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切に願う未来。幸せの象徴を決めつけない、女の子に優しい社会になってほしい

  • 2024.10.1

ここから10年後というと、私は32歳になっている。30代ってきっと大人で、大人な女性といわれる年代でもあるのだろう。そもそも「大人」って、成人年齢で特定するよりも、もっと納得のいく見方があるんじゃないか、と私は最近思うのだ。
もちろん大人になりたくない、というわけではない。もう十分、一応、中身も外見も大人なのだから、まだ子供ですから!なんていう言い訳をする気もない。しかし、女性が大人になる過程には、男性よりも経験することが多いと感じている。たとえば、結婚、妊娠、出産。結婚は女性も男性も人生の大きな節目であるが、妊娠・出産は女性にしかできないことである。

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10年後、32歳になったときには、「まだ結婚しないのか?子供は?」と、質問攻めされそうで、その声をイメージするだけで、正直うんざりする。なんだよ、それ。もうすでに私は本当の大人にはなりたくないと思ってしまう。子供を産むことは、女性にだけ与えられた特権だから、愛する人との子供を産むということは幸せそのものなのだと、実感する日が訪れたとしても、なにかピンとこないのだ。「女の子だから、いいわねえ。たくさん、子供を産みなさい」だなんて、いくら少子高齢化が深刻な問題になっているとはいえ、そんなの押しつけがましいよ!と勝手に憤慨したくもなる。

人それぞれ、幸せの形も、愛の形も、感じ方も違う。けれど、共通した女の子の幸せとして「結婚、妊娠、出産」があるというのは、今も昔も変わらないことで、素敵な人生のひとつと捉えることは悪くはない。もし、私のようにそういう誰からも祝福される幸せを疑問に思ったり、逃れたくなる女の子がいたら、「大丈夫、きっとその価値観をわかってくれる人がいるから。焦らなくていい」と声をかけてみたいものだ。もちろん今、この先の人生でそうした幸せを掴むことに対して少しプレッシャーを感じている自分のためにも、言い聞かせたいと思う。

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女の子って大変だ。もちろんフリルやリボンが装飾された服やバッグを身に着けたり、自分の好きなようにメイクしたり、一生かけて「可愛い」を表現できるのは、最高で最幸なことである。その努力の裏には、たくさんの光と闇を抱えているのだ。それは、今このときだって、そう。誰にも予測できない未来にも、女性だからこそ感じる生きづらさがあって、時には理不尽なくらい苦しくなる。それでも乗り越えていく力が備わっているから、きっと「女性だから、無理でしょorやれるでしょ!」の壁にぶちあたったとしても、それを突破できるはずなのだ。

いま小学生くらいの女の子が、10年後には20代になっているけれど、そのときには「女性だから、結婚して子供を産む幸せを手に入れなさいね」なんていう風潮とは、きれいさっぱりお別れできていたらいいなあと思う。もちろん結婚したいと思う方と出会うかもしれないからこそ、どの時代でもそれぞれの幸せを縛ることはできないはず。

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幸せの象徴を決めつけない、女の子に優しい社会になっていってほしいと、切に願うばかりな一方で、もし自分にもそうした社会に導いていく力を身に着けるチャンスは、いくらだってあるとも感じている。

令和を生きる若者は特に、優しくて弱いと言われているそうだが、これは2000年代から若者に対して言われてきたことだそう。優しいからこそ、他者の悩みに理解しようと寄り添うことができる。弱いからこそ、このままではダメだ、もっと踏ん張らなくては、といつだって自分を奮い立たせることができるのだ。10年後の女の子にも、こうしたエネルギーが受け継がれていくことを、私はこっそり心の奥底で願ってみたいと思った。

■真桜のプロフィール
恋愛の神様、北川悦吏子先生に憧れながら、小説やエッセイを執筆しています。

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