだったからだ。そのため、こうした事情がなければメキシコを訪れることはなかったであろう、多くの外国人がこの国にやってきた。こうした外国人観光客が、この国で味わった体験を気に入り、ドミノ効果が生まれた、というわけだ。「さまざまな点で、私たちメキシコ人は、メキシコシティのありがたみに気づき始めています。天候、住む人たちの温かさ、陽気なムードが、この街にはあります」

展開するレストランの人気が急上昇する中でも、レイガダスはロゼッタの席のうち一部を、予約なしで来店するゲスト用に確保して、バランスを保つ努力をしている。私自身、何度かこの恩恵にあずかったことがある。「これは地元の人たちと外国人観光客が混ざり合い、一緒に食事ができる店であり続けるための方策の一つです」と彼女は説明する。「私にとっては、そうした光景こそが、最も美しいものなんです」

私はロゼッタで何十回も食事をし、カルト的な人気を誇るグアバとリコッタをフィリングにしたペストリーを味わったこともある。それでも、取材後に、パナデリア・ロゼッタ自慢のスイーツを持ち帰ることができるとなれば、やはり狂喜乱舞してしまう。持ち帰ったスイーツの何個かを自宅のドアマンと友人におすそ分けしたのち、ドライローズマリーを振りかけた、シェル形のピーチタルトに私はかぶりついた。初めて食べたこのタルトは、甘すぎず、かといって塩気がきついこともない。半分を食べ終わるまで、一口一口を堪能した。食べていて気持ち悪くなることがないのもうれしい。あまりにリッチで、ヘビーすぎるスイーツを食べると、大抵は胸焼けしてしまうのだが、これはまさに絶妙なバランスの一品だった。

このタルトは、インタビューでレイガダスが語っていたことを、改めて思い出させてくれた。「私が作るメニューはすべて、バランスの取れたものであってほしいと願っています。私の作るものを食べた人、そしてその人の胃袋に、いい気分になってほしいのです」。確かに私は、そうした気分を味わうことができた。

Text: MICHAELA TRIMBLE Translation: Tomoko Nagasawa Editor: Yaka Matsumoto

スターシェフの光と影──アルコール依存症との闘いを経て、今思うこと

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